ピアノと海と花との生活 Ⅰ

海まで歩いて1分、大好きなピアノと花との毎日

大音楽家の少年時代 6 ガーシュイン Ⅱ

2006-11-28 | 音楽

9歳の少年ガーシュインが、天才少年といわれたマックスのヴァイオリンをきいてから、

衝撃を受けた彼は、楽器を、特にピアノを習いたいという気持ちが強まり、

全く偶然に友達の地下室でほこりをかぶった古いピアノを見つけ、

それ以来、ジョージはほとんど毎日友達の家の地下へ行っては、

有名なヒットソングを聴き覚えで弾いていました。

そして、12歳になって初めて叔母からピアノのレッスンを受け、瞬く間に上達したばかりか、

不思議に新しいメロディーが自然に表現されていました!

その後、ピアニスト兼作曲家についたジョージは、アメリカの軽音楽に目覚め、

15歳でレストハウスでヒットソングを演奏する仕事を始めます。

そして、初めて、自作の曲が大成功を収め、音楽商会のボスのところで専属ピアニストになり、

次々と自分の曲を出版社に送ります。

そして、1918年、アメリカが第1次世界大戦の勝利国となり、人々が熱狂し、レビューがもてはやされるようになった頃、

ガーシュインは時代の寵児になったのです!

1923年に「パリのアメリカ人」は大ヒット!同じ年にあの「ラプソディー・イン・ブルー」も生まれ、巨額な収益をもたらしました!

上の写真は、「ラプソディ・イン・ブルー」を初演したときの、ポール・ホワイトマン楽団、下の写真は、39歳の若さで没した晩年のガーシュイン。

「ラプソディ・イン・ブルー」の初演は、冒頭の響きが、たちまち聴衆をしびれさせたといわれています。

ガーシュインのお墓の映像があったので、続きは、

’ピアノと海と花との生活 Ⅱ’に移って、最後のガーシュインをたどります。

         

今日は、大変申し訳ないですが、続きは、下の★マークか、’ピアノと海と花との生活  Ⅱ ’の文字をクリックして下さいね!

 

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明日は、その他のニューヨークの写真と、ミニコンサートのご案内が出来ると思いますので、お楽しみに!

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