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摂津三島からの古代史探訪

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生國魂神社(いくくにたまじんじゃ:難波大社:大阪市天王寺区)~難波・河内王朝の母子の鎮まる八十島祭のいくたまさん~

2020年03月15日 | 大阪・南摂津・和泉・河内

地元では「いくたまさん」の愛称で親しまれ、難波大社の堂々たる別称も持ち、大阪の総鎮守とも称される、いくくにたま神社です。江戸時代には幕府の保護もあり、神社境内から数多くの上方文化芸能が花開き、近松門左衛門の「曾根崎心中」の舞台となったり、井原西鶴がここで矢数俳諧4000句の大イベントに成功したという歴史も残っています。そして現在も、御神前で能や狂言が催される8月の”大阪薪能”や、上方落語の祖・米澤彦八の遺徳をしのんで上方の落語家総出演で催される9月の”彦八まつり”などの芸能に関わるお祭りが毎年開催されているのです。

 

・生玉北門坂の鳥居

 

【ご由緒】

神社は、初代神武天皇が九州より東征し難波津に着いた際、現在の大阪城を含む一帯に、日本国の御霊である生島大神・足島大神を祀られたのが創始だ、と御由緒を説明します。しかしこの話は記紀にはなく、「日本書紀」の孝徳帝時代に”生国魂社の樹を伐りたまふ”と、難波宮造営に関係すると思しき記述が有るのが初出になります。850年の「文徳実録」には、天皇の即位儀礼に関わる生国魂大神の祭祀である”八十島祭”を斎行した記録があり、以後・・・・・・

 

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【旧鎮座地と祭祀】

旧鎮座地は、「嘉元四年御領目録」には”生魂新庄”の地名があり、1496年に本願寺の別院を生玉庄内石山の地に草創し、そこに・・・・・・

 

【ご祭神】

それにしても、現在も主祭神である生島大神・足島大神とはどんな神様なのか、という事です。谷川健一編「日本の神々」での、大和岩雄氏の説明では、「延喜式」によると当時、神祇官西院で御巫祭神八座、御門巫祭神八座、そして近くの”ざまさん”の坐摩巫祭神五座と共に・・・・・・

 

【八十島祭と鎮魂祭】

そして、留意すべきが、その神を祀る八十島祭と、天皇の最も重要な皇室祭祀である新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭との共通性です。八十島祭とは・・・・・・

 

【生魂・足魂は荒魂・和魂】

生まれたばかりの魂である生魂は・・・・・・

 

【社殿】

生国魂神社の本殿の造りは、生玉造・・・・・・

 

【伝承】

・・・・・・

 

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