摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

登美の里~大元出版の出雲王国伝承のこと~

2018年10月09日 | 高槻近郊・東摂津

前回は、尻切れトンボのような記事の続きです。


日本古代史に馴染み始めた頃に、一つの具体的イメージを提示してくれたのが、大元出版の古代史伝承本(参考書籍名は下記※)でした。一般の考古学などの状況を横目で見ながら、かつて実在したらしい出雲王国の王家の子孫と称する斉木雲州氏を始めとする方々が、王家内で伝承されていたり、他の旧家で聞き集められた伝承をまとめ、記紀(古事記&日本書紀)の記述との違いに都度触れながら、淡々と、そして簡潔に語り紡いでおられるものです。

この斉木雲州氏の家系が、現在の松江市あたりを中心とした、東出雲王国の王家だった富氏(あるいは向氏)だというのです。そしてその家系から弥生時代中期に分かれ、摂津三島(高槻市やその周辺)の゛登美の里゛に一時居住した後、まずヤマトの葛城地域、さらに三輪山の西側の磯城地域(纏向~三輪あたり)に移住したのが登美氏だと説明されています。そして、この家が磯城県主で、家系には太田田根子や加茂建津之身がいて、後の賀茂(鴨)氏、大三輪氏につながっていくというのです。

 

・真ん中のタワーマンションの有るあたりがJR高槻駅で、古代゛濃味の里゛

 

ただし、伝承ですので、明確な根拠、資料は提示されません。時に考古学の成果と合ってなさそうだったり、過去の研究調査で史実でなかろうと論考されている伝承話でストーリーが展開されてたりで、補足説明が欲しい時もあります。また、出版を重ねる度に、大筋は一貫していますが細かい部分でストーリーや要素の順序を変えられてる事が良くあります。伝承ですので、その理由・根拠の説明はないわけで、正直困惑する事もあります。

また、国譲りをさせられた出雲王家子孫からの話という事なので、権力者側、つまり大王や中臣・藤原氏、そして何より出雲国造家に対する話は手厳しい感じを受けます。言葉は適切ではないですが、ある種陰謀論っぽい感じも漂いますが、中世以降近世までの出雲国造家から被った災難には結構具体性が有ります。ただここらは、(史実だとしても)あくまで当事者間の問題であり、執筆者の個人的恨み節と捉えておくべき部分もあると思います。負けた側への同情は感じますが、やはり負けたら仕方ないです。

 

・芥川(あくたがわ)

 

以上、大元出版本を何冊か読ませていただいた印象ですが、そもそも伝承話なのだからそこは心して、個人的な古代史の楽しみ方として受け止めておこうと感じる今日この頃です。考古学や文献史学での科学的な研究の方も、まだデータは足りないのが現実のように見えます。そんな中、「葬られた出雲王朝」の末裔(らしい方々)が語る伝承、という付加価値は何とも魅力的です。

古代の有力氏族の系譜に関しても、「海部氏勘注系図」も参考にされて、違う見方を提示してくれて面白いです。また、事あるごとに現存する神社・遺跡を取り上げ、現在に残る史実の痕跡として純粋に信念で語っているように受け取れます。神社にとっては今の公式な御由緒と違う話をされるわけで、もしかしたらご迷惑されてるのかもしれませんが、なかなかわかりやすいご由緒が見られない現状からすると、伝承話はロマンが湧いて魅力的に映ります。

 

・淀川より高槻中心方面を望む

 

ただし、現在に至る各神社のご祭神や信仰に関しては、奈良時代以降、記紀の記載を前提としてその歴史と信仰・文化を着実に積み上げてきた実績があるのですから、神社の参拝としては現在のご由緒に思いをいたしてご挨拶をすべきでしょう。それと、伝承というのは、基本的には特定地域や組織の人々の中で信じられて来た信仰・強い主張という面もある事は、心した方が良いかもしれないと思っている今日この頃です。

そして個人的に一番大事な事は、摂津三島が出雲と大和、そして丹後や東国の狭間で重要な場所であったという伝承は、少なくとも高槻市にとっては良い話なのではないかと思っていて、歴史の街PRにこの話も活用できればと期待しています。ともかく、出雲王国やその伝承にご興味を持たれたら、大元出版の本を買って読んでいただくべきと思います。



大元出版の本の事をご存知ない方の為に、どういったものか感じられる表現を抜粋しておきます。ご参考ください。

  • 斉木雲州氏のお父さんは、富当雄氏。元産経新聞の重役さん。そして作家、司馬遼太郎氏の知人で、司馬氏の文章「生きている出雲王朝」 にも、語り部として出てきている。ただ、語り部という言い方に、 当雄氏は不服だったらしい。「身分が違うし、正確だ」

  • 富当雄氏に、吉田大洋氏が伝承話を聞きに来たことが有る。しかし 吉田氏の理解は不十分で、その著書「出雲帝国の謎」は、真実の日本史の為にはマイナスであった、と斉木氏は考えられている。

  • 富家は、出雲大社創建から、上官として神社の経営に関わった。戦前くらいまで上官職を続けてきたが、当雄氏は大社と決別し、新聞記者になった。

  • 当雄氏は出雲古代史の普及を、息子の斉木雲州氏に託した。斉木氏は自分で出版社を立ち上げることから始められ、今に至る。(以上、「出雲と蘇我王国」より)

  • 東出雲王家は王国消滅後も、国内の政治情報を集める情報機関のような役割を果たしてきた。昭和の時代まで、その歴史情報の勉強会が出雲で行われていて、大元出版の本はそれが元になっている。


(タイトル写真は島根県松江市の神魂神社。元々は、富(向)氏の王宮の地だったらしいです)

 

【大元出版参考文献】 

※かなり絶版になってますが、書名を変えて発行されています。公式HP公開の目次では、ごく一部ですが項目名が変わっている部分が有り、下記に記載しておきます。内容が変更されてるかどうかは分かりません・・・

・出雲王国とヤマト政権 -伝承の日本史-

・出雲と大和のあけぼの -丹後風土記の世界-(絶版)

・お伽話とモデル -変貌する史話-(絶版)

・古事記の編集室 -安万侶と人麿たち-  古事記と柿本人麿
   第五章14 忌部子人と国造 → 国司の忌部子人

・出雲と蘇我王国 -大社と向家文書- 

・親魏和王の都  -伝承の日本史-(絶版)  魏志和国の都
   第二章 3 弥生時代に天皇はいない → 吉野ヶ里時代に天皇はいない
   第九章 4 大和姫の箸墓 → モモソ姫の箸墓 【重大な内容の変更のようです】

・事代主の伊豆建国  -関東の社寺と古代史-(絶版)

・飛鳥文化と宗教争乱 -伝承の日本史-(絶版)  上宮太子と法隆寺
   第八章 C 官吏訓戒十七条 → 官吏訓戒十条
       F 隋使訪日と「隋書」 → 「隋書」と尾治大君
   第十二条 D 聖徳太子菩薩の崇拝 → 上宮太子菩薩の信仰
   (その他、大王→大君、太后→太妃)

・仁徳や若タケル大君 -伝承の日本史-

 


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