摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

上宮天満宮(高槻市天神町)~古代濃味郷の地についた「登美の里」名の不思議と、土師氏の子孫・菅原道真の伝承

2019年08月10日 | 高槻近郊・東摂津


以前に摂社である「延喜式」式内論社の野見神社を取り上げましたが、今回は高槻市で一番有名な本社の方です。創建は大宰府天満宮に次いで2番目である事がPRされています。その由緒は以下の通りです。


・本殿

 

【ご由緒】

”正暦四年(993年)勅使菅原為理が太宰府の道真廟に参拝して左大臣正一位追贈の詔を伝えての帰路、この地に来てとつぜん神輿が動かなくなり、為理が卜占して神慮を問うと、菅神が告げるには、「この地は野見の里と称し、この山上は祖廟が有る。野見宿禰は菅原の祖である」とあったので、ただちに為理は道真の画像を奉安して社殿を建て、左に武日照命(一般には、土師氏や出雲臣らの遠祖天穂日命の子とされている。武夷鳥ともいう)、右に野見宿禰を配祀した”

元々は野見神社が先に有ったのが、菅原道真の方が有名になって、天満宮の方が主になっていきました。なお、京都の北野天満宮の創建は、谷川健一編「日本の神々  九州」によると955年に神殿が造られた、とされていますから、上宮の方が後になりますかね。。。

 

・本殿を横から

 

【社殿、境内】

現在の拝殿(タイトル写真)は中央が通路になっている、割拝殿というもので1656年築造。そして本殿の外装は、珍しく竹材で造れらていて見た目に新鮮です。これは神社が所有する周囲の孟宗竹林を利用したものです。元の本殿が1996年に放火に遭い、再建されたんですね。さらに、本殿前に鎮座する狛犬は特に”上宮型狛犬”と命名され、1759年に作られたもの。当時、浪花狛犬と総称される関西圏の多くのもののうち、獅子舞の獅子頭に似た四角い顔と毛筋を、ハッキリ表現した新しいデザインとして主流になったものだと、境内掲示で紹介されています。


・皇大神社

 

本殿周囲には複数の末社が祀られていて、皇大神社や四社殿(日吉社・金比羅社・稲荷社・荒神社)などが有りますが、神社が押しているのは本殿裏の守護天神。主祭神は”めめ刀自命”とされる猫。2001年に境内で拾われ、神社再建の苦難の10余年を、宮司さんを支え、共に協力しあったという神です。先の放火の後も、不幸な事件に見舞われ、大変な時期があったのです。現在の神社ねこは三代目だそうです。こうして捨てられ、私生した野生猫の実態を知り、この社に住む小動物達が慈しみ、そのお気持ちが広く波及して少しでも良い環境を作る事ができれば、とこの末社を創建したと説明されています。合掌。


・守護天神

【濃味の里】

地域の古代史について、境内にこんな説明板が掲示されてます。

”古代にあっては、天満宮の前から現在の下田部町に至る広大な地域は嶋上郡濃味(のみ)の里・・・の一部にあたり、上田部、中田部(現在の出丸町近辺)・下田部とつながり皇室御料田を耕作する田部氏が治めていました。弊社と氏神・氏子の関りがあったところです”


・四社殿

これは上記のご由緒の記載と一致し、絶版になっている「高槻市史」でも、”「和名抄」の濃味郷は、式内社野見神社の周辺にその根拠地があった事は間違いない”と説明されています。そうすると気になってくるのが、下田部町のわずか1㎞西の地の現在の町名が”登美の里”になってる事です。”野見(濃味)の里"の古い地名が広く知られているのだったら、この名前を付けるのが自然なように思うのに、あえて”登美”にしたのはなぜなのでしょうか?"野見"と"登美"の同一性は、今や東出雲伝承で語られるのみ、と理解しているので、現在の町名の命名理由がとても気になります。

「角川日本地名大辞典」によれば、登美の里町は1965年に生まれました。以外に新しいです。その前は、西五百住(よすみ)町と東五百住町で、それぞれの一部が分かれて命名され、”富田(とんだ)町の郊外の意”と説明されています。一方、その富田は、応和元年(961年)に初めてその名が見える荘園名とのことです。これではよく分かりませんが、少なくとも富と登美は同じであり、古い名前である、と暗に言っているようです。


・境内全体



【伝承の語る菅原道真公】

東出雲伝承によると、出雲では菅原道真の出自について異説が語られているそうです。野見宿禰は現在の兵庫県たつの市で亡くなり、そこに古墳が造られましたが、故郷出雲の松江市宍道町上来待にも古墳が造られました。横には後世に菅原天満宮が建てられています。道真の父、是善がその出雲の先祖の古墳を参拝しに訪れた事がありました。その時、生まれたのが道真だったそうです。


・ご神牛


・JR高槻駅との間にある大鳥居


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