カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

続・続・癌治療について思う

2014-11-26 | エッセイ

私は癌が撲滅されたらと思っている。もちろん自分がそのようなことをできる分けはなく、願うだけ、折にふれ、そう言葉にするだけだ。数年前に父親を癌で失っている。今の現代病のなかで癌が死亡の原因の大きな部分を占めるようになっていることを思えば、肉親が癌で亡くなることはそれほど珍しいことではなくなっているのかもしれない。しかし、珍しくないからと言って、どうということない、とはとても言えない。父親というのは歳を取ったとはいっても、そこそこ強く(笑)そこそこ大きな(笑)存在なのだと思うが、手遅れの癌だと分かり、それから手術、そしてやせ細って体力を失っていく時の姿は、可哀想としか言いようのないものだった。自分は医者ではなく何もできはしないのだったが、癌という病を強く意識した初めてのことだった。

10年位前のことになるだろうか?関東近辺の比較的低い山を歩いていたことがある。ハイキングだ。その頃、富士山の北の河口湖、西湖の北に鬼ヶ岳という山のあるその尾根を歩いたことがある。尾根は東西に延びていて、歩くと気持ちが良いし多少の岩場もあったように思う。他人とほとんどすれ違うことのないこの尾根で、ある細身の山歩きの男と出会った。反対側から軽く慣れた足取りで歩いてきた。話をした。その、そう、40から50歳くらいのその人は、癌などのマーカーの仕事をしていると話した。私は建築の設計関係だと言った。お互い仕事関連の話はそれきりで、彼は麓で仕入れた子熊出現の話をした。その日は子熊出現で下の街はひと騒動あったらしく、登山者には注意を呼び掛けていたのだ。その人は飄々とした感じでその話をした。気にしていない様子だった。そして自分が興味を持って山々を探して歩いているというある山の花の話を始めるのだった。山の花の話は面白く、私は何度か質問しながらの立ち話となった。カメラを差し出してそのフォトやらデータやらを見せてもくれた。ネット仲間でその山の花が見られた場所が話題になっているらしい。分布の話だった。とんでもない離島などでひとつ見つかるだけでネット上では、関心のある人たちの間ではあるが、大変な話題になるようだった。訊くと一日でかなりの距離を歩いているのに自分ではあまりそうは感じていないらしい。顔を見ていると何か可笑しかった。きっと花を追うのに夢中なのだろうと思った。そして相当いろいろな所へ出かけてもいるようだった。子熊出現もことも、えっ?という感じで特に気にしていない。飄々と好きな花を追っている様子だった。癌のマーカーというものの話を最初に聞いたのはその時が初めてだった。きっと癌の発見に寄与する仕事の人だったのだろう。私は花の名をすぐに忘れてしまうので、それがどういう花だったかは思い出せない。

癌治療について思う、は大体この辺で終わりになりそうだ。



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