私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

昭和41年 -- Wくんのこと

2008-03-27 16:44:57 | 私的「三丁目の夕日」

都電の話題を綴っているうちに、Wくんのことを思い出しました。

小学3年生の国語の時間、先生は笑いながらこんな話をはじめました。「W、隣の○○さんの作文を写しただろ? 『ぼくは』じゃなくて『わたしは』なんてところまで真似たら、すぐにバレちゃうじゃないか(笑)」

Wくんはこんな憎めないところのあるクラスの人気者で、私は小学3年まで同じクラスでした。

別々のクラスになった4年の秋、私は友達から「Wくんが入院した」という話を聞きました。私たちはお見舞いに行くことを決め、お小遣いを出し合って文房具と漫画の本を買い、都電に乗って病院をめざしました。

ベッドの上の彼は、笑顔で私たちを迎えてくれましたが、やはり元気がなさそうでした。私たちは「友達を見舞うために、子供だけで遠出をした」という達成感に満たされていましたが、「元気に登校している友達」を目にしたお母さんを悲しませなかったか、今では少し不安な気持ちです。

数週間後、私たちは再び彼を見舞いました。

付き添っていたお母さんから、一時危険な状態を迎えたことを聞かされましたが、彼は前回と同じように私たちの雑談に付き合ってくれました。

翌朝、教室に現れた担任の先生に「昨日、Wくんの病院へ行ったのは誰だ?」と問われ、ゆっくりと手を挙げた私は「子供達だけで別の学区へ行ったことを叱られるのか」と思いました。

ところが先生は「実は、Wくんが今朝亡くなった」と告げ、教室は静まりかえりました。悲しいはずなのに、涙を流すでもなく、私は無表情のまま黙って先生の話を聞くことしかできなかったように思います。

昨日見舞ったばかりの友人が亡くなったというのに、身近な人の死を経験したことのない10歳の私は、こんな時にどう立ち振る舞えばよいのかわかりませんでした。