「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

臨死体験の記録 - 参考サイト - 01

2014-02-02 10:16:53 | 参考-話題 (opinion)
臨死体験の記録 - 参考サイト - 01

参考サイト:

我々はどこへ行くのか? - Coolに過ごそう
 2013月10月18日(金) 徒然・四方山



トレーディングで行き詰まっている方のため、高木善之氏が1981年に遭遇された臨死体験をご紹介しよう。

実はカミサンも臨死体験をしているのだが、驚くのは高木さんの体験と非常によく似ているという点だ。

より大きな視点で俯瞰することで、見えてくるもの、気づきなどがあれば幸いだ。



 

wantonのブログから引用させていただきます。 ↓


注記:部分的に引用します。
高木善之氏

大摩邇(おおまに) : ある人の臨死体験 実話 1~10
 2012年12月09日11:14

ある人の臨死体験 実話 1~10
光軍の戦士たちさんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-10424971505.html
<転載開始>

お正月早々 臨死体験の話は無いだろうとも思ったが 敢て記事にすることにしました。

この方は若くして松下電器の社長室長をやられていた方で 同時にオ-ル松下合唱団の

指揮者でもあり まさに超エリ-トコースを歩まれていた方です。

1981年4月27日の日曜日  ・・・・以下抜粋

・・・その日 昼寝から覚めると珍しくオ-トバイに乗りたくなった。

そしてどこに行くでもなく国道一号線を京都に向かって走っていった。

そして 気づいた時は遅かった。

自動車がこちらに向かって走ってくる。

何なんだ これは !!!

分離帯のある国道でクルマがこちらに走ってくることはあり得ない。

あり得ないから夢に違いない。 ともかくブレ-キをかけなければ。

だが 到底間に合う距離ではない。

急ブレ-キの音。

スロ-モ-ションのようにクルマが近づく。

ゆっくりと接近・・・そして・・・ガッシャ-ン !!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

゛ん ? 痛くない・・・゛゛゛。

・・・・つづく

以下つづき・・・・・・・・・・・・・・・

周りを見ると オ-トバイが横転・・・・・・

バウンドしながら横すべりしていく・・・・・・・・・・・

自分の身体も吹っ飛び 道路に叩き付けられる・・・・・

ヘルメットが壊れて 道路を転がっていく・・・・・

それを見ている私。 私は自分の交通事故を目撃しているのだ。

ヘルメットは歩道を歩いている女の人の足元まで転がっていった・・・・・・

その人が振り向いた。

゛あれは合唱団のSさんだ !!!

おおい 僕だよ 僕だよ !!!゛

Sさんはしばらく足を止めて事故現場を見ていたが・・・

やがて行ってしまった・・・。

Sさんが ゛大したことないみたい 私には関係ない・・・と

考えているのがわかる。

゛おいおい ひどいよ あれは僕だよ 関係はおおありだよ !!! ゛

・・・・以下つづく


大摩邇(おおまに) : 転生と地球 61~73
2012年12月09日10:46

転生と地球 61~73
光軍の戦士たちさんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-10429333560.html#main
<転載開始>

みんなはそれぞれ自分の音楽を持っている。

それぞれが最高のものを発揮しようとするのを

邪魔していたのは自分だったのだ。

指揮者があらかじめ決めた演奏をさせようなんて

なんて愚かなこと。

指揮者の理想の音楽は 目標ではなく出発点に過ぎないのだ。

それぞれが自由に演奏することで そしてお互いに聴き合う

ことで 最高の音楽を演奏することができる。

寝たきりのベッドでこのことに気づいた時 悲しくて

悔しくて 恥ずかしくて何度か泣いた。

私はワンマンだった。

何人かの人の心を傷つけたことがあるからだ。

そして本当の指揮者として目覚めたとき

二度と指揮台に上がれない・・・と

医者から宣告を受けたからだ。

幸運にも自分は今 指揮者としてカムバックできた。

コンク-ルに勝つための音楽ではなく 喜びの音楽を

幸せの音楽を自由なタクト{指揮棒}を振ることができるのだ。

指揮者を邪魔しないのが優秀な合唱団なのではなくて

合唱団を邪魔しないのが優秀な指揮者なのだ。

・・・ 地球環境 へと続く

* 地球環境の研究スタ-ト

これで社会復帰ができたので 地球環境について

研究をスタ-トした。

学会や研究会に参加 シンポジウム 委員会に出席した。

国際会議などにも出席 情報やデ-タを収集した。

オゾン層破壊 地球温暖化 森林破壊など環境破壊の

極めて深刻な実態が国連や政府などの公表デ-タ

としてはっきり示されている。

そしてそのどれ一つをとっても 世界の破局が

はっきり示されているのだ。

そしてこの世界の将来は人口爆発と貧困 食料不足

水不足 資源の枯渇 環境汚染と環境破壊

世界経済の崩壊 地球規模の生態系の崩壊 ・・・・

未来の記憶どおりだった。

デ-タは揃った。

地球環境の各項目について国連や各国の公式デ-タ

誰にでも分かるデ-タ ショッキングなデ-タが揃った。

・・・ ソビエトの崩壊 へと続く

1991年 ソビエトは突然崩壊した。


ゴルバチョフ大統領の急ぎすぎた民主化による


軍や政治の混乱と経済崩壊によって。


ちょうど事故から10年目だった。


東西の力の対決 力のバランスで保たれていた


世界秩序は崩れ始める。


これから東西ドイツ 南北朝鮮 二つの中国の問題


アフリカ 東南アジアなど政治やイデオロギ-で


分けられた不自然な国境は崩壊する。


民族の異なる国は分裂する。


ソビエト連邦はバラバラに崩壊し


アメリカ合衆国もバラバラに崩壊する。


ショックだった。


やはり始まったのだ。


間違いではなかったのだ。


急がなくてはならない。


・・・・ 本格始動 へと続く

1989年 ・・・・


モントリオ-ル会議で 「2000年 特定フロン全廃」


を決議したが 日本だけがサインをしなかった。


゛ これだ 今がチャンスだ ゛ と思った。


社長に地球環境のことを話すことを決意した。


社長とは仕事以外でも合唱団のことで


お話をする機会が何度かあった。


合唱団がコンク-ルで連続一位をとっているのは


会社にとっても大きな話題であった。


このことでは社長もずいぶん喜ばれ


社長金賞を二度受賞した。


初めての講演。


゛ 非対立 非対立 ゛ と唱えながら社長室に入った。


「 きょうは何だね 」


「 地球環境のことで お話があります 」


・・・・ ②へと続く

「 合唱団のことではないのか ・・・・


・・・ それなら担当役員に話しなさい 」


「 わが社にとって重要な問題です。・・・


ぜひお知らせしたいのです 」


「 じゃあ 聞こうか 」


オゾン層破壊について話した。


これが私の最初の講演だった。


社長は非常にショックを受けられた。


「 まさか それは本当か 」


「 これは国連や各国政府などの公式デ-タです 」


「 なぜ日本はサインしなかったんだ 」


「 わかりません。でも100億円で社内のフロンは全廃出来ます 」


「 うちがやればよそが怒りよる 」


もしここで 「 よそが怒ろうと うちはやるべきです 」


と言えば私はクビだろう。 非対立で ・・・ 。


主義主張や説得はマイナスになる。


気づくチャンスを作ること。


「 うちがやらなければ どうなるでしょう 」


「 うちがやらんと よそもやらんだろうな 」


ハ-ドルを一つ越えた。


・・・・ 100億円 へと続く

「 しかし100億円はもったいないわ 」


・・・・・・・・・・・・


もしここで 「100億円くらいなんですか 」


と言えば 私がクビ。 非対立で。


相手の気持ちを受け止めること。


「 お金は使わないとオゾンは無くなります。


でも お金は使っても無くなりません 」


「 えっ 金は使えば無くなるやないか 」


もしここで説明すれば気づくチャンスが無くなる。


私は黙っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・


黙っていると考えることが出来る。


考えることを邪魔しないことだ。


「 なるほど 金は無くならんな ・・・・・


金は天下の回りものだからな 」


ハ-ドルをもう一つ越えた。 もう一息。


・・・・ 経営 へと続く


「 私は経営者だから いい悪いだけでは考えられない。


経営の観点で考えんといかん 君も経営の観点で


考えてみてくれ 」


もう一息のところで難しい問題。


一瞬 どう答えればいいか分からなかった。


非対立で。


同じことを繰り返したり強引に説得すれば失敗する。


チャンスは一度 失敗すれば取り返しがつかない。


非対立は 無理しないということも大切。


「 しばらく時間をください 」


気がつけば一時間が経っていた。


社長の時間を大きな事業の話以外で一時間取るのは


異例のことだった。


社長室を出て図書室に行った。


゛ 経営とは何か 経営という観点で考えるとどうなるか ゛


・・・・ 経営とは何か へと続く

人にも聞いた。 本も調べた。


しかしピッタリくる答えは見つからなかった。


そしてやっと仏教辞典で次の説明を見つけたのだ。


゛ 「 経営 」 の 「 経 」 は 「 真理 」 を表し


「 営 」 は 「 一生 」 を表す。


「 経営 」 とは 「 一生をかけて真理を求める 」 の意 ゛


この言葉に感銘を受けた。


そして再び社長室に出かけて行った。


・・・・・・・・・・ 「 どうした 」


「 経営という観点で考えてまいりました 」


「 話してみなさい 」


そのことを説明した。


「・・・経営とはそんな凄い言葉なのか ・・・・


どうすればいいんだ 」


「 わが社として何ができるか 社長と一生かけて


考えてまいりたいと思います 」


「 そんなことしてたら間に合わんじゃないか 」


「 間に合わないと思います 」


「 それじゃダメじゃないか 」


「 社長の指示通り 経営という観点で考えました 」


「 ・・・・・・・・・ 」  社長は無言。


しばらくして 社長は次のように言われた。


「 わかった やろうじゃないか 」


・・・ 特定フロンの全廃 へと続く

一ヵ月後 ・・・・・・・・・・・・


「 日本最大手の電子企業 松下電器が ・・・


特定フロンを全廃 」


「 5年前倒し 1995年までに 」


という新聞記事が全紙に載った。


1989年7月20日のことだった。


他社からクレ-ムがあった。


モントリオ-ル議定書に日本がサインしていない


段階で業界最大手のわが社が単独で


フロン全廃を発表するのは極めて異例


極めて迷惑なことだった。


ところがしばらくして他社も続々 同様の方針を


打ち出してきたのだった。 翌 1990年


日本はモントリオ-ル議定書にサインした。


* このことは米国の地球環境の書にも記述されている。

「日本はフロンの段階的廃止よりもリサイクルを主張。

その理由はフロンを大量に使用する半導体企業が

廃止に反対していたからである。

日本最大手の電子企業 松下電気が フロンを

全廃すると述べて初めて日本は段階的廃止に合意した」

ガレスポ-タ-著 『地球環境政治』


・・・・ 講演活動 へと続く

ここから講演活動が始まった。


最初は 規模は10人・20人くらいから


無料で交通費などの経費も自分で負担していた。


当時 講演資料として作ったのが現在の


ブックレット 『 美しい地球を子供たちに 』 で


毎回 コピ-を20部くらい持参してカンパしてもらった。


少しずつ講演が広がり賛同する仲間が増えた。


当初は 「会費なし 会則なし」 であった。


講演回数も増え 講演規模も大きくなっていった。


・・・・ 音楽をやめる へと続く

仕事 音楽=指揮 との両立を続けていたが


次第に難しくなってきた。


悩んだ末に自分の天職だと思っていた 音楽=指揮


をやめることにした。


最後のコンサ-トのアンコ-ルの時あいさつをした。


「このコンサ-トを最後に私 音楽活動を終わります」


みんなの反応は冗談でしょうといった感じだった。


「これからは地球環境の保全活動に全力で取り組みます。


いつかどこかでお会いできるかもしれません。


もし地球が大丈夫になれば カムバックし ・・・・


ベ-ト-ベンの 『 歓喜の歌 』 を


もし地球がダメになれば 最後にチャイコフスキ-の


『 悲愴 』  ベ-ト-ベンの 『 運命 』 を


演奏させていただきたいと思います」


みんな真剣になり アンコ-ルのシベリウス作曲


「フィンランディア」 は演奏者もお客様も


私も涙の演奏だった。


・・・・ 会社をやめる へと続く


やがて環境を取るか会社を取るかの選択を迫られた。


音楽をやめるときほど迷わなかった。


「 私は子供たちに地球を残そうと思います。


長い間お世話になりました 」


それでも空になった机や書棚を眺めたとき


「遂に会社を辞めるんだな」 という感慨があった。


以前 「自分が会社を辞めるとしたら 音楽活動に専念


するためだろう」 と考えたことはあったが ・・ まさか


こんな形で会社を辞めるとは夢にも思わなかった。


「 明日から自分のしたい事だけをやればいいんだ 」


という解放感と同時に不安もあった。


「ほんとにこれでいいんだろうか」


「音楽を止め 会社を辞め 次は一体何をやめるんだろうか」


生きることをやめる=死  いつかそれも避けられないだろう。


あの記憶 ・・・・・・


自分の寿命を考えるともう あまり時間が残っていない。


いずれにせよ もう後には戻れない。


間に合うかどうかわからないが最善を尽くしたい。



美しい地球を子供たちに

高木善之(たかぎよしゆき)

「美しい地球を」と呼びかけ、環境や平和、教育や生き方について、広く講演や提言。最近は経営、人材育成に力を入れる。


NPO法人ネットワーク『地球村』代表。

1947年大阪府生まれ。大阪大学卒業。

松下電器に28年在職。


合唱やオーケストラの指揮者、合唱連盟の理事などを歴任。退任して、環境や平和、教育問題、生き方の問題に専念。

著書は『コーチング・ワークショップ』、『選択可能な未来』、『オーケストラ指揮法(新版)』、『非対立の生きかた』『新地球村宣言』など多数


1947年


大阪に生まれる
1970年 大阪大学卒業、松下電器入社(1997年退社)


1981年
交通事故に遭い入院、地球環境について考える
退院後、地球環境の問題に取り組む


1991年
ネットワーク『地球村』設立。講演、執筆を始める
1992年リオサミット、1997年COP3などに参加、全国講演を始める



2000年 ・・・・

『地球市民国連』構想を提唱
2000年欧州環境会議、2002年ヨハネスブルグサミットに参加、
現地で講演会やセミナーを開催。全国講演を続ける














講演について「事実を知らせる、問題解決を提言する」という『地球村』の活動の基本です。
これまでの講演会は3300回、少人数のセミナーを合わせると1万回以上、
聴いた方は200万人を超えています。(2006年は、全国で113回の講演)
環境問題、生き方、人間関係に力を入れ、団体、企業、自治体での講演が増えています。
数十名から1000名以上の規模まで、講演テーマは「環境、ロハス」と「コーチング、生き方」が中心です。

講演会について
講演スケジュール


<転載終了>



大摩邇(おおまに) : 臨死体験 51~60
2012年12月09日10:47

臨死体験 51~60
光軍の戦士たちさんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-10428567182.html#main
<転載開始>

* 仕事がしたい

苦しい毎日だった。

来る日も来る日も 死ぬか生きるか

ぎりぎりのことを考えていた。

ある時 ふと 気付いた。

゛仕事は与えられるものではない。・・・

したいことをすればいいんだ。

自分を苦しめているのも自分 ・・・・

自分を窓ぎわ 生ゴミにしているのも自分。

自分が苦しむのをやめ 自分を認め

自分がしたいことをすればいいんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

* よし したいことをしよう 。

* 自主プロジェクト

研究所では自主プロジェクトというものがある。

10%程度の時間で自主的に研究ができる。

もちろんある程度の手続きが必要なのだが。

私は研究所のカテゴリ-{ 許容範囲 } と

自分のやりたいこととの可能性の中から

ピアノに関わる自主プロジェクトを始めることを

決意した。

コンピュウタ-技術を応用した電子ピアノの開発。

当時の電子ピアノは音質はまるでオモチャ

鍵盤タッチは電子オルガンと同じで 多少とも

ピアノが弾ける人にはとても弾く気にならないものだった。

そこで何とか本物の音 本物の鍵盤タッチを

出そうと試みた。

原理を簡単に述べると 本物のピアノ 特に

シュタインウェイやベ-ゼンドルファ-などの

世界の名器の生の音を半導体メモリ-に記憶させ

鍵盤のタッチによって再生するのだ。

ピアノの音は鍵盤タッチやペダルによって

様々に変わるので 実際に様々の音を録音し

タッチやペダルに合わせて再生できるようにし

鍵盤は実際のピアノ鍵盤を使い 本物の

タッチ感が得られるようにした。

一年がかりで完成させた試作品はかつてない

電子ピアノだった。

一年後 それは当社の画期的な新製品になった。

この製品は高価だったが 世界の名器のピアノだけでなく

チェンバロ ハ-プ ギタ-などの音が出ること

自動演奏可能 録音再生可能 ヘッドホン可能

軽量など多くのメリットがあり

のちに100億円事業となった。

・・・・特別プロジェクト へと続く

一度窓ぎわになった人間が一つの成功で

メデタシというほど会社は甘くない。


一本ヒットを打ったところでそれで運命が

変わるわけではない。


もちろんこれで細々と研究を続けることは出来る。


しかし それは自分として満足な生き方ではない。

将来も見えない。


このままではだめだと思い悩んでいた。

そんな時 幸運が舞い込んできた。


特別プロジェクトのサブリ-ダに任命されたのだ。


特別プロジェクトというのは会社の戦略上

非常に重要なプロジェクトのことで 会社から

優秀なメンバ-を集めて優先的に推進されるものである。


全社から集まった12名の優秀な技術者集団で

技術的にも日程的にも非常に困難なものだった。


開発目標は業務用パソコンで 100万個の

エレメント{要素} の一つにミスがあれば

それで失敗なのだ。


一人一人が高い技術レベルの仕事をするだけでは

不足で チ-ムとしての協力ができなければ

システム開発は失敗する。


つまり演奏者一人一人がいい演奏をするだけでは

音楽にならないのと同じ。


その頃 私は指揮者としてオ-ケストラと合唱団の

一人一人が最高の演奏をするとともに 全体として

最高の音楽を実現することに取り組んでいた。


この 『オ-ケストラ指揮法』 が仕事でも大いに役立った。


技術的にも日程的にも困難な目標であったが

非常にいいチ-ムワ-クで開発が進み

目標より早く完成し

この特別プロジェクトは成功した。


この成果で社長賞を受賞 さらに


共同開発の相手会社からも社長賞を受賞した。


・・・・ 窓際からの生還 へと続く


このことによって私は窓際から復帰する

ことが出来たのだった。


今思い返しても この時期は最も危険な

時期だったと思う。


あらためて周りを見ると 職場には結核で

長期に休んだり神経症などで昇進から

はずれた人が何人もいる。


みんな世間でいう名門大学卒だが 社内の

激しい競争に敗れたと見なされている。


私のように交通事故で一年休職した者も

まず復帰は難しい。


本当に幸運だったと思う。


* 先日 こんな悲しい事件を知った。


「 クルマの中で夫婦が餓死。夫は元

 エリ-トサラリーマン 妻はピアノ教師。

 夫が事故に遭い後遺症のため会社を辞め

 生活に困り マンションを出て マイカ-の

 中で生活をしていたが 餓死しているのが

 発見された 」


これを知ったときショックを受けた。

とても他人ごとでないような気がした。


この夫婦がマンションを出るとき 最後に


弾いたのが ベ-ト-ベンの「 月光 」

だったそうだ。


この曲は私にとっても忘れがたい曲だった。


私の人生を大きく音楽のほうに動かした

記念の曲だった。


私はこの悲しい事件に 自分のもう一つの人生


もう一つの未来を見た思いがした。


まさに これは 私が何度も迷って


゛選ばなかった方の人生だったのだ。゛


・・・・ すべて自分 へと続く

* ゛天は自ら助くる者を助く ゛


{ 神はみんなを助けるのではなく

 

 努力する者だけを助けるという諺 }


その通りだと思う。


自分を生かすも殺すも自分なのだ。


悩みは自分で作り出しているのだ。


どうしようもない穴の中に自分を


閉じ込めているのは自分なのだ。



実際に私は窓ぎわだった。


しかし それでもなお ・・・


諦めるのかどうかは自分が決めるのだ。


最後の最後まで 努力を続けることにより


願いが実現する。


「 仕方がない 」 と思えば仕方なくなるのだ。


そして大切なのは 最後の結果ではなく


゛ 現在の生き方なのだ ゛



・・・・ あきらめず努力すること へと続く

絶対ダメとか 絶対ムリというものはない。


あきらめてはいけない。


あきらめれば その通りの結果になる。


病気もガンも諦めてはいけない。


希望を持つことだ。


しかし 諦めてはいけないが


戦ってもいけない。


戦いは戦争であり双方傷つく。


仮に勝ったとしてもまた反撃されるだろう。


戦うのではなく 努力すること。


現実を受け入れ 「気づかせてくれてありがとう」


と感謝した上で 希望に向けて努力すること。


このことが最善の結果を実現するのだ。



・・・・合唱団 へと続く

私が常任指揮者を努めていたのは 日本一を


目標に作られた職場合唱団だった。


創立以来毎年コンク-ルに出場


最初の年6位 翌年5位 翌年4位 翌年3位


翌年2位と順調にランクを上げたが そのあと


頭打ちで どうしてもトップが取れなかった。


なぜ 勝てないのか。


なぜ 私の言うとおり歌わないのか。


どうすればいいのか。


苦しい時期が続いた。


そのさなかでの交通事故だった。


・・・・ 指揮者が変わればみんなが変わる


・・・ へと続く

* 退院後 私の音楽観 指揮観が大きく変わった。


命令 説得 説明 強力な指導をやめた。


合唱団は指揮者の道具ではない。


コンク-ルに勝つことが目的ではない。


音楽はみんなが楽しむためのものである。


一人一人が力を発揮し 最高の音楽を


実現することこそ 指揮者の仕事なのだ。


まず相手を信頼し任せること。


人は信頼されると信頼に応えようとする。


「 ここはどう思いますか ?  任せますから


 最高の音楽を聞かせてください 」


そしてどんな意見にも耳を傾けること。


意見を尊重すること。


メンバ-の戸惑いが消えた時 ・・・・


合唱団は大きく変わった。


一人一人が自分の考えを持ち 自分の意見を述べ


自分の音楽を表現するようになった。


みんなの表情や姿勢が変わった。


アマチュアからプロに変わったのだ。


合唱団全体が生き生きとし 自分が音楽を


作るのだという自信を持つようになった。


音楽は劇的に変わった。


表情豊かになった。


そして迫力 凄みが出てきた。


・・・ コンク-ル へと続く


練習は見違えるように変わった。


笑い声の絶えない和気あいあいとしたものに変わった。


指揮者とメンバ-とピアニストが一つになった。


以前は 「 コンク-ルに勝つこと 」 が重大なこと


だったが 「 コンク-ルは素敵な演奏会 」


と思うようになった。


そして 翌年 コンク-ルで初めて


一位をとった。


みんな大いに感激した。


ちょうど合唱団設立10年目だった。


私自身の感激がひとしおだった。


涙が止まらなかった。


生まれ変わった自分の門出だった。


それ以来 ほぼ毎年優勝するようになった。


・・・ 幸せが一番大切 へと続く

幸せならばみんな力を発揮する。


どうしてこんな簡単なことが分からなかったのだろう。


私は以前 「勝つためには苦しい練習をするのが当たり前


364日苦しんでも最後の一日で笑えばいいじゃないか」


と言っていた。 そして笑えなかった。


ところが今は 「練習は楽しくなきゃあ 364日楽しんで


最後の一日ぐらいどっちでもいいじゃないか」


と言うようになった。


そして実際には楽しい練習のほうが はるかに いい


音楽ができ 結果として年中楽しんでいるのだ。


・・・・・ つづく


<転載終了>


大摩邇(おおまに) : 臨死体験 41~50
2012年12月09日10:48

臨死体験 41~50
光軍の戦士たちさんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-10427067540.html#main
<転載開始>

* 目の前は真っ暗

主治医によると 「 いつまた意識不明になるか

わからない。ひどい後遺症になるかもしれない。

社会復帰は無理でしょう 」。

゛なぜ こんなことに ・・・

何も悪いことなんかしていないのに

どうして ・・・何かの間違いなんだ ・・・

これは夢なんだ ・・・・・・・

もうじき目が覚める - もう少しの我慢なのだ。゛

しかし激痛と高熱が いやでも これが

夢でないことを教えてくれる。

検温 食事 薬 回診 手術部の消毒。

食事 薬 検温 昼寝 身体の清拭。

食事 薬 検温 回診。

・・・・ これが一日のすべて。

拷問のような痛みと無期懲役のような生活。

何の見込みも希望もない。 気が狂いそう。

時間のたつことだけが願い。

眠ることだけが 救い。

眠ることだけが痛みと絶望的な現実を ・・・

忘れさせてくれる。

・・・・ 42話へと続く

* 自問 ・・・1981年時

あれは何だったのだろう ・・・・・

事故現場を見ていた自分 ・・・・

手術を見ていた自分 ・・・・・

故郷に帰った自分 ・・・・・・・

宇宙から地球を眺めて感動したこと ・・・

そして 光 の中に ・・・・

無数のフラッシュ ・・・・・

十年後 ソビエトが崩壊

それから数十年後 アメリカが崩壊

さらに数十年後 世界が崩壊。

その他 膨大な未来の 記憶 ・・・・

すべて有り得ないことばかり。

おかしなことを言って これ以上家族を

心配させてはならない。

あれは 悪夢なんだ。

忘れるんだ 。

・・・・・ 43話 へと続く

* 一ヶ月が過ぎた

痛みが和らぎ 生活にも慣れてきた。

面会が許され たくさんの人が 見舞いに

来てくれるようになった。

昼間は人と話すことによって気が紛れる。

「 生きてて よかったですね 」

「 よくなってください 」

「 また指揮してください またピアノ弾いてくださいね 」

「 また職場に復帰してください 」

「 頑張ってくださいね 」

ありがとう みんな ありがとう ・・・・・

昼間はたくさんの優しさに出会える。

元気が出て 気が紛れて 希望も出て来る。

もしかすると本当に治るかもしれない。

もしかすると また指揮が出来るようになるかもしれない。

しかし 夜は現実と向き合う。

いつ意識不明になるか いつ後遺症が出るかわからない。

明日はどうだろう。 一ヶ月もちこたえられるだろうか。

これではまるで死刑囚だ 神経がまいってしまう。

いっそ早く死んでしまいたい。

家族は 「 お父さん 生きてて よかった 」

と言ってくれる。

でも 本当にそうだろうか。

一生寝たきりだと家族に大きな負担をかける。

死んだなら 一年 二年 は悲しむだろうが

やがて忘れるだろう。

妻は再婚できるし 子供には新しいお父さんができる。

「 前のお父さんは音楽が得意だつたけれど ・・・

・・今度のお父さんはスポ-ツが得意 」

夫とお父さんは新しいほどいいんだ。

自分なんていない方がいいんだ。

・・・・・ 自問 へと続く

* 自問


それにしてもあの記憶は何なんだろう。


頭がおかしくなったんだろうか。


何度も確かめた。記憶はしっかりしている。


何の異常も認められない。


では あれは何だったのだろう。


忘れなければという思いと ・・・・


確かめなければという思いに揺れる。


自分が自分から抜け出して 自分を眺め


故郷をさまよい そして死後の世界へ行って


生還したなんて - 有り得ないことだ。


しかし ・・・・ 何かが ・・・・・・


変わったような気がしてならない。


自分の中にもう一人 誰かがいるような ・・・


感覚が あるのだ。


そして 無数の未来の記憶 ・・・・・・・・・・


これは何を意味するのだろう。


自分はもとの自分なのか それとも ・・・


別人として生き返ったのか。


自分に未来の記憶がインプットされたのか。


それとも 未来から来た別人に自分の記憶が


インプットされたのか。


だめだ こんな事を考えてはいけない。


あれほどの衝撃を受けたのだから ・・・・


少しくらい異常があって当然なんだ。


考えないようにしよう。


忘れなければいけない。


・・・・ Sさん へと続く

* Sさん


お見舞いに来た合唱団の人から ・・・・


Sさんのことを聞いた。


Sさんはあの日会社に行くとき 交通事故に


でくわした。


足元にヘルメットが転がってきた。


振り返るとオ-トバイが倒れて人が倒れていた。


たくさんの人がいたので大丈夫だと思って


そのまま通り過ぎた。


翌日 Sさんは私が事故に遭ったこと


容体は絶望的だということを聞いた。


よく聞くと まさにあの事故がそれだと


いうことがわかった。


自分がそこにいたのに そして私のヘルメットが


自分のほうに転がってきたのに


自分はそれが私だということを気がつかず


何もしないで通り過ぎたことに


大きなショックを受けていたそうだ。


私の容体が安定していると知って最近になって


そのことを周りの人に打ち明けたそうだ。


私もこの話を聞いてショックを受けた。


*  あれは本当だったんだ。


*  私の見たままだった。


どういうことだろう。


自分が自分の身体から抜け出して ・・・


自分を外から眺めていたことになる ・・・・


自分が自分の肉体から離れるなんて ・・・・


どういうこと ・・・・ ?????


そんな事有り得ないけど ・・・ しかし ・・・


交通事故のあとの あの体験。


ふるさとへ - 宇宙へ - 光の世界へ


行ったあの体験 - あの記憶は ・・・・


それ以外にどう説明すればいいのだろうか。


* * 『 今でこそ臨死体験とか幽体離脱という言葉や


体験はよく知られるようになったが  当時 ・・・


そんなことは一般的ではなかったし


私も知らなかった。』


・・・・ 一年後 奇跡の社会復帰 へと続く

奇跡的な社会復帰を果たした 高木氏だったが


* 職場復帰


会社に復帰したときはみんな親切だった。


「 大変でしたね 後遺症はありませんか ・・・・


・・ 無理しないでね 」


以前 私は PL { プロジェクトリ-ダ } で


自分で研究テ-マをもち何名かの部下をもっていた。


復帰した時 以前の私のプロジェクトは進んでいたので


一年のブランクを埋めるため部下に聞いて勉強した。


みんなよくやっていた。


そう 一年前まで 自分もそうだった。


そして自分の部下で最も優秀だった若手研究員は


実質的には PLとして立派にやっていた。


* 仕事がない


しかし自分には仕事がないのだ。


はじめは上司が気づかってくれているのだと思っていた。


何度か 「 そろそろ復帰したいのですが 」 と言うと


「 まあ もう少しゆっくりしてなさい 」 と言われる。


会議や打ち合わせに出ようとすると 「 出席しないでいい 」

と言われる。


「 何をすればいいですか 」 と聞くと ・・・・


「 まあ次の仕事でも考えてくれ 」 と言われる。


そこで図書室で論文を読んだり 特許を調べたり


専門書を読んだりして次の研究テ-マの調査を始めた。


次期研究テ-マについて計画書も出した。


しかし 手応えがない。


計画書は何日も机の上に置かれたままであったり


いつかゴミ箱に捨てられているのを見て


やっと自分の置かれた立場が分かったのだ。


私は 「窓際」 になってしまったのだ。


・・・・ 窓際 へと続く


* 窓ぎわ


「窓ぎわ」 は 「いじめ」 よりひどい。


「無視」 なのだ。


無視というのは仕事がないのだ。


自分はいないのと同じなのだ。 透明なのだ。


これは凄いことなのだが 体験しないと


分からないだろう。 毎日が地獄なのだ。


何もすることがないのだ。


自分はいないのと同じなのだ。


日ごろ忙しい人は 「何もすることがないなんて


なんて羨ましい」と言うかもしれないが


無期限に何もすることがないというのは


想像以上の地獄なのだ。


初めはみんな 「大変でしたね いかがですか」


「後遺症はありませんか」 と声をかけてくれる。


その度に 「いえ おかげさまで何ともありません」


と答えると 不思議なことにあまり喜んでくれない。


むしろ 「そんなことはないでしょう。 多少はあるでしょう ??


雨の日などは痛みませんか ?? 」


という反応が返ってくる。


・・・・時間よ 止まるな へと続く


* 時間よ 止まるな


毎日 どうやって時間をつぶすかが問題なのだ。


時間をつぶすものがないというのは何とも


言えないほど苦しい。


朝 まず職場の回覧板などの書類に目を通す。


新聞にも目を通す。 できるだけ ゆっくり。


そして時計を見る。 「せめて30分」


しかし15分しかたっていない。


次にコ-ヒ-を飲みながら仲間と雑談する。

出来るだけゆっくり。


その間も自分のいる場所がないこと


自分の存在が仲間にとって迷惑というか


気を遣うことなのだということがひしひし感じられる。


そのうち仲間は 「お もうこんな時間か 会議が始まる」


「そろそろ仕事を始めなきゃ」 と立ち去り


一人取り残される。 たまらない気分。


次に図書室に行く。 何度も目を通した専門書


新刊図書にまた目を通す。 出来るだけゆっくり。


そして時計を見る。 「せめて 一時間」


しかし30分しかたっていない。


次に休憩コ-ナ-でコ-ヒ-を飲む。


知人がいると近況や世間話 仕事の話をする。


そのうち 「あ 会議に遅れる」 「おっと 忘れてた」


とあわてて立ち去り一人取り残される。


たまらない気分。 「せめて30分」 しかし15分。


一日に100回以上も時計を見る生活。


地獄のような毎日。


夕方になると疲れ果てて家に帰る。


・・・・ 家でも へと続く

* 家でも


職場復帰して 2・3ヶ月たっても毎日夕方に帰宅する


私に 妻が 「いつも早いですね」 と言う。


「職場が順調だから」 と言葉を濁す。


またある時 妻に 「元気がないみたい。・・・・


復帰って難しいんですって。 大丈夫 ?? 」

と聞かれた。


「大丈夫に決まってるじゃないか」 と機嫌を悪くする。


心配させたくないという気持ちと 認めてとまうと


二度とこの地獄から逃れられないと思うからだ。


゛もっと帰宅を遅くしなければ・・・・゛と図書室で


寝てから帰ったり ほかほか弁当を買って公園で


時間をつぶしたりして 遅く帰る努力をした。


会社や公園で居眠りをすると夜眠れない。


眠れないと余計にいろんなことを考えてしまう。


毎日が苦しくて 「 いっそ死んでしまおう 」


と何度考えたことだろう。


「 このままでは自分が駄目になる 」


・・・・ 苦悩 へと続く

* 苦悩


ベッドの上で気づいたことは何だったのだろう。


みんなに役立つ - みんなに喜んでもらう


・・・ とはどういうことなのだろう。


たしかに自分が変われば家庭が変わった。


指揮者が変われば合唱団が変わった。


オ-ケストラが変わった。


しかし 「窓ぎわ」の自分は一体どうすればいいのだろう。


いくら自分が変わろうとしても ・・・・


いないも同然の自分に何ができるだろう。


これに耐えなくてはならないのだろうか。


このまま 「窓ぎわ」 としてみんなに役立てばいいのだろうか。


それとも会社を辞めて新しい人生を歩む方がいいのだろうか。


しかし 家族はどうなるだろう。


生活はどうすればいいのだろう。


一年の入院で貯金はほとんど無くなってしまった。


何よりも 「窓ぎわ」 のままでは 生ゴミのままでは


地球環境であれ 何であれ 社会に影響を


与えることが出来ない。 それが一番困る。


ああ 一体どうなるのだろう。


最大のピンチ。


ここをクリア出来ないかぎり 自分に未来はない。


・・・ 仕事がしたい へと続く

<転載終了>



最新の画像もっと見る