◆よく、物書きが書くことが無くて困った時にやることのひとつに、体調のことを書くというのがあるらしい。ここの具合が悪いだの、頭が変だのというやつだ。頭が変というのはもう既に別の意味で変だったりする。天然ボケ、素っ頓狂、粗忽、などがその例なのだが、だが多少変でも、人間、特に変なもの同志、愉快でそれで良いではないか、ということだ。・・・・そういうことではなかった。具合が悪いというのは、病のことである。病のことを書いたりするらしいのだ。あまたあるblogにもそういった自分の病のことを書き連ねているのも多くあって、ほとんどが治療という意味では役に立たないと思うのだが、同じような症状で苦しんでいるのだな、という思いで勇気づけられることはあるのだ。これも立派な効用だと思う。温泉の効用と同じで能書きに書かれているのとは別のその人への独自の思わぬ効用があったりするのだ。・・・・温泉のことを書くのではなかった。これらの症状の中には、先に「苦しむ」と書いたが苦しむとまではいかないような微妙なものもある。倦怠感、目の疲れなどがそうだ。疲労というのは病の部類に入れてもらえないことが多い。回復するものと思われているからだ。筋力トレーニングの超回復のようなものだ。・・・・筋力トレーニングのことではなかった。しかしそれら「疲労」というのも何らかのボーダーを超えると回復する機会を失う。病、故障の一歩手前だ。
ところで、我が「耳鳴り」も微妙なところに分類される傾向が強いもののようだ。
「ここ2週間ほど、耳鳴りが強い。今日も依然として強い。
右脇腹の痛みは、ここ1月ほど和らいでいて、感じないこともある。」
ところで、我が「耳鳴り」も微妙なところに分類される傾向が強いもののようだ。
「ここ2週間ほど、耳鳴りが強い。今日も依然として強い。
右脇腹の痛みは、ここ1月ほど和らいでいて、感じないこともある。」