
大和の鴨(鴨都波神社、高鴨神社等)と京都の賀茂(通称上賀茂神社、下鴨神社)とのつながりを思う時、キーになるのがこの南山城に鎮座する、「延喜式」式内大社の岡田鴨神社とされます。ご祭神は加茂建角身命で、一般に山城賀茂氏、葛野鴨県主の始祖と言われる御方です。北側に流れる木津川はかつては鴨川と呼ばれていたらしく、「続日本紀」742年に゛鴨川の名を宮川に改める゛とあります。これは当時、ここに恭仁宮があったためです。
【祭祀氏族】
「山城国風土記」逸文の賀茂社の条に、゛賀茂建角身命、神倭石余比古(神武天皇)の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし。彼より漸に遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまひ、(中略)彼の川より上りまして、久我の国の北の山基に定まりましき゛と書かれ、八咫烏の子孫であるとされる上賀茂・下鴨神社の祭祀氏族賀茂氏が・・・・・・
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・長い参道が残されています。元々木津川沿いに鎮座していたのが、この元八幡宮の地に遷座したとされます
【賀茂氏と秦氏】
谷川健一編「日本の神々 山城」で大和岩雄氏は、この岡田の地は秦氏の居住地でもあったと云います。「秦氏本系帳」によれば、賀茂氏と秦氏が姻戚関係にあったとの伝承があり、「大西家系図」では稲荷神社を創祀した秦伊侶具は鴨県主久治良の子で、松尾大社を創祀した秦都理は鴨禰宜板持と兄弟だとされます。また、山城賀茂氏の原郷は上記の通り葛城とされますが、一方秦氏は・・・・・・
【発掘遺跡からみえる賀茂氏・秦氏の移住】
大和氏は、「京都の歴史1」での京都嵯峨野の発掘状況を引用されます。つまり、5世紀後半ごろ嵯峨野に定着した新勢力が、桂川の治水に成功します。この勢力により、向日市北部では5世紀末を境に・・・・・・
・本殿。左が八幡宮(菅原道真公)、右が賀茂大明神(賀茂建角身命)
【「日本書紀」からみえる賀茂氏・秦氏の移住時期】
葛城を拠点とした葛城氏は、雄略天皇によって滅亡しました。大和氏はこの際、葛城の賀茂氏・秦氏が王権強化の為に・・・・・・
【伝承の語るハタ氏】
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【ハタ氏と「徐福さん」】
一般の徐福渡来伝説では出雲は出てきません。日本徐福会などが協力し徐福友好塾が2005年に発行した、全国の徐福伝承研究を網羅した自費出版本「徐福さん - 伝承地に見る徐福像と徐福伝説」にも・・・・・・
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