十和田南に停車。列車はスイッチバックし、進行方向が変わります。ここにはみどりの窓口やキヨスク、立ち食いそば屋さんもあるそうです。十和田南といえば駅のそば。最後に食べたのは今から30年以上前ですから、現在の味は知りませんが、本当においしいおそばでした。
花輪線の1932D列車は大館を出発しました。16時41分の盛岡到着まで約3時間、138.9kmの東北縦断の旅です。そろそろ疲れてきました。
二度めの昼食は予約しておいた「鶏めし」を、改札口で受け取りました。これがもう絶品。わざわざ予約した甲斐がありました。ご飯はもちろん、おかずの一品一品にいたるまで手抜きがありません。大満足でした。
大館に到着しました。奥羽本線と花輪線の他、大館・小坂間22.3kmwを結ぶ小坂線の駅もありましたが、今月いっぱいで再開の見込みのない休止となるようです。
この駅は何度も利用したことがありますが、駅構内の列車も少なく、以前のような賑わいが感じられません。
花輪線の出発まで、待ち時間わずか44分。鶏めし弁当は買えるでしょうか?
鷹ノ巣に到着。今朝、秋田新幹線が停車した角館とは秋田内陸縦貫鉄道でつながっています。私がまだ小学校に入る前、祖母が倒れたという電報を受け、家族で上野駅発の夜行急行「津軽」に乗った時のことを思い出します。祖母はこの町の病院に入院しており、鷹ノ巣駅で下車したのでした。
二ツ井を出た列車はきみまち坂を右に見て、大館に向かいます。まもなく前山。二ツ井を離れるにつれ、昨夜から私の心の中でうごめいていたものが、急に静かになっていくような気がします。能代、二ツ井。ふるさとを通過するだけの旅でよかったのかどうか。
写真は昭和34または35年の春、家族できみまち坂へ行った時のスナップです。なぜか私は角帽をかぶっています。今の家族の状況を考えると、時の流れを感じます。家族全員がどうにか生きているのに、このような光景は二度とみることができないでしょうから。
列車は二ツ井に到着。この駅で下車せずに通過してしまうのは、私にとって極めて希なこと。昭和36年春、私は家族と共にこの駅から東京へ旅立ちました。その後、小学3年生の時に半年間だけこの町の小学校に通いましたが、東京で育った私には知り合いもいません。残っているのは、歳をとるにつれて薄れる思い出だけ。母の実家も数十年前になくなってしまいました。それにしても、この町の名があんな事件で全国に知られてしまったことが、残念でなりません。