ピアノと海と花との生活 Ⅰ

海まで歩いて1分、大好きなピアノと花との毎日

大音楽家の少年時代 6 ガーシュイン Ⅰ 

2006-11-27 | 音楽

 

                    

皆さん、フジテレビのドラマ『のだめカンタービレ』ご覧になってますか???

日本のクラシック界の将来を左右するだろうといわれている、このコミカルドラマ。

CDが発売になるやいなや、記録を作ったり、全国的に『のだめ』現象拡がってますね(笑)

私も、第1回目から、しっかり録って、見てます!

このドラマのエンディングに使われている曲、

「ラプソディー・イン・ブルー」を作曲したアメリカの作曲家、ガーシュイン。

今回は、私が1990年に訪れたニューヨークの写真を少し入れて、

ガーシュインの少年時代のお話です。 

ジョージ・ガーシュインは、1898年、ニューヨークでロシア移民の両親の元で生まれました。

父親のモーリス・ガーシュインは22歳のときロシアから移住し、

アメリカで一財産を築こうと、転々と職を変えましたが、失敗。

一家は、ニューヨーク市内を25回も引越しするということになります。

 

ガーシュイン一家では、ジョージが音楽で身を立てようとは、

予想もしませんでした。

音楽を習う男の子を「甘えん坊」と呼ぶこの家の習慣で、

少年ガーシュインも、6歳ごろまでは、家の近くで野球をしたり、ローラースケートで走り回る街の腕白小僧でした。

度重なる引越しで、ジョージはニューヨーク中の道をローラースケートで走り回り!

知らないところはないほどでした!

ジョージが6歳のある日、裸足で125番街をぶらぶら歩き回っていると、

彼は、突然街の電気ピアノの音をきき、釘付けになります。

その後、一家はハーレムに引っ越します。

                                       

上の2枚の写真はハーレム。(バスの中から録っているので、ちょっと影が入っていますが・・・)日付けもそのままにしてあります。

ここで、ジョージはジュークボックスから、流れる音楽に魅せられていきます。

まだ、蓄音機もラジオもなかった時代。

そのジュークボックスからながれる、黒人の演奏するジャズの響きが、

彼の心を離さないようになります。

            ガーシュインの自画像

でも、周囲の人から’甘えん坊’といわれたくないばっかりに、

少年ガーシュインは、音楽に関心があることを人に秘密にしていました。

でもそんな彼に、’事件’が起こります!

スポーツや遊びに対する意欲がうせて、音楽にのめりこんでいたある日、

彼の1つ年下の、神童ヴァイオリストと呼ばれた男の子の公開演奏を聴いたのです!

そこから、ジョージの快進撃がはじまります。 

明日はこの少年ガーシュインが、どうやって、「黄金の20年代」といわれたアメリカを代表する作曲家になったのか?

その39年の短い一生をたどります。お楽しみに!

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こちらもどうぞ!

「ピアノと海と花との生活 Ⅱ」では、「音楽家のお墓」シリーズで、

残念ながらガーシュインはお墓の資料がないので、北欧に飛びました!

新しく第7 回 グリーグ しています!

こちらもお時間があったらお寄りくださいね。

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