カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

スポーツ観戦はシンドイ・10oct2011

2011-10-10 | スポーツ

  昨日深夜、またラグビーのワールドカップを見ていた。日本テレビでオーストラリアvs南アフリカの試合をやっていた。準々決勝でニュージーランドvsアルゼンチンも同時に行われていたようだが放映されていないのだった。新聞のテレビ欄に目を凝らすと、J-sportsとか何とか言うところに小さく出ている。月々なにがしかの視聴料を払わないと見られない様だ。ケチくさい。有名神社の脇の有料駐車場のようなものだ。なんでも料金を取ろうとする悪しき資本主義の見本だ。なぜ日本テレビで立て続けにやらないのか。ニュージーランドの試合と言えば誰もが見たがるものだろう。私も見たかった。J-sportsとかいう番組を見られる用意をし、料金も払い、ただそれだけのことでそうでない人々に差を付けたと感じるような輩も多く見ているのだろう。オーストラリアと南アフリカは私はどちらの応援とも言えず見ていたが、次第に南アフリカ寄りとなった。タックル後のボールへの働きかけがオーストラリアは執拗で、自陣側からではなく横から入ってボールに手を掛けているようにも見られたし、それどころか反対側にいるままボールに手を掛け続けるのもいたり、ラックが形成されているのではというときもその後々までグイグイとボールを引っ張り続ける者もいる「ように」思った。ようにというのは眠くて目が開いていても頭がぼんやりしていたからである。審判が横から入った旨のファウルを取らず、またハンドのファウルを取ることもなかった。逆にノットリリースだと・・・。前回の大会の誰だったか、フランス人のある審判はその点はっきりしていて良かった。大きな問題のようにも思うがラグビー関係者は何も言わないようだ。解説の大畑などは、素晴らしいジャッジですね、などと言っていた。本当にそうなのだろうか。世界へ留学したことのある人は、そのジャッジの頃合いを熟知しているということなのだろう。私にはその感覚が分からない。そんなこんな、従って前半は、オーストラリアのターンオーバーが多かった。南アフリカは気が付いたのか後半でプレイを修正したようだ。選手にすればそうするしかないのだろうが、だがそういう問題なのか。タックル後のところは、小さなプレイも試合に大きく影響する重要なところだ。それが審判によって左右されてよいのか。おお、私はこういうところがラグビーの嫌いになったところなのである。あとはミスジャッジがあると、後でその試合の中で選手がプレイで加減してバランスを取っているように見うけられるところ。そんなものはバランスとは言わない。そもそもラグビーとは不完全なスポーツなのか。他のスポーツでこんなバカげたことをやっているのは見たことが無いのである。ひたすら勝とうとしてプレイしてよいようにルールもできているし分かり易いのが多い。贔屓するわけではないが野球などミスジャッジがあったといって後で加減などするものか。ただ審判がダメなのではないか。審判も人間でミスをすることを認めているからこそそうなのだ。だから抗議もする。気持ちが良い。ラグビーはそこが変だ。オーストラリアに同様のことが、先日放送されたフランスにも見られた。イングランドは破れている。どうも執拗でずるい所が勝ち上がっているようだ。それともそういうのを熟知している、よく知っている、というのだろうか。私は他のスポーツの方が良い。私は、ラグビーは時々で、もういい。 ただ、この国で、どうか閉鎖的になったところで満足はしないでほしい。

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