カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

駒ヶ根の街、美術館、光前寺など

2012-10-20 | エッセイ

駒ヶ根の街、美術館、光前寺など
少し、駒ヶ根という街についてゆっくりと落ち着いて書いてみたい(たとえ短文でも)と思ううちに日が経ち今日に至って記憶も薄れがちだ。駒ヶ根へ行ったのは今年の8月の下旬である。目的はこのときははっきりしていて木曽駒ヶ岳、宝剣岳への登山だった。
 駒ヶ根という街はその登山口へ通じるロープウエイの麓に位置する街である。峻峰を背後に控えた登山の街でもあるのだ。それでも地図で下調べを軽くしていたら池や美術館や寺があるので何か自分として有意義な時間が過ごせそうな気がした。勘であって特にその地図などに細かく何かが記されていたわけではない。
 その日、本当に好天に恵まれ山歩きを満喫して下りてきて、時間的にフリーな状態になった。ここのバス乗り場隣の味工房のソフトクリームや食事なども美味しく満足であったのだが、それにも増して、こんなところにと言っては失礼かもしれないが、美術館と寺が意外に良かったのである。
 美術館は始めは建物も良いなと思ったのだが、良く考えられてはいるけれど、入館していろいろ展示物を見るうちに、限られた建設資金の中、やっと建てたのかも知れないと思うようになった。きっと人工物の何もない山から下りて来た直後で目が建物のような水平線、垂直線のはっきりしたものに多少なりとも飢えていたので建物が最初の印象ですごく立派に見えたのかもしれない。
 それでも展示物は自分にとっては興味のある人々のものが飾られてあったのである。池田満寿夫、それに藤原新也。池田満寿夫はこんなところになぜ作品がといった感じに思ったが、長野県に住んでいたことがあったらしく縁はあったようだし、藤原新也の方はほとんどなさそうだったが、それでも作品が展示されているということは在住していたとか否かということ以外にやはり何かその作品とこの地を結びつける何かの力が働いたのだろう。
 池田満寿夫の絵は、いつものごとくリトグラフが飾られてあり、のびのびとした一切を気にしないかのような線が何本も重なって、リラックスして肢体を広げた女のヌードをそのまま正面から描いたものだった。記憶だと色が赤色や黄色などのそれも綺麗な色を使ったものだったと思う。あまりにいつもの作者そのものだったので笑ってしまった。他の作家のものもあったけれど際立った違いと言えばそのあっけらかんとしたディテールにこだわらないその感じだっただろう。その他に作りかけて壊れた、というか、わざと途中で壊した陶器が飾ってあった。でもやはり彼はリトグラフの方だ。
 藤原新也はそれだけで展示にワンスペースを与えられていた。照明を暗く落とした円形の展示スペースにぐるりと写真が飾られてあった。その脇に書かれた、彼独特の詩的な、つぶやきとも取れる言葉とともに。インド放浪の時の写真だなとすぐに分かった。字数少なく添えられたその言葉が、詩的というか、俗なコピーなどを越えた感覚をこちらに与えるのだが、ちょっと格好良過ぎるなという感じもした。しかし、当時はそれが、強烈なコピーとして写真以上にマスコミの世界を一人歩きしたのだ。そのことをかすかに覚えている。本の方はほとんど読んでいなかった私でさえ、その短い言葉は知っていたからだ。
 今回あらためて、というより初めてゆっくりと写真を眺めることができた。他に一人二人くらいしか展示場にはいなかった。静寂の中で一つずつその写真を見て思った。これらの光景はインドではそれほど珍しくはない。写真もそんなにピントを合わせたりということに精神を費やしてはいない。ブレているのもある。でも、要はそこにいてそこで撮った自分、ということなのかもしれないなと。若き日の写真家がそこを歩き、一瞬でもシャッターを押すために立ち止まった、その光景を今見ているのだ、と思った。少しだけ藤原新也の目となって・・・。
 展示場の暗がりから出ると、あまりに明るく我に返った。別世界にいたような印象だった。良いものを見たと思った。
 外へ出ると山と山の間にある街とはいえ、まだ明るかった。簡単な地図で見ると、光前寺という寺があり、これもお勧めの観光コースに入っている。来る途中でそこへお参りに向かうお年寄りなどをちらほら見かけたので、思ったよりも良い寺かもしれないと思っていたらその通りで、こんな小さな街に、と思うくらい参道の木立や境内の配置などが良かったのである。境内が意外に広く、寺の建物の配置がきっちりとしたものでなく、どう言うか自然に散らばったように散文的に配置されて、それが丁度良い具合だと思った。林の中に適度に離れて建物があり、自然に緑の中を歩く感じになるのである。箒を持って掃除をしている女の人が、野草か何かの庭もありますよ、と言ってくれたがそこは時間などの関係でパスした。街なかの大きな寺ではないけれど、好い感じの寺だった。だから、ガイドブックなどに載っているのだ。この二つを見てほぼ満足した後、意外と簡単に満足するのであるが、夕暮れ迫る街を気ままに車を走らせ、車で走っても何かゆったりした好い街だな、と思うのだった。
 登山に付随した、駒ヶ根という街の個人的な印象である。




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