キャッシュレス決済が「バーチャルスラム」を生み出す
貧困の固定化という悪夢
キャッシュレス決済が「バーチャルスラム」を生み出す 貧困の固定化という悪夢
稲葉剛
https://dot.asahi.com/dot/2020042400042.html
感染拡大が止まらない新型コロナの影響で、解雇されたり出勤停止に追い込まれたり……。新たな貧困層増加の可能性が引き起こ
す、新たな問題とは? 「誰も路頭に迷わせない!」を合言葉に、ホームレス問題や「大人の貧困」の実態をルポした『閉ざされた扉
をこじ開ける――貧困と排除に抗うソーシャルアクション』(朝日新書)の著者、一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事・稲葉
剛氏が報告する。
* * *
■家賃滞納者のブラックリスト
家賃滞納データベースとは、全国賃貸保証業協会(LICC)という業界団体が2010年から運用しているデータベースである。LICCには
現在、全国の13の家賃保証会社が加盟しており、このデータベースには、過去にこの13社の利用者で家賃を滞納し、家賃保証会社が代
位弁済(肩代わり)をした記録が一元的に蓄積されている。事実上の家賃滞納者ブラックリストである。
2010年の家賃滞納データベースの運用開始時には、日本弁護士連合会や私たち生活困窮者支援団体は「住まいの貧困を悪化しかねな
い」として反対運動を行った経緯がある。LICCに属していない家賃保証会社の中には、信販系の会社も少なくない。最近では賃貸住宅
の入居時にクレジットカードの作成を義務付けている家賃保証会社も出てきている。
信販系の家賃保証会社では、クレジットカード同様、入居時の審査にあたっても信用情報機関の情報を活用しているものと思われ
る。つまり、過去に自己破産やクレジットカードの支払い遅延といった履歴があると、部屋を借りにくくなるということだ。クレジッ
トカードの履歴はクレジットヒストリーと呼ばれており、クレジットカード社会のアメリカでは、良いクレジットヒストリーを維持す
ることが良い生活をおくる上で重要だと言われている。日本ではあまりなじみのない考え方だが、今後、キャッシュレス決済が普及す
るにつれて、重視されていくであろう。
■個人情報を信用スコアとして点数化
家賃滞納者ブラックリスト、クレジットヒストリーにより、賃貸住宅の入居が困難になる状況を見てきたが、今後は住宅を探す時だ
けでなく、仕事探しや婚活にも同様の問題が起こる可能性がある。これらの個人情報を信用スコアとして点数化して、一元的に管理し
ようという動きが出てきているからだ。信用スコア先進国は中国である。
中国では、Alibabaグループが展開する電子決済サービス「Alipay」と連携した信用スコアサービス「芝麻信用」が存在感を増して
いる。「芝麻信用」は、中国国内で6億人以上と言われる「Alipay」ユーザーの全支払い履歴データを管理しているだけでなく、資産
状況、社会的ステータス、SNS上での人脈などの情報を加味した上で、個人の信用力を点数化(スコアリング)している。
スコアは、350点?950点の間で点数化され、700点以上で良好とされるという。高スコアを得ると、賃貸住宅や各種ローンの審査に
通りやすくなったり、シェアサービスなどのデポジット(保証金)を免除されたり、出国手続きが一部簡素化されるといったメリット
がある。逆にスコアが低いと、住宅、就職、結婚などで不利になってしまう可能性がある。
中国政府は、2014年から「社会信用システム」を構築するという7カ年計画を進めており、信用スコアを普及させることで不正取引
を減らそうとしている。中国社会における信用スコアの急速な普及の背景には、こうした政府の姿勢があることは明らかだ。
■貧困状態を固定化しかねない「バーチャルスラム」
日本でもAIを用いた信用スコアサービスが広がりつつある。みずほ銀行とソフトバンクによって設立された「J.Score」は、顧客か
ら提供される情報に基づいて、信用力や将来の可能性をスコア化するサービスを2017年から始めている。
Yahoo!やNTTドコモ、LINE、メルカリも、信用スコア事業に参入したり、参入を表明したりしている。しかし、2019年6月3日に
Yahoo!が発表した「Yahoo!スコア」については、スコアの外部企業への提供に批判が集まり、Yahoo!が6月21日に「説明の至らない
点があったことから、みなさまに多大なご心配をおかけしたことを、おわび申し上げます」、「6月中旬より、ソーシャルメディア上
の一部投稿において、『自分の(個人)情報が勝手に外部に提供される』と心配されるご意見が多くありましたが、『Yahoo!スコ
ア』では、お客様の同意なくお客様の情報やスコアを他社に提供することはありません」という声明を発表する事態になった。
このように紆余曲折はあるものの、キャッシュレス決済の広がりとともに日本でも信用スコアは普及していくであろう。そこで懸念
されるのは、「バーチャルスラム」と呼ばれる現象である。低い点数を付けられた人々が住まいや仕事など、生活のさまざまな場面で
不利益を被ることになり、貧困状態が固定化されることだ。日本でも「バーチャルスラム」の形成はすでに始まりつつある。こうした
社会的排除の「進化」への対抗策を私たちは考える必要がある。
稲葉剛(いなば・つよし)
一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事、認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表、立教大学客員教授、住まいの貧困に取り組
むネットワーク世話人、生活保護問題対策全国会議幹事。1969年、広島市生まれ。東京大学教養学部卒業(専門は東南アジアの地域研
究)。在学中から平和運動、外国人労働者支援活動に関わり、94年より東京・新宿を中心に路上生活者支援活動に取り組む。2001年、
湯浅誠氏と自立生活サポートセンター・もやい設立(14年まで理事長)。09年、住まいの貧困に取り組むネットワーク設立、住宅政策
の転換を求める活動を始める。著書に『貧困の現場から社会を変える』『生活保護から考える』、共編著に『ハウジングファースト』
など。