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摂津三島からの古代史探訪

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三備一宮 吉備津神社(岡山市北区吉備津)~吉備津彦兄弟が対峙した「温羅」についての様々な説

2024年05月12日 | 山陽

[ きびつじんじゃ ]

 

今回は畿内から出て、遠方の大神社です。古代にはヤマト王権と拮抗した勢力を持ったことを偲ばせる大前方後円墳も存在するかつての吉備国こと岡山県を訪れ、全国的にも有名な「吉備の中山」西の山裾にある当社に参拝しました。当社自身は「三備一宮」を称していますが、本来は備中一宮であり、東の裾にある備前一宮の吉備津彦神社と併せて二つの一宮があるということで、地域では大変重要な地です。「桃太郎」に通じるとされる地域の神話に関わる旧跡が周囲に散在していて、公の掲示物を拝見しても地域独自の古代史観が語られていて興味深かったです。

 

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入口鳥居

 

【ご祭神・ご由緒】

大吉備津彦命が主神で、その異母弟である若日子建吉備津日子命と、その子吉備武彦命等の一族の神々が祀られています。特に兄弟である二柱については、「古事記」「日本書紀」に概ね同様の出自が語られる有名な方々ですが、「日本の神々 山陽」で藤井駿氏は、この二書では多少違っているとポイントを書かれています。

 

入口鳥居前の矢置石

 

「日本書紀」によれば、孝霊天皇とその妃の倭国香媛の皇子として彦五十狭芹彦命(大吉備津彦命)が生れ、そして・・・・

 

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