
藤原鎌足にまつわる遺跡や伝承が多く存在するという茨木市の安威地域。さらに「日本書紀」の安閑紀に三島県主が朝廷に献じた良田である゛上桑原・下桑原゛とされる桑原も近い、安威の集落に鎮座する神社です。昭和29年に茨木市に吸収されるまで、三島郡安威村として独立していた集落です。せっかくいつも通る道近くにいらっしゃるのでお参りしないと、と参拝したら、小雨が降ってきてしまいました。今年は本当に梅雨が長いです。
ご祭神は中臣氏の祖神天児屋根命。「延喜式」神名帳にも摂津国島下郡所属の小社として載ります。阿為や安威は藍に通じ、古代の中臣藍連一族の居住地とされています。この地が古代史で特にクローズアップされるのは、「日本書紀」皇極紀に、中臣鎌足が神祇伯を拝命されるもののそれを固辞し、疾と称して三島にはべるとあり、「藤氏家伝」では゛三島の別業゛に退いたと書かれ、その地を・・・・・・
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・拝殿
「元享釈書」(1322年)には、鎌足の墓が゛摂州阿威山゛と記され、「摂津名所図会」や「摂陽群談」らの古典はこれを、安威集落の近くの大織冠神社、つまり小山の頂上に巨石で築かれた横穴式石室である「大織冠古廟(将軍塚古墳)」に充てていました。しかし、現代の考古学では6世紀後期の造成とされ時代が合いません。そんな中大注目となったのが・・・・・・
中臣藍連は、神功皇后の新羅遠征に同行した中臣氏の先祖、中臣伊賀都臣が百済に使わされた際、かの地の・・・・・・
・大織冠神社入口。住宅街が間近に迫ります
「日本の神々 大和」「同 河内」で大和岩雄氏は、「新撰姓氏録」にオホ氏とワニ氏が゛ナカツオミ゛を称しており、それと似た名を氏族名としたのが卜部出身のナカトミ氏だと書いています。「新撰氏族本系帳」には、欽明帝のとき中臣常盤が初めて中臣連姓を賜ったとあるようです。一方、斎木雲州氏は・・・・・・
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