カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

12月13日のblogについて、など

2010-12-18 | エッセイ
近代は模索と実験のそのプロセスそのものが作品となった時代である。だから突拍子のないものや必ずしも美的(何を美的というかは難しいところだが)でないものでも解釈の仕方の部分で人々に喜ばれ受け入れられたりした。つまり、そこにはテクニカルなもの、手法が魅力を持つ余地は十分にあったのだ。そしてそれは今でも、そうである。                                 


12月13日のblog:「
アンテナのことなど・今日は雨・13Dec2010」に関連して・・・。
 数日前、12月13日のblogで風捕獲器のフォトを載せた。パキスタンのハイデラバードの、ある街の風景だ。ある街の風景だと言っても私は実際にそこへ行ってみたわけではない。この書籍で知っているだけだ。もう30年近くも前になるけれどこのフォトを見て、年上の先輩か誰かが、正確には何のためのものか分からないらしい、と言っていたのをかすかに覚えている。風捕獲器というのはその後それが実際に正しいと分かったかもしれない。トマソンのような、役には立たないが造形物として魅力のある偶然にも近い産物といったものではなさそうだった。そのようには想像しなかった。
 いずれにしろ、著者もそこまで正確に各地へ行った時にフォトを撮りつつ確認したわけでもないだろうと思ったし、各地を旅してフォトを撮っている時は、ある好みの人々にそれなりの興味とかなりの賞賛とをもって迎えられる著書になるとは本人も思わなかっただろうから、それほどしつこく訊いていたわけでもないだろう、くらいに思った。それは単純な換気口とも見えるし、砂漠地帯の一角に位置するところからも、風は砂を運んで来るわけで、換気口の上の板は砂よけと受け取れなくもない。あるいはそれは火を使うときの煙突かもしれない、などとその時そんな話をしたように思う。フォトからだけならそんな想像も成り立つ。確かなところはそこに住む人に直接訊いてみれば分かっただろう。今なら比較的簡単にできるかもしれないが、当時はパキスタンってどの辺?などと言っていたくらいだ。


                                            
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