
[ たてつきいせき ]
古墳時代の前方後円墳や埴輪のルーツを語る時、必ずここ楯築遺跡とこの地域の特殊器台が取り上げられるような著名な地なので、訪問した時も複数の方々が入れ代わり立ち代わりで訪れて来られてました。この一帯は他に、王墓山古墳の地区や日畑赤井廃寺のある日畑赤井堂地区を含めた王墓の丘史跡公園として整備されていて、数十基の古墳が残されています。
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【楯築神社とご神体の「旋帯文石」】
今は「楯築遺跡」が正式名で、遺構としては「楯築墳丘墓」とも呼ばれ、古墳時代につながる弥生時代の墳丘墓として語られる遺跡ですが、「日本の神々 山陽」では、「楯築神社」として取り上げられています。ここには、いつの頃からか「西山宮」と呼ばれる神社があり、それがいつの間にか・・・・・・
「旋帯文石」は、正面と思われる部分に・・・・・・
【ご祭神・ご由緒】
神社ですから、もちろんご祭神もおられたと想定されます。「都窪郡誌」(大正2年)は、吉備津彦命に従った片岡多計留命と記載されます。しかし、江戸時代の楯築神社の縁起「楯築山縁起」には、・・・・・・
【特殊器台】
考古学、墳墓遺跡として見ると、やはり楯築墳丘墓は特殊器台や特殊壺と呼ばれる土器が出土している事で常に取り上げられます。このような資料はこの吉備地方・・・・・・
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