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あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

「人類:誰を愛し、誰に気を配ったらいいのか、知っているのか」

2016-11-11 22:51:00 | 存念
「米諜報機関:日本で盗聴してきたし、今もしているし、これからもする」


諜報活動と世論操作


スノーデンは、「彼らは、皆さんの信仰、皆さんが誰を愛しているのか、誰に気を配っているのかを知っています。

私の仕事は、あらゆる人間の人生の状況を描き出すことでした」と語っているが、米国は、日本国民の固定電話、スマホの盗聴はもちろん、ソーシャルメディア上の表現はすべて監視している。

スノーデンが、日本については、「プライバシーの問題への市民の関心度が薄いことや、政府に対する市民のコントロールが弱いことが、いま日本の前に立ちはだかる深刻な問題だ」

と述べているのは、まったく同感である。結局、最後は人の問題に行き着く。
日本のように新聞・テレビを鵜呑みにする国では、「洗脳」や「監視」といった概念自体が成立しにくくなっている。





米国は日本の多くの情報を非合法に収集している



「どうして日本政府は公に抗議しないのか?」とスノーデンは疑問をぶつける。

「もし抗議しないのなら、それは自ら進んで不適切な扱いを受け入れているのと同じことです。

自分で自分に敬意を払わないで、どうしてだれかに敬意を払ってくれるよう頼めますか?」



スノーデンの言いたいこともこのブログを書かれている方の言っていることもよおくわかるのだけれども
自分が思うに「盗撮、盗聴するのやめてほしい」とはっきりと抗議して自分のプライバシーを護ることと、「自分への敬意」、「自分を護ろうとすること」が違うことなんじゃないかということなのだが、実際多くの人は自分の全てが覗かれて監視されていたと知ればやはり傷つくだろうと思う。

自分も最近バシャールという異星人の本を読んでいて、そこには地球人はずっと何千年何万年と異星人に観察され続けていると書かれてあったし、またSims3というある意味「覗き見、監視、観察」ゲームみたいなゲームを一日中やっているからか、「すべての人類の脳内の思考が監視されている」という社会になっているという世界に生きる夢を前に見て恐怖を覚えたし、誰かに一日中監視され続けているかもしれないという可能性を考えることへの嫌な気分や、恥ずかしい気分や、やめて欲しいかもという気分を感じることが良くある。

自分もどちらかと言えば「監視されていたい人間」より、「監視されていたくはない」人間なのだろう。
そら監視するのが自分自身という別次元の神のような存在であればそれは致し方あるまいと思っている。
むしろ神に監視されているという意識はないよりあるほうが人間は他者に思いやりを持てると思っている。

しかし監視しているのが神ではなく、どこの馬の骨かもわからないような異星人とか、またはどんなおっさんかもわからない普通の地球人であった場合、これは「プライバシー侵害だ」と抗議したくなるのは自然な人情ではないだろうか。

だからスノーデンの言ってることは本当によく理解はできる。
自分だけではなく、愛する家族のプライバシーが覗かれていたら?憤激したくなる人も多いだろう。

プライバシーが何故大事なのか。それは本当に人間にとってそれほど大事なものなのだろうか。

自分に関心がなければプライバシーなんてものを大事にしようとは思わないだろう。
でも自分を愛する気持ちや自分への敬意や自尊心と、自分や自分の愛する存在のプライバシーを大事にする気持ちというのは果たして同じものなのだろうかとここで疑問が湧くのである。

自然な感情として、知らんおっさんに例えば風呂やトイレ中を覗かれ、またそれをネットにばら撒かれたりしたらそれは深く傷つくし、おっさんを憎むだろう。
それはある意味、「自分のプライバシーは護られるべきであり、またばら撒かれるべきではない」と思い込んでいる観念があるからである。

では自分自身、自分自身は果たして誰のプライバシーをも侵害していないと自信を持って言えるだろうか?

プライバシーとは言いかたを変えると「人権のような意識」「その人の嫌がる行為をしないという相手の権利を護ること」だと思う。
「プライバシーを護る」とはその人の「権利を護る」ということである。

だからこれは広い意味ではスノーデンの言ってる「自分や他者への愛とプライバシーをいっしょくたにして考える」ことと同じであるし、上の載せたブログの方が言及している「自分への認識や尊重がそのまま相手への認識と尊重の度合いになる」というようなことと同じようなことになる。

要は個人と個人としてのプライバシーの尊重とは、何も「覗くな、ばら撒くな」と言ったような観念を変えれば特に問題なしという浅い事情だけの問題ではなく、もっと深い意味の「生命を護るという人間にとって大事な意識」として、ここで大きな問題になってくるのだと私は思う。

スノーデンの言いたいことはまさしくこれだろう。
「生命を護るための抗議をしなくてよいのか」ということだと思う。
「iPhoneで盗撮、盗聴されてていいのか?」ということではない。
と私は思っている。


で、ここでまた話を戻すと、では果たして自分自身は誰の生命をも護れているのか?という問題に行き着かねばならないと思う。

自分のプライバシーを護りたい(自分の生命を護りたい)のに他者のプライバシーを侵害(他者の生命を侵害)していてもいいというのか?という問題である。

この問題が実は最も人間としてこの世界で盲点になる問題である。

ここに行き着くことができないのならば、世の中は良い意味で「チェンジ」していくことはないのではないだろうか。

ここで「自分のプライバシーも自分の命もどうでもいい」と思っている人が除外されるかというと、これはされない。

何故なら本当の意味でそういう意識で生きている人は一人もいないと自分は思うからである。
まず人は痛みを感じる生物である。
そして快さというものも感じる生き物である。
人間というのは「未知の痛み」に関してとても弱い。
それは知らないからである。
だから「自分はどうなっても良い」と言い切れる人は一人も存在しないことになる。

「権利」とはこの「未知の痛み」に関して生命を護ろうとする人間の意識でもあると思う。
例えば、「働くことはつらいけど人は働かねばならない」、というのが当たり前として多くの人に考えられているのはそれが「耐えられるつらさ」として多くの人が認識しているからである。
これが多くの人に「耐え切れないつらさ」として認識されていればそれは「当たり前の常識」としての認識ではなくなるはずである。
多くの人はそれを疑問に思うようになるだろう。
それは本当に必要なのか、と。

本当にそんなつらいことを毎日して人は生きていかなくてはならないのだろうか、と多くの人は思うに違いない。
それが世の常識になってしまえば自殺者は恐ろしくも増加するだろう。

周りで知人らが次々に自殺していけば「これは常識ではなく、間違っている」という考え方に変わるはずである。

「権利」が「未知の痛み」を護ろうとする人間の意識である以上、人間はその「つらさ」の度合いを「十分耐えられるつらさ」か、「もう耐えられないであろうつらさ」かを区別して、そこに権利という意識を持っていると思う。

例えば「あいつが俺のプリン食った、俺の権利を護るためにあいつをこらしめることが正しい」という人間がいても、これはあほらしいとして片付けられることが多いだろうが、一方で「あいつが俺の親を殺した、人類の権利の侵害である。あいつを是非こらしめたい」という人間がいれば、これは当然であると思う人間が多いだろう。

これも前者を「十分耐えられるつらさ」として、後者を「耐え切れないつらさ」として認識、想像できてそこにある権利の重要度を区別しているからである。

よって権利に重さがあるのはそこに人間は「つらさの重さを量っている」ということになる。
「自分のプリンは自分で食べられるべき権利」と
「自分の愛する者は護られるべき権利」の権利の重さは違うという認識を人間は自然と持っている。

で、またまた話を戻すと、では果たして「自分自身は他者の権利の何をも侵害していない」と言い切れるのであろうか?という問題である。

誰に対しても、何者にも対しても、「未知の痛み、苦しみ」「耐え切れない痛み、苦しみ」を自分は与えていないと言い切れる人は果たしているだろうか?

直接的に自分が関係して、自分に思い当たることがなくても、人はどこかで必ず間接的に誰かを苦しめているのではないか?

他者というのは人間だけではない。
ここで「他者」という定義を絞ると、自分が相手に対して「護りたい、または護らねばならない」という意識があるかどうかという定義に絞ることにする。
何故なら「護りたいという意識も護らねばならないという意識」も存在しない相手への権利についてここで言及しても、多くの人は耳を貸さないと思うからである。

「他者の権利はどうでも良いが、自分や自分の愛する存在たちの権利だけが大事で護られるべきである」
そんなことを思っている人は侵害され続けるかもしれないが、多くの人は自分や自分の愛する存在の権利を護りたいと思うと同時に「護りたい、護らねばならない」と感じる他者の権利の問題について関心を持つし、それをできる限り護ろうとしていると思う。

だからこの世界で悲劇がどこかで起きれば悲しむ人のほうが多いし、世界は悲劇が減っていくような世界に変わっていって欲しいと望む人のほうが多いと思う。

誰かの悲劇を知ると、自分にも同じような将来の悲劇が起こる可能性という恐怖を人間は無意識に感じるのではないだろうか?

知人が癌になれば自分も将来癌になって苦しむのだろうかという恐怖を感じるものではないだろうか。

つまり「他者の幸福」が「自分の幸福」に繋がり、「他者の悲劇」も「自分の悲劇」に繋がるという潜在意識のようなものを人間は持ち合わせているのではないか。

「他者の権利を護ること」イコール「他者を幸福にすると同時に自分も幸福にする」ということである。
「他者の権利を侵害すること」イコール「他者の悲劇が自分の悲劇に繋がる」ということになる。

こういった宇宙の法則というものをスノーデンは感覚として強く持っている人だと思うし、だからこそ命を懸けてまで人に警告し、人々を護ろうとしてくれている。

多くの人が「自分の権利を侵害」されたら悲しい、苦しい。
でも自分自身を振り返ってみれば、実にこの世界では多くの人が他者の権利を「間接的に」深刻的な状況で侵害し続けている。

それは「肉食と飢餓」で検索すれば知ることのできる真実なのだが
多くの人がこの因果を知らない。

「飢餓で苦しんでいる人たちの権利」と「殺されるために生まれてくると認識されている家畜たちの権利」を差し置いて、人間たちは自分のプライバシー侵害について抗議でき得るだろうか?



多くの人が本当に世界が良くなるようにと願っていると思う。
でも同時に「他者の権利」を残酷に侵害し続けているのは何故なのだろうか?

それはただたんに「肉食」と「飢餓」についての非常に深刻な問題についての情報が広がってくれないことにもあると思う。

この情報を知った途端に深く悲しんで心から後悔しベジタリアンになる人はすごく多いと思う。


情報というものがどれほど大事か、政府やメディアが発信してくれない情報ほど大事な情報ばかりだ。

スノーデン氏は命を懸けて情報を提示してくれた。
そして世界で一番大きいとも言える産業である畜産業という産業についての真実の情報を提示するたくさんの人々が暗殺の危険性などの危うい状態に置かれながらも情報提示し続けてくれているということに感動する。
下記の二つのドキュメンタリー映画は畜産業の深刻な問題と動物の権利というテーマで撮られたドキュメンタリー映画です。







「カウスピラシー」








Earthlings Japanese Subtitle











自分も何かで命を懸けることができればと思う。
それは他者だけの為に生きたいからではなく、同時に自分の為に本気で生きたいからである。





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タップルにログインできない

2016-11-11 17:45:37 | 随筆(小説)
申し訳ない話なのですが、婚カツの為に利用していた「タップル」というスマホアプリにログインできなくなってしまいました。

もうたぶん9月頃から見てなかったと思うのですが、そないだに本気で「いいかも」してくださった御縁のある方がいましたら、是非メールやコメントなどでアクションしていただきたいなと思います。

またそのうち新しくアカウントを作ろうかと思っています。

自分のタイプはエドワード・スノーデンみたいな人なのですが、



どうゆうところがタイプかといいますと、「え、この人、ほんまに現実に存在している人なのか?」というところがまあタイプなんですね。

実は3Dアニメーションで作られたCGキャラクターなんじゃねえの?と密かに思ってるんです。
微妙な外斜視だけれどもこれも左右非対称スライダーで作ったんじゃないのか。という気持ちになるくらいに
この人って実在している人間のように思えない。

だからたぶんスノーデンが目の前に現れて「あっほんまに実在してたんや」とわかった瞬間熱がぷっしゅう~と言いながら冷め切って、「もう帰っていいよスノーデン」と言いたくなるほど好きかどうかはよくわからない。

まあ冗談ですが、本当のところ自分の心理を読むと好きな理由は、「この世の真実を知ってしまった男、命を世界中から一日中狙われている男、悲しい表情をした男」だからなんですね。

自分が知りたいのに知れないことをこのスノーデンという男は知ってると、羨ましいではないか。
そして命を狙われている、これもかっこいいではないか。
命を狙われているのにまだ生きていられてる、これがかっこいい。
すっごい生命力、素敵だわ、生命力がある男。
だからこのスノーデンが目の前に現れて「いっやーぼくのことを好きになってくれまして、ははは、ほんとうにどうもセンクスだよね。うっれしいなー。土産にNSAとCIAお墨付きのレプティリアン地底バージョン弁当持ってきたよ、一緒に食べよう」と言われてちゃぶ台を囲んでレプティリアン地底バージョン弁当を一緒に食べていると、スノーデンがふとこんなことを訊く。

「あ、あのさあーなんで君ってぼくのことが好きなのかい」
すると私はレプティリアンが汗水流して作った弁当を頬張りながら答える。
「そんなこと決まってるじゃぁないか、あんたが世界一生命力ありそうな男だからだよ」

なんてどうでもよい妄想をして楽しんでていいと思っているのか。
しかし妄想は現実になるというからいくらでもしたらいいんじゃないか。

そうして何故かスノーデンは私の答えにスルーして何も言わずに弁当の箱をゴミ箱に捨てに行きくさった。
くっそぉ、あいつなにスルーしとんねん。
腹が立つ。せっかくボケたのにつっこんでくれないなんてこんな悲しい大阪人の俺をどうしてくれる。
「おい、スノーデン、おまえ、大阪人馬鹿にしてんのか」
そう言うとスノーデンはさわやかな笑みを浮かべながらこう言った。
「あっそういえばトランプが当選したね」
くっそお、またスルーされた。やっぱりスノーデンは実在している人間ではないのではないか。
だから生物の言ってることがあまり理解できないんだ。
スノーデンはたぶん生物じゃないんだ。
AIだ、スノーデンはたぶん。
人工知能だったのかあ。人工知能に三次元アニメーションをつけたらこうなったんだ。
まあ自分は日本語で、スノーデンは英語だから互いに相手の言語知ってなくて普通に話しててもさっぱり噛み合わないことが多いんだけれども。

英語を学びたいけれども英語が苦手、とかって英語を勉強する前から言っている、あほかっ。俺はあほかっ。
「スノーデン、あなた日本語を学ぶ気はあるの、ないの、3秒以内に答えないならNSA及びCIAにあなたの居場所を教えるわよ」
そう言うとスノーデンはびびって急いで瞬間的にこう答えた。
「ある!」
おい、通じてたのやないか。
「とりあえず世界一になりたいな、なんかのな」そう言って俺は気絶した。
そして3秒後に起き上がってこう言った。
「スノーデン、君ってまさかレプティリアン?それか、アヌンナキ?それともドラコニアン?なに?ET?地底人?元じゃなくてNSA及びCIA現職員?」
「ぼくは日本人だよセニョール、あ、間違えた地球人だよムッシュウ」
「意味がわからない」

「とりあえずな、教えて欲しい、この世の真実を、俺に、俺だけに教えてくれ全部、全部教えてくれ」
スノーデンは髭を触りながら黙っていた。絶対全部知ってるんだこの男は。くっそお俺が先に知りたかったのに。
「スノーデン、ごめんな、きみと結婚したのはその為なんだよ、俺は全てを知りたかったんだ」
するとスノーデンはきゅるきゅるきゅるきゅるきゅうるるるるるぅんと言いながら爬虫類人間に変身した。
とうのは嘘でごく人間的な表情でこう言った。
「それをぼくが知ってなかたっとでも思ってるのかいジョバンニ」
「俺そんな名前ちゃうぞ」
「ぼくは全てを知ってしまった男だって君も知ってるだろう?ぼくに知らないことなんてないんだよ」
「今俺が履いてるパンツの色もか」
「もちろん」
「通報する」
「それはやめちくり」
「俺が後何分何秒後に屁をこくのかも知っているのか」
「もちろんばい」
「その屁の匂いが何の匂いかも知ってるのか」
「ああ知ってるとも」
「何の匂いだ」
「里芋と玉ねぎとにんにくとしょうがとカレーと葱と玄米とアルチェネロ 有機野菜ブイヨン・パウダータイプ を合わせた匂いだね」
「野菜ブイヨンのメーカーまでわかってるのか、確かに君が家に来る前に食べたカレーに入れたブイヨンはキューブタイプではなくてパウダータイプのほうだった、キューブタイプだとやっぱり匂いは違うの?」
「もちろんさアンソニー」
「誰やねん」
「てかさっき俺がトイレ行ってるときに鍋の蓋を開けたんちゃうのか」
「開けてない」
「ほんまに?なんか鍋を開けた音がした気がしたよ?」
「何故ぼくを信じてくれないのジンジャーティー」
「人名でもなくなってきたぞ」
「ぼくは断じて、開けてない、命を懸けてもいい」
「そんな簡単に命を懸けてはいけないよ」
「ハニー!」
そう言ってスノーデンは俺を力強く抱きしめた。
ここで俺は知ったのだった。
スノーデンはいつもあんなさわやかな顔で命を狙われていたけれども、ほんとうはキレギレだったんだってね、いっぱいいっぱいだったんだろう、誰かに優しく「もう命を懸けるのはよせ、スノーデン、言っちまえよ、言っちまえ、それが真実だろうが、おまえは命かけて真実を知らせる必要などない、違うかね、おまえさんの命のほうが大事とちゃうんかね、ちゃうか?だって殺されちまったらよ、お前の知ったことをずっと後の世になって知らせても安全な時期がきた頃に知らせられなくなる、な、その情報をちゃんと知らせるためにもおまえは今知らせるのは危険とちゃうんか、俺は何が何でもその情報を知らせて欲しい。でもお前さんの命のほうがやっぱし大事やと思うんやんかぁ、やっぱな、人間の命なんてなんとも思ってない連中が情報ほしさに金を払うんだよ、わかるだろ?いくらもらったんだ、教えろ、俺だけに教えろ、命より金が大事とかそんなん悲しい、大事にして欲しいあなたの生命を、だからもう引っ込むんだ、スノーデン、山奥で仙人のように生きるんだよ、そしてみんなが忘れた頃に出てきて、地球を見渡せば、ははは、地球の地上全てが緑色だった、気味の悪い緑色、もうこんなの嫌、そういってスノーデンは過去に戻れるタイムマシーンを発明して過去に戻ってきた実は未来人だったってね、そうだろう?ははは、俺は何でも知ってるんだぜ」そう言ってもらいたいんだろ?
おれはそうテレパシーでスノーデンに伝えるとその瞬間スノーデンの身体はその場から消えて同時に着いたパソコンのモニター画面にいつものあのさわやかな笑みを浮かべた彼の顔が映っていたのだった。




「スノーデンの真実~レプティリアンとお友達バージョン~」  完