ここんとこ、毎日のように動悸が激しく、目が覚めた瞬間から動悸に苦しめられている。
今朝も目が覚めて、動悸が苦しく、起きて何度か豆乳や水を飲んだのだけれども、
動悸が一向に治まらないどころか、激しくなってきて、脳から何かプチプチという嫌な音が
何度も聞えてくる始末で、これはマジで、突然死するかもしれん。
そう不安が頂点に達し、ようやく、市役所に電話を掛けた。
ケースワーカーの人に電話を掛け直してもらい、事の旨を伝えた。
そしたらば、検査のための病院に着いて行く事はできるけれども、
月曜日とかになると言われ、そんなに不安なら、救急車を呼ぶのが良いと言われた。
わたしはその前に、一応姉に連絡してみると言って、電話を切った。
姉とはもう、何ヶ月と仲直りが出来ない状態で、電話しても取って貰えないと想ったが、
一応電話して、留守電に入ったので切って、
スカイプのチャットから動悸がずっと治まらないのだが救急車を呼んだほうが良いだろうか
お姉ちゃんは車で病院に連れてって貰えないか。という旨を伝えた。
するとすぐに電話が掛かってきた。
姉は「救急車を呼びなさい」の一点張りで、何か、電話を掛けたこと自体迷惑そうに聞えた。
ほな、そうするわ。とわたしは言ったが、悲しみが爆発し、
「こずがどうなってもええん?」と泣きながら涙声で叫ぶように言った。
「こずが死んでもどうでもええん?」と言っても、
「わたしはそれどころやない。おまえを助ける余裕が今はない」という言葉を冷たく言われ、
わたしはさらに怒りの悲しみが爆発し、「今でもこずがお父さん殺したんやて想ってるん?」と
マジで大声で泣き叫んだ。
泣きながら叫んだので、言葉をちゃんと発せておらず、
姉は「なんてゆうてんのか全然わからん」と何度も言って困っていた。
わたしは何度も泣き叫び、ようやく伝わったようで、
姉は「そんなこと今なんの関係もない」と言った。
わたしはこの言葉にさらにブチギレて、それまでよりもさらに大声で泣き叫んだ。
「お姉ちゃんのその言葉(わたしのせいで父は死んだと何度と言われた言葉)でこずはずっと苦しいねん!!!」
その瞬間、電話が切れた。
わたしは自分でも吃驚したが、そのあと、やけにすっきりとし、動悸までもが、落ち着いたのであった。
そして人間というのは、やはり感情の限界に来て、感情が爆発すると、泣き叫ぶのだなとこれまで何度も
泣き叫んだ過去を想いだし、泣き叫んだのは2010年以来やな、と追懐した。
2010年、当時の恋人との喧嘩で、夜中にわたしの5階の部屋から自分のノートパソコンを下へ放り投げ、
さらには洗濯物が掛かっていた物干し竿も下へ放り投げ、それを二人で拾いに行ったとき、
彼は一緒に下まで下りてくれたものの、自分一人で拾ってきなさいとちょっと父親みたいに言った為、
わたしは悲しみが爆発し、まるで幼児のようになって「厭だーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
と泣き叫んだのである。
あのときも自分でも吃驚した。叫びながら、おいおいと自分で想いながら叫んでいたのである。
そしてあの時も、すっきりした感覚になったことを覚えている。
人間とは、泣き叫ぶことが、一気にそのストレスを解放できるようである。
しかし中には、どれほど泣き叫んでも苦しみが変わらないことも過去にあった。
ちなみにその一度は処女を失った夜のことである。
そのときなんかの苦しみに比べたら、まあしれているということである。
ここのところ、ずっと寝たきりな感じであったが、叫んだ後はこうして椅子に座って今これを打ち込んでいるのだから、
気力も上げる効果があるのかもしれない。
これからは意図的に、泣き叫んでみる、ということも遣ってみようかなと考える。
で、まだ脳内のプチプチ音は聞えてくるのだが、動悸はマシのようである。
ただもう死は、そこまで遣って来ているかもしれぬ。
それほど脳内のプチプチ音と動悸の連日は、死を予感させるものなのである。
これは完全に、精神的ストレスから来ていると考えられる。
俺の最近の最大のストレスは、何者かわからん奴の、嫌がらせ的な悪質コメントである。
おい、わかってんのか、おまえ、俺がおまえのストレスによってほんまに死んだら、
突然死の場合、俺の飼ってるうさぎのみちたは餓死することになる。
おまえは俺とみちたを殺したその罪を、負って生きるということになんねんぞ。
わかってんのか?俺のブログにふざけたコメントをする人間は、命懸けでコメントしてこい。
おまえのその罪は、おまえも殺すかもしれない。
それほど俺は、きれぎれな状態で生きている。
因果応報(因果律の法則)を、忘れるな。
その後の姉とのスカイプ
どないやねん。
人間が、わからない。
今朝も目が覚めて、動悸が苦しく、起きて何度か豆乳や水を飲んだのだけれども、
動悸が一向に治まらないどころか、激しくなってきて、脳から何かプチプチという嫌な音が
何度も聞えてくる始末で、これはマジで、突然死するかもしれん。
そう不安が頂点に達し、ようやく、市役所に電話を掛けた。
ケースワーカーの人に電話を掛け直してもらい、事の旨を伝えた。
そしたらば、検査のための病院に着いて行く事はできるけれども、
月曜日とかになると言われ、そんなに不安なら、救急車を呼ぶのが良いと言われた。
わたしはその前に、一応姉に連絡してみると言って、電話を切った。
姉とはもう、何ヶ月と仲直りが出来ない状態で、電話しても取って貰えないと想ったが、
一応電話して、留守電に入ったので切って、
スカイプのチャットから動悸がずっと治まらないのだが救急車を呼んだほうが良いだろうか
お姉ちゃんは車で病院に連れてって貰えないか。という旨を伝えた。
するとすぐに電話が掛かってきた。
姉は「救急車を呼びなさい」の一点張りで、何か、電話を掛けたこと自体迷惑そうに聞えた。
ほな、そうするわ。とわたしは言ったが、悲しみが爆発し、
「こずがどうなってもええん?」と泣きながら涙声で叫ぶように言った。
「こずが死んでもどうでもええん?」と言っても、
「わたしはそれどころやない。おまえを助ける余裕が今はない」という言葉を冷たく言われ、
わたしはさらに怒りの悲しみが爆発し、「今でもこずがお父さん殺したんやて想ってるん?」と
マジで大声で泣き叫んだ。
泣きながら叫んだので、言葉をちゃんと発せておらず、
姉は「なんてゆうてんのか全然わからん」と何度も言って困っていた。
わたしは何度も泣き叫び、ようやく伝わったようで、
姉は「そんなこと今なんの関係もない」と言った。
わたしはこの言葉にさらにブチギレて、それまでよりもさらに大声で泣き叫んだ。
「お姉ちゃんのその言葉(わたしのせいで父は死んだと何度と言われた言葉)でこずはずっと苦しいねん!!!」
その瞬間、電話が切れた。
わたしは自分でも吃驚したが、そのあと、やけにすっきりとし、動悸までもが、落ち着いたのであった。
そして人間というのは、やはり感情の限界に来て、感情が爆発すると、泣き叫ぶのだなとこれまで何度も
泣き叫んだ過去を想いだし、泣き叫んだのは2010年以来やな、と追懐した。
2010年、当時の恋人との喧嘩で、夜中にわたしの5階の部屋から自分のノートパソコンを下へ放り投げ、
さらには洗濯物が掛かっていた物干し竿も下へ放り投げ、それを二人で拾いに行ったとき、
彼は一緒に下まで下りてくれたものの、自分一人で拾ってきなさいとちょっと父親みたいに言った為、
わたしは悲しみが爆発し、まるで幼児のようになって「厭だーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
と泣き叫んだのである。
あのときも自分でも吃驚した。叫びながら、おいおいと自分で想いながら叫んでいたのである。
そしてあの時も、すっきりした感覚になったことを覚えている。
人間とは、泣き叫ぶことが、一気にそのストレスを解放できるようである。
しかし中には、どれほど泣き叫んでも苦しみが変わらないことも過去にあった。
ちなみにその一度は処女を失った夜のことである。
そのときなんかの苦しみに比べたら、まあしれているということである。
ここのところ、ずっと寝たきりな感じであったが、叫んだ後はこうして椅子に座って今これを打ち込んでいるのだから、
気力も上げる効果があるのかもしれない。
これからは意図的に、泣き叫んでみる、ということも遣ってみようかなと考える。
で、まだ脳内のプチプチ音は聞えてくるのだが、動悸はマシのようである。
ただもう死は、そこまで遣って来ているかもしれぬ。
それほど脳内のプチプチ音と動悸の連日は、死を予感させるものなのである。
これは完全に、精神的ストレスから来ていると考えられる。
俺の最近の最大のストレスは、何者かわからん奴の、嫌がらせ的な悪質コメントである。
おい、わかってんのか、おまえ、俺がおまえのストレスによってほんまに死んだら、
突然死の場合、俺の飼ってるうさぎのみちたは餓死することになる。
おまえは俺とみちたを殺したその罪を、負って生きるということになんねんぞ。
わかってんのか?俺のブログにふざけたコメントをする人間は、命懸けでコメントしてこい。
おまえのその罪は、おまえも殺すかもしれない。
それほど俺は、きれぎれな状態で生きている。
因果応報(因果律の法則)を、忘れるな。
その後の姉とのスカイプ
どないやねん。
人間が、わからない。