あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

娘たち

2018-05-27 00:02:37 | 想いで
わたしが18,9歳の頃、最愛の父と自ら離れ、16歳上の姉の家で暮らしていた時があった。
姉の引っ越した古くて狭い集合住宅で4歳ほどの姉の息子の面倒を見て暮らしていた。
姉は毎朝、化粧台に向って化粧をしながらわたしに話し掛けていた。
わたしが依存していた父との関係が悪化し、精神状態が限界に来たことで姉が心配し、わたしを引き取ったのだ。
姉は優しく、わたしの傷に理解を示してくれて貧しい母子家庭の家でわたしを養ってくれていた。
しかし今想えば、姉は仕事に行っている間の息子のお守りをしてくれる人間を探していたからなのだろう。
今、妹を自分のうちで暮らさせるなら、息子の世話もしてもらえるし、妹の精神状態も良好になるかもしれない。
一石二鳥だ、姉はそんなことを考えていたかどうかもわからないが、すんなりとあの時、わたしを家に引き取った。
わたしは姉の家で、一日中なにをして過ごしていたか、憶えていない。
毎晩姉が帰るまでに夕飯を作り、姉が帰るのが遅い時間だったので甥と二人で食べていた。
一夜だけ、記憶に残る夜がある。
わたしはその晩、八宝菜をたしか作っていた。
幼い甥はいつものように部屋でおもちゃを散らかして一人で遊んでいた。
わたしは甥にご飯が出来るまでに片付けるんやで。と言い聞かせた。
夕食が出来上がり、さあお皿に盛って、テーブルの上に持って行こうとしたら。
甥はまだおもちゃを散らかしたままうたた寝をこいており、まったく片付けていなかった。
わたしはその晩、何故か酷くいらいらとしていた。
まだほんの小さなすやすやと眠っている甥を揺り起こして、わたしは怒りをぶちまけた。
なんで片付けてないん?!片付けな、ご飯食べさせへんってゆうたやろ?!
幼い甥は吃驚して目を醒まし、その瞬間、わんわんと声を上げて泣いた。
その後、のそのそと甥はわたしの睨みつける中にたった一人で片づけをしていた。
わたしは未だにその時のことを想いだすと、甥が可哀想になり、謝ることしかできない。
姉のいない時間、甥はどんな想いで病んだわたしと二人で過ごしていたのだろう。
わたしは好きでここに来たわけではなかった。
ただ父の側に暮らすことが、堪えられなくなり、姉がそれを見かねて仕方なくわたしを預かったのだ。
わたしは父と離れ暮らす間、楽しかった記憶は何もない。
それでも姉は毎朝、仕事に行く前にわたしに心配そうに話し掛けてくれた。
酷くわたしに気を使っていたに違いない。
わたしはあの期間、本当にそれ以外の記憶がない。
それほど抜け殻のように過ごしていたのだろう。
どれくらいそうして姉の家で暮らしていたかも憶えていないが、ある日、電話が掛かってきた。
わたしが受話器を取ると、お父さんの懐かしい声が聞えた。
「元気でおるんか」と、力ない声でお父さんはわたしに言った。
わたしは確か泣きながら答えた。

「帰ってこおへんか」と、父はわたしに寂しそうな声で力なく言った。
わたしはぼろぼろ泣きながら、「帰る」と答えた。
それを姉に伝えたとき、姉はとても複雑な顔をしていた。
姉の苦しみを、わたしはそのときは想像もできなかった。

父は末っ子のわたしを一番に心配して、可愛がってもいた。
それはわたしが一番に心配を掛けさせたからでもあったが、母親のいない不憫さもあっただろう。
長女の姉は一番に父に厳しく育てられ、門限を少し破っただけで「夜鷹(ヨタカ、売春婦の意)」とまで罵られた。
姉もわたしと意味は違っても、父の愛に飢えてきた娘の一人だった。
わたしのことを想って、わたしを助けるためにも預かったのに、すんなりと家に戻ろうとする妹に、腹が立ったはずだ。

わたしはそれでも、何度と姉の家に世話になった。
一度は父がわたしが家を出たことに悲しんで寝たきりになり、風邪をこじらせてしまった。
確かそのときは姉も、「おまえが家を出たからお父さんがこんなことになったんやで」と優しく悲しく言った。

今も姉の暮らす府営住宅の団地に暮らしていたときに、父がわたしに会いに遣ってきた。
確か20歳を過ぎた頃だったと想う。
あの時はマンションの上の階に住む美少年の男の子が引っ越したことによる大失恋もあって、完全な寝たきり状態となっていたので、姉がわたしをまた引き取ったのだ。
上の階に住む玉栄君とは、特に関係があったわけではないのだが、まだ中高生の彼はわたしの名前や年齢を母親を通して訊いて来たり、回覧板を届けるときに何か言いたげにわたしを見つめることくらいがあるばかりであった。
わたしは勝手に想われているのだと想ってわたしも想い続けていた。
引っ越す日には何度とチャイムが鳴らされたが、わたしは父とのことで寝たきりであったので出ることはなかった。
父は突然、姉の家にいるわたしに会いに来た。
ドアを開けて父の不安げな顔を見たあの瞬間の、あの、まるで離れていた長年の恋人に再会したような感覚を今でも憶えている。
その感覚はこれまで父と離れて父から電話が掛かってきた時も同じだった。
わたしは本当に、胸がすくような想いで、もうこれで、わたしはまた家に帰るのだと確信した。
父があんな悲しげな顔で迎えに来て、帰らないでいられるはずがない。
わたしは父と二人きりで、姉の家でいつも姉と観ていた「ポピーザぱフォーマー」を観た。
無声アニメであるし、どこかこのかなりのシュールな闇の深い笑いは父にも通じるのかと、結構冷や汗かきながら気まずい想いで一緒に観たが、父は意外と、「けったいなアニメやな」と言って気に入ったようですこし一緒に笑って観てくれた。
ポピーが宇宙人をバックドロップ(正確にはジャーマンスープレックスという技らしい)して決める瞬間、わたしは父の前で笑った。

Popee the Performer 28 Alien


確かこの回を、父と一緒に観たと想う。
今観ても、本当に不思議な世界観で、この現実世界と丸っきり切り離されているようなアニメだ。
多分このようなどこか根本的なところで世界がぷっつりと切り離されているようなアニメは日本人しか創れないのだろう。

わたしはその晩、父と一緒に家に帰った。
家に帰った後も、わたしの状態は快復しきることはなかった。

そのわずか二年後の2003年12月30日に、父は帰らぬ人となった。



実感が未だにまったくないが、父とこの世界では会えないことは、確かである。