あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

A Moon Shaped Pool

2016-06-04 19:14:01 | 音楽

皆さんこんにちは。引きこもりで婚活中で変人のあまねです。
Radioheadの新譜「A Moon Shaped Pool」をやっと二回目聴きながらブログを書こうとしています。

実はあんまりに気の抜けたアルバムだったのでショックでなかなか二回目が聴けなかった。
しかし二回目聴いてみると、この二曲目にいきなしとんでもなく悲しい曲が来ることは
ものすごく良いし、切ない。
美しく、とてつもなく寂しい。
気になるのが、このモノクロなジャケット。



初めてのモノクロな色を亡くしたジャケットなんですよね。しかも黒よりも白めなアルバムジャケット。
これが実にこのアルバムをよく象徴しているように思う。
色を失くしたレディオヘッド、そんなものを聴く日がいつかやってくるような気はしていました。

悪い作品と言えるような作品では決してない。難解な作品だと思えます。

しかし16歳で初めて自分のお金で買ったCDがレディオヘッドのOkコンピュータで、
それから自分は洋楽にのめり込んでいったわけですが
それ以来自分の中でレディオヘッドはまるで家族のように親しみ深い存在で
今改めて今までのアルバムジャケットが並んでるのを眺めただけでうるっと来るものがあります。

今までカタルシスがあって、昇華しきっているようなアルバム(デビューアルバムのパブロハニーは除く)ばかり出してくれてたレディオヘッドが初めて昇華しきれないものを出してくれたように感じます。
昇華しようにもしきれない心情を見せてくれたんだなと。
だから今回の作品は今までで一番寂しく、悲しいアルバムかもしれない。
恐ろしいというようなアルバムではないが、このアルバムは一番静かな狂気が
白い空間の中に蠢きどこまでも広がっていくような世界に感じる。

今までそれを開けっ広げに見せてくれてたのに、奥に秘めて見えづらくしたんだと思うから
もどかしさの残るアルバムなんでしょう。

トム・ヨークの子供のノアくんがまだ小さいとき、レディオヘッドのライヴに連れてきて
終わった後にトムが「どうだった?」って訊くと
「なかなかよかったよ」とノアくんが答えたということをトムがかつて嬉しそうに言っていたのを思い出す。
でも最近トムは離婚したってことを知って、ノアくんとかとはなればなれになってしまったんだろうかと思うと
そのことがこのアルバムに大きく関係していることがすごく納得がいくし、よけい悲しくもなる。

気が抜けたようなアルバムになったのは当然なんでしょう。
そんな簡単にカタルシスなアルバムを作れるものじゃない。

それにしてもまだ誰の評価もしっかり読んでないけれども、なんだか読むのが恐ろしい。
いい評価でもショックだし、悪い評価でもショックだし、こんなに悩ませるアルバムを出してくれたことは
喜ばしいことのように思える、なんだか複雑な心情でいます。

でも19年前に初めて聴いて衝撃を受けてから、19年後の今もこうして新作をだしてくれているということが
とても嬉しい。



少しみんなのレビューを読んでみたのですが、大変落ち込んでしまった……
一つは今回の新作は過去の寄せ集めの曲が数曲か入っているということにまず落ち込んでしまった。
できるなら過去の作品のアレンジはほかのオリジナルアルバム以外に入れてほしかった。
でも入れた理由がこの曲をどうしても入れたかったからならいいのですが。

なんかそういうことを思っているとレディオヘッドの作品に不満なのではなくて、
自分に対して嫌になってしまい落ち込んでしまった。
ライヴで聴いたらどんな感じになるのだろう。
ライヴで聴いてみたい。

自分が絶賛できない作品を絶賛している人がいると妙に落ち込んでしまう。
落ち込んで前作の「The King of Limbs」を聴いているけれども、やっぱり良いんだよなぁ……
重い作品ではないのに十分カタルシスを感じられる。
このポップさの中にカタルシスを起こすというのはものすごい才能がないとできないと思うんです。
嗚呼、胸が苦しい。
これじゃまるで初めて「KID A」を聴いた日のあの絶望的な胸の苦しさのぶり返しじゃないですか。
キッドAの凄さがわかったのも随分後だったから、この胸の苦しみは良いものとして取っておきましょう。

新作は音のメリハリが非常に少ないのだな。だからのっぺら感がある。そりゃ難解だ。
でも少ない音で表現するというのは凄いことだな。
そうか、表情を失くしたんだ、今回初めて。
KID Aにでさえ僅かな表情が見え隠れしていたのがまったく見えなくなってしまったんだ。
あのジャケットは表情を失った月が自分の顔を映した水たまりだったのか。
だから悲しく寂しい作品なのに重さがまるでないんだ。
中に空気しか入ってない風船のように軽い。
あんまり軽いからちゃんと紐で括り付けておかないとすぐどっか飛んでってまうんやろな。
って14時半から書き始めて今17時半やんけ。何時間書いてるねん。

やっぱり二曲目「Daydreaming」はだんとつ美しい。
これを今日は貼り付けましょう。

Radiohead - Daydreaming


これが入ってて良かった……
もうこの曲一曲だけでもこの作品は駄作になどできるはずもない。
PVを観て、泣きたくなってしまった。
なんて深い表情を、寂しそうな悲しい表情をしているんだろう。
47歳には見えない、歳以上に老けて、まるでアブラハムのようだ。
いったいどんな苦しみや悲しみを知っている人なのだろう。

この曲は本当に素晴らしい。しかし重くない。
綿毛のように軽い。ふわふわしている。
どこにも根付かない。すべての感情を失う。
しかし寂しさと悲しみだけが残る。
自己を失い、自己の感情を失い、寂しさと悲しみだけが浮遊し残ったような世界。
なんてアルバムを作ってしまったんだ。
これも生霊アルバムだ。
取り敢えず私たちにできること、聴き倒すことをするしかあるまい。
するときっとその月形の水面に何かが見えてくるだろう。

って今、月形のプールをぼんやり思い浮かべながら9曲目のPresent Tense聴いてたら鳥肌立ったぞ?
も、じぶんが、わっかんない。やっぱり音楽は何回も聴かなくちゃ、わっかんないな。

雨が静かに降ってきて、雨の匂いの中、最後の曲が静かに終わろうとしている。
終わってしまった。
静寂が、続いている。







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7 コメント

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Unknown (nao)
2018-08-17 23:31:44
あまねさん!こんばんは!本当にお久しぶりです!スーパーで仕事を初めた頃から1年半年前から自分のパソコンが壊れてしまい修理に出すには、5万円くらいかかるので諦めています。これは末娘のタブレットからコメントしています笑。あまねさんのブログは娘のタブレットを借りた時にこそこそ盗み見していました笑スーパーのパートは9月いっぱいで諸事情で辞めます。10月からのんびり過ごします。近々パソコンを修理したらあまねさんのブログにどんどんコメントしようと思っています。私は最近トムとグリーンウッドが山で演奏しているCR78機材?を入れてる曲にめちゃくちゃ癒されています。
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ナオさんへ (あまね)
2018-08-18 20:18:17
ナオさん、大変御無沙汰でしたがお元気でしたか?
御孫さんと離れるという話を聴いていましたし、色々とコメントが来なくなったことに心配でしたが、またコメントいただけて安心して本当に嬉しいです。
ブログは携帯からも読めるのですが、携帯は持たれてないのですか?
今なら安いノートパソコンだと2万円台でもありますよ。
でもノートパソコンは壊れやすいのもありますからデスクトップを修理するか買うほうがいいかもしれませんね。
ずっと使ってないFireっていうタブレットがありますから良かったら送りますよ?
あれからずっと同じ職場で頑張っていらして 、10月からのんびりと過ごされる御予定なのですね。


わたしのブログはなんだか段々と過激に遣りたい放題になってきていて、最近では嫌がらせや厭味を言う人ばかりからコメントが来るようになって虚しい想いになって、創作意欲もなかなか出てこなくてずっと落ち込んでいました。
嫌がらせが原因でコメントを承認制にしました。(嫌がらせのコメントはほとんど公開していません。)
ちゃんと送れたか毎回不安だと想いますが、必ずコメントを逃さないように気をつけますので、いつでも気軽にコメントして来てくださいね。

「 トムとグリーンウッドが山で演奏しているCR78機材?を入れてる曲」ってどの曲でしょうか?
ROLAND CR-78 ってシンセイサイザーですか?
使っている機材のことまで関心のあるなおさんはマニアックで良いですね(笑)
好きな機材の音ってありますもんね。
あんまり音楽の記事は更新できてませんが、ナオさんにお薦めの音楽があれば気楽に記事にして行くのもいいかなと想いました。

こないだはLEO今井のライヴに行って来て、とても良かったです。
それで今度はディアハンター(Deerhunter) と わたしの師匠である町田康の新バンドの汝、我が民に非ズ のライヴのチケットを買ったんですよ。
ナオさんはライヴなどは行かれないですか?
わたしは難聴と心臓が弱いのもあって結構危険な行為なんですが、これだけは行きたいと想うライヴにはまたこれから耳栓を持って観に行きたいと想いました。
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Unknown (nao)
2018-08-19 15:32:16
あまねさんのコメントにめちゃくちゃ感動しています。私は3年前にくも膜下出血で倒れ4ヵ月入院していました。後遺症は全くないのですが未破裂動脈瘤を5cm未満ですが抱えているのでその後、保護を受けています。孤独に耐えられず仕事に出ましたがやはり無理は禁物でパートを辞めることにしました。その後はまたフルで国のお世話になろうと思っています。私のPHSはインターネットに接続していないので、不自由です。ワイモバイルはPHSが2年後にはなくなるので携帯に切り替えますがその時にインターネットに接続しようと思っています。孫は高校卒業まで私が面倒を見ることになりました。娘からは養育費をたんまり貰います笑。あまねさんの師匠の町田さんは芥川賞作家なんですね。全く知らなくてすみません。あまねさんと話したいことありすぎて大変です。あまねさん心臓大丈夫ですか?
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Unknown (あまね)
2018-08-19 17:24:53
ナオさんこんにちは。

そんなことがあったんですね…無事でいられて本当に良かったです。
パートを続けておられる間も不安であったと想います。
社会に出ないことの苦しみも多いと想いますが、無理をして出られるのは良くないですね。

わたしはWIMAXでパソコンと携帯を繋げています。
通話用SIMカードも入れたスマートフォンを使っていて(ネットはWIMAXで二台以上繋げられます)、月々7千円弱ですからこれも結構掛かりますが、パソコンと携帯をキャリア端末でパケット放題などで使うよりは安いかもしれません。

お孫さんはこの先も一緒に過ごされることになったのですね!
それは大変に喜ばしいことです。
ナオさんは感性が豊かで優しくて同時に少女のように純真さを感じますから、ナオさんに育てられるお孫さんにとってとても良い環境と教育になると想います。
わたしも4,5歳の頃に祖母の家に預けられていたのですが、いつも側にいてくれた祖母のことを想いだすと穏かな気持ちになります。
祖母のいる部屋にいつもわたしが行って、そこが祖父の仏壇があってお線香の香りに満ちていたので、懐かしみたくてお線香の匂いが恋しくなるほどです。

わたしの師匠は2010年に「告白」という小説を読んで以来、町田康という作家です。
彼は若い頃からのパンク歌手でもあります。
こないだLEO今井のライヴと同じ日に、師匠のトークショーにも出掛け、7年振りにサインの後に握手して貰えました。
7年前は師匠はとても無愛想で不機嫌で、その際にお手紙を渡したのですが、わたしがあんまり威勢よく握手して貰いながら興奮して「ありがとうございました!!」って言ったので彼は少し驚いた顔をしていました(笑)
そのことがずっとトラウマ的で、今回また不機嫌だったらどうしよう…という気持ちで不安でいっぱいだったのですが、サインをして貰ったあとにわたしが無言で師匠を不安げな顔で見つめて突っ立ってると(笑)師匠がものすごい自然に笑顔になってくださって、わたしは嬉しくって握手しながら笑顔で感動に震えながら「七年振りに会いに来ました。」と伝えました。
本当に行って良かったです。
町田康師匠は死ぬ迄わたしのたった一人の師匠で在り続けると想います。


心臓はなんとか頑張ってくれていますね。嫌がらせのコメントを見ると必ず動機がなかなか治まりませんが、もう彼とも終りにすることをさっき告げました。彼には此処何ヶ月とずっと苦しめられ続け、彼とはもう関わらないことにしました。(彼とは負のカルマがあったのかもしれませんが、その幾つかは清算されているかもしれません。)
心臓の為に「アルジュナ」というサプリメントも摂ったりしています。

すこし長文になってしまいましたが、なんでも話したい事を気兼ねなく話してくださいね!
返信はいつでも構いませんから、気負いされなくて大丈夫です。
わたしも本当にマイペースで好き勝手に自分の表現したいものだけをずっと表現し続けています。
過激な表現(暴力的な表現など)も多いですが、フィクション(表現という創作品)として読んで貰えたらと想います。
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ナオさんへ (あまね)
2018-08-21 01:13:31
「懺悔室の明り」のコメント欄にコメント戴いたのですが、作品はわたしにとって特別なものであり、できれば作品のコメント欄は作品に関する感想などだけ公開して行こうと想っていますので、こちらのほうで返信させて戴きますね。


ナオさんのコメント
「娘のタブレットからこっそりブログを見たりコメントするのはやはり良心の呵責に苛まれるので、控えようと思いました。私自身のネット環境が整いましたら堂々とお邪魔します!あまねさんのこと心より応援しています。」


こっそり勝手に使うのは気が引けますよね(笑)
ナオさんのコメントをまた待っていますね。
応援してくださり本当に有り難いし嬉しいです。
ナオさんありがとう!!
わたしもずっとナオさんが真の幸福に至ることを祈り続けてナオさんの人生を応援しています。
ナオさんとの御縁に神に感謝しています。

それではまた御話できる日まで。
御元気で!
返信する
nao (Unknown)
2018-08-21 02:20:36
こんばんは。またまたこっそり(笑)あまねさんの毅然とした態度に感動しています。作品のところに移動致します。
返信する
Unknown (あまね)
2018-08-21 14:13:47
ナオさんこんにちは。

毅然とした態度に観えるのかも知れませんが、わたしは本当に臆病者なんです。
相手も自分自身(彼自身)に言っていると感じるのですが、わたしは相手から言われる言葉もすべて自分が自分に言ってるように聴こえてしまうからなんです。
だからこの世界で嫌悪する者も見下す者も自分ひとりしかいないんだと相手にも言うのですが、相手はそれを理解したくはないようです。
嫌悪する相手も見下す相手も自分自身であると想うことが苦しいからです。
そういう意味では彼はわたし以上に臆病者であるのかもしれません。

傷ついているからこそ人に嫌がらせをすることがやめられないのだと想います。
わたしは人を傷つけるために表現を決してしていませんが、わたしの表現はノンフィクションの形をとるものも多いですし、過激な表現によって傷つく人は多いように感じています。
彼の言うほとんどは厭味なのですが、彼自身はそうではないと否定します。
互いに「あなたを傷つけるつもりはなかった」ことを譲れないのです。

でもわたしの表現はすべてが個人に対してのものでも社会に対してのものでもなく、自分自身に向けてのものです。
彼の言葉はすべてわたしに向けての言葉です。

あまりに苦しくて彼に何度もコメントを書かないでくれと言ったのですが、何一つ、彼には通じないようです。
挙句の果てにその苦しみを訴えると「狂人」呼ばわりされ、「まず会話にならない。 長文すぎて、まず読まないです。」というコメントも彼はしてきました。
彼は人の苦しみに全く聴く耳を持てない人のようです。

彼は何度かわたしの作品を褒め称えたのですが、その言葉も今となっては全く信じることもできません。

イエスは「 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい 。」と言いました。
そして「なぜ、兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にある塵を取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にある塵を取りのけることができるだろう。」と言いました。

この言葉は彼から迫害され続けているわたしだけに必要な言葉ではなく、迫害をし続ける彼の為にも必要な言葉です。

人間には前世のカルマというものが存在していることを信じているので、どちらが先に相手に悪を為したかはわかりません。
だから自分はすべてにおいて正しい、自分に罪はないなどと胸を張って言える存在など一人もいないのです。

わたしは人を苦しめる為の表現をしているわけではないのですが、わたしが表現しようとしているものは人の苦しみであり、悲しみです。
人間の愚かさを表現して行きたいのです。
人間の愚かさとは何よりも苦しく悲しいものだからです。
そこが彼には言っても全く通じません。彼は表現がなんであるかさえわかっていません。
すべてはノンフィクションで、わたしの本音であるとしか想っていません。
わたしは自分が何者であるかなど、何一つわかりません。
だから自分を表現しているわけではないのです。
自分を表現することなど、自分をわかってもいない存在が表現することは不可能です。

だからわたしはいつも言っています。ただただ降りてきたものを表現しているだけだと。
何者かが、わたしに言葉を与え、わたしに書かせているに過ぎないのだと。
その言葉はわたしのものではありませんが、わたしが書いて表現した以上はすべてがわたしに責任があります。
人間とは、そういう存在であるとわたしは想っています。その行為はすべて自分が全責任を負わなくてはならないのです。

彼は自分の想う生き方が人間すべての生きるべき生き方だとでも想っているようです。
自分ひとりでそう想っているならいいのですが、苦しんでいる人間にそれを押し付けることを彼はなんとも想っていません。
現代に引き籠りがどんどん増えて来ているのは彼のような身勝手で鈍感な人たちがこの社会を支配しているからだと想っています。

彼から何度かわたしが引き籠っていることを「もったいない」と言われたのですが、わたしは彼のように人を欺いて人に厭味ばかり垂れて生きることのほうがよっぽど限りある人生を虚しく使っているように感じます。

自分の想う道以外、彼は人が生きることを認められないのです。
わたしが好きで引き籠って暮らしていることが彼には何を言っても理解できないのです。
彼はわたしの重い鬱症状も理解できていません。

虚しいばかりですが、世の中にはそんな人たちのほうが多いように感じています。
わたしは一生懸命に自分の遣りたいことだけを頑張って生きているのですが、そんな生き方を認めない人たちばかりだと感じます。

でも不思議なのはここまでの執拗な厭味を言い続ける人間は彼一人だということです。

想うのは、もし彼のような人が親なら、わたしはどのように生きてきたのだろうということです。
わたしは一人、そんな親を持った男性を知っています。
彼は30歳を超えても一人で引き籠って生きている人です。
母親を物凄く憎んでいます。
あまりに鈍感であまりに無神経な母親に対して日々愚痴を募らせて苦しみ続けています。

わたしは前にも、「あなたが親でなくて本当に良かった」と彼に言ったのですが、彼はそれでもまだわからなかったようです。
まだ自分の善意(厭味もしっかり添えた)のアドバイスを聴かないあなたはおかしい。と言ってくるばかりです。

わたしはこんな親からやんやとしつこく御節介の連絡をされる子供の気分が少しわかるような気がします。

気付けば彼への愚痴ばかり話してしまいましたね。
彼にはもう返信しないと自分に誓ったので、どうしても鬱憤を他に聴いてもらいたいようです。

返す言葉が大変難しいでしょうから、ご返信はなくて構いません。
彼はどんな人が真剣に書いた文章でも文章が長いと言うだけで読む気が失せる人間だそうですから、このコメントも読まないと想います。
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