摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

月読神社(京都府京田辺市大住)~隼人の山幸彦・海幸彦伝承と海部の火明命の関係が語るもの

2021年03月27日 | 京都・山城

 

伊邪那岐命が右目を洗った時に成り出でた神で、天照大神、素戔嗚命とあわせて三貴子の一柱ですが、記紀でもあまり出てこない謎の神様、月読命が祀られている、京田辺市の方のツクヨミ社です(安産祈願の月読神社は京都市の方です)。当社は南九州(大隅など)より7世紀頃に移住した隼人の居住地゛大住郷゛に鎮座する事から、彼らにより祭祀されたとされる延喜式内社。この神社の南の甘奈備山に月読神がお祀りされていて(山頂に神奈備神社がある)、この辺りの神社はみなこの山の月読神を祀った社だったとも言われています(志賀剛氏)。

 

・なかなか堂々たる入口

 

【薩摩の月神信仰】

オツッドン(御月殿)と呼ばれる月神信仰が薩摩半島西部にみられ、田の神と月の神が一緒に祀られるそうですが、田の神が合理的・近代的なのにに対し、オツッドンは混とんとして古層の文化を思わせる、と小野重朗氏が言われていたそうです。大住郷の阿多隼人の故地である大隅半島から薩摩半島にかけても、8月15日の綱引き行事に際して特に月神を祀る例が広く見られます。

 

・岩戸舞と共に日本民族芸能の二大源流とされる隼人舞を記念する碑。今は大住隼人舞保存会が継承します

 

【山幸・海幸神話の潮満珠・潮干珠と月】

谷川健一編「日本の神々 山城」で大和岩雄氏は、月読神社と隼人のかかわりについては、記紀の隼人伝承、すなわち山幸彦・海幸彦神話が重要なヒントになると述べられています。海幸が隼人の祖で天皇家に服従する所以とされる話ですね。月神は登場せんが、潮の満ち引きを操る潮満珠・潮干珠が登場する事や、幸彦が昇る桂の木は、中国では月から落ちた種によって生育すとされているのです。本来のこの神話は南九州の人々の、海との豊穣を約束する神々の物語だったと思われますが、それが隼の服従伝承にされたのは、この大住郷とその周辺の氏族が重要役割を果たしたと、大和氏は言われます。

 

・二ノ鳥居。境内はなかなか広いですが、大住小学校北側に遺構がみつかり、昔はもっと広かったとされます

 

潮満珠・潮干珠については、仏教系の海宮龍神の如意宝珠に関係する(三品彰英氏)との意見も有りますが、゛ワタツミの属性にさわしい贈り物(西郷信綱氏)゛とか゛インドから東南アジア、或いは中国あたりまで広がった、土俗的な信仰としての干満珠の信仰が海人(アマ)を通じて入ってきた(松前健氏)゛という説が多いようです。潮満珠・潮干珠伝説が山幸海幸神話で海神(いわゆる竜宮)にかかわっているのは、隼人伝承が中央で安曇系海人伝承と重なったためだろう、と大和氏は書かれています。

 

・稲荷社

 

【豊玉比売や火明命との関係】

大住の月読神社から東北東の夏至日の出遥拝線方向に、水主神社と水渡神社が乗っていて、強い関係性を思わせます。水渡神社のご祭神は、天照高弥牟須比命と和多都弥豊玉比売命。後者は言うまでもなく、山幸彦(彦火火出見命)が海神の宮で娶った乙姫です。そして、水主神社は、天照御魂神、山背大国御魂命と、「先代旧事本記」天孫本紀に載る火明命の児天香語山神と後に続く世の神、合わせて十座の神がお祀りされていて、これらは丹後海部氏(と張氏)の神々で安曇海人と関わります。さらに火明命は「日書紀」本文では、天皇の祖・山幸彦と隼人の祖・海幸彦とは兄弟だされる神なのです

 

・拝殿

 

「古事記」や「書記」本文では、木花之佐久夜比売は火中で三神を生みますが、それらは元々は「火ノアカリ(燃えだし)」「火ノスソリ(燃え盛り)」「火ノオリ(燃え尽き)」の神と表記されてたろうと考えられます。また、「古事記」や「書記」の一部の一書では火明命を邇邇芸命の兄とし、出生譚が二神になる一書もありますが、これらの記述は新しく、古体の出生説話は三神であり、その内二神が海幸山幸神話に応用されたというのが大和氏のお考えです。この神話における火明命の位置が、当地における水主神社の位置とダブルイメージ的関係になってるのは、記紀神話が作られる過程に当地の人々が関わった事を裏付けるのではないか、と大和氏はまとめておられました。

 

・本殿。瑞垣の正面に鳥居がある構造が確認できます

・本殿を後ろから

 

【伝承の語る山幸・海幸神話】

「出雲と大和のあけぼの」で斎木雲州氏が、海幸山幸神話は同じ始祖を持つ親戚同士をイメージしており、香語山命を祖とする海部氏が彦火火出見命を祖とする日向東征勢力に敗れた喩え話だと説明(インタビューした丹後の郷土史家も同意)されてて、実に面白い話だと感心していました。しかし、その後継本「出雲王国とヤマト政権」で富士林雅樹氏はあっさり撤回、熊襲(久米の子)を家来にした話だとだいたい記紀と同様の説明をされていました。いは、別伝なのか理由の説明もありませんので、少しショックした。

 

・社殿向かって左の御霊神社。ご祭神少名毘古那神

 

【宇佐氏古伝の豊玉と高魂命】

宇佐国造家子孫の宇佐公康氏による「古伝が語る古代史」によると、4世紀おわりから5世紀はじめの頃に、宇佐家には豊玉という御方がおられました男女はわかりません。おそらく当時、灌漑用水の敷設に成功し水田開発の画期をもたらされた重要な御方だったと考えられるようです。しかし、竜宮の乙姫神話の事については不思議とれられていませんでした。また宇佐氏はその本で、菟狭族は皇産霊命系であり(神皇産霊命系でなく)、氏族の最高の祖先である高魂は人格神である点で皇産霊命と趣を異にしている、などとれています。それと、そもそも月神は宇佐家の神であったと明されていて、これについては以前の伊勢神宮、月読宮・月夜見の記で取り上げました

 

・弁財天社。こじんまりした噴水付きの池の中に鎮座

 

東出雲王国伝承を前提とした考えになりますが、月読神社、水主神社、水渡神社の祭神は、いずれも日向東征勢力と何らかのイザコザがあった神々に見えます。連合したという宇佐豊国勢力も、なぜか大和で連合政権を作らず、東海地方(の゛豊゛の地名の沢山ある地域で”ウサ”ギ神社もある)や、さらに東の上・下毛野に去ってしまったらしいです。なので、「あけぼの」説も隼人服従説も、両方を含めた、受難説話であるように考えたいです。なお、斎木雲州氏は、阿曇氏と海部氏は親族だと言われる、と説明しています。

 

・神社前から東北東を望む

 

【海部宮司の語った火明命】

上記のとおり記紀では、邇邇芸命と火明命の関係に変動があります。これに関し、金久与市氏「古代海部氏の系図」によると、元伊勢籠神社の八十一代海部毅定宮司(1900-1985年)が完成させた「神代並上代系譜図記」に、゛「日本書紀」(の本文)は彦火明命を邇邇芸命の子とし、かつ彦火火出見命の弟とした。これは作成当時に「書紀」の撰者による作為である゛と記述されてるそうです。つまり、火明命も天孫であるのに゛九州降臨゛系に統一して゛丹後降臨゛を削除した、という主張です。始祖は海の向こうからやって来て帰化した同じ御方だから、という思いが偲ばれて出雲伝承と通じるものを感じました。

 

(参考文献:月読神社ご由緒掲示、京田辺市観光協会HP中村啓信「古事記」、治谷孟「日本書紀」、かみゆ歴史編集部「日本の信仰がわかる神社と神々」、京阪神エルマガジン「関西の神社へ」、谷川健一編「日本の神々 山城」、三浦正幸「神社の本殿」、村井康彦「出雲と大和」、平林章仁「謎の古代豪族葛城市」、宇佐公「古伝が語る古代史」、金久与市「古代海部氏の系図」、梅原猛「葬られた王朝」、斎木雲州「出雲と大和のあけぼの」、士林雅樹「出雲王国とヤマト王権」その大元出版書籍

 


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