新潟・山形の旅・フォト
弥彦山・ロープウェイを降りたところ ここから山頂まで尾根伝いに2、30分
歩きました。フォトは見晴らし台のある場所で、天気の良い日は佐渡ヶ島が
はっきりと見えるのですが、この日は見え隠れ。係りの人が雪かきをしてく
れているところで、ほどなく完了。一緒にロープウェイで来た人たちがその
見晴らしを眺めていたようです。私は、このフォトを撮影後、すぐに頂上へ向けて、
後も見ずに歩きだしました。
朝の酒田の街・「寒ダラ祭り」の和太鼓 見物客が大勢集まり始めたところ。
勇壮な和太鼓の演奏は迫力があり、あまり時間に余裕はなかったのですが、
しばし見とれました。通りにはテントが張られ食べ物の屋台も多く出店され、
ちょうど賑わい始めたところです。
寒ダラ祭りの通りに飾られた獅子頭
ツイッタ―というのを調べていて、すぐにどういうものか分かったので、登録だけして簡単に始めてみようかと思ったのですが、いろいろと検索してみているうちに世界中の人が参加している、と説明されているのに日本語を使う日本人がほとんどの様で、特に僕が英語を使うということもないのですが、少しばかり様子が分からない気がして、今回は止めにしました。
今回の新潟・山形の旅の帰り、新幹線の中で弁当などの車内販売がありまして、「牛肉どまん中」という名の弁当にしました。名前が気に入ったからです。米沢牛が美味いのでは、という予感がしました。販売員の男が、「これはアタリです」と言って笑っていました。席の小さなテーブルには、既に乗る時にキオスクで買い求めた山形の地酒ワンカップが鎮座ましまし・・・。これは駅で既に仕入れたから、と僕が言うと、販売員は次の僕の、だからビールを、という注文を快く理解してくれて、ビール缶をぐっと差し出してくれたのでした。どうぞ、と言って。それから新幹線の中にて「一人宴会」なるものが催されたのですが、このときの、牛肉弁当が、美味かった! 方言で言うと、もうメッチャンコ美味かった! 本当に良い味でした。美味すぎて、あっという間に食べてしまい、地酒を飲む時はツマミとなるものが無くなってしまう、というくらい美味でした。お勧めです。
弥彦山という山に登りました。高さは僕の持っている地図では634Mとなっていて、現地の街でもらった地図には638Mとなっています。どっちが正しいんじャイ?それと、パソコンで、やひこやま、と入力すると何故か、弥英彦山、となってしまうのです。不思議な現象でよく分かりません。ともあれ弥彦山に登りました。ロープウェイで・・・。上は雪が積もっていました。ロープウェイ降り場から700Mほどもその雪の中を尾根伝いに歩き、そこまで行く人は今の時季、あまりいません、やっとのことで頂上にたどり着きました。何度か転びそうになり、雪に手をつき、木につかまり、といった呈で、その後、人差し指の先がしもやけになって、旅行中、しばらく痛みが抜けませんでした。頂上からは、月並みな言い方ですが、日本海の荒波と、雲の下にうっすらと佐渡島が見られ、振り向けば、コシヒカリを産する新潟平野が雪で白くなって広がっているのでした。
弥彦山から佐渡までは40キロほどだと、ロープウェイの係員が教えてくれました。その向こうに、ユーラシア大陸が広がっているのかと思うと、何か胸の内にかきたてられる何ものかを感じたのでした。風は北西から吹いていました。
弥彦山では、軽い冬山登山の装備をして、麓から登って来ている人にも数人、出会いました。また、4、5人のパーティーの新潟放送の人たちにも出会いました。機材を持っていて撮影取材に来た、とのことでした。すれ違う時にその中の女性と話しました。来週、つまりもう今週になりますが、放送予定と言っていました。全国版ではなく、それでは東京に帰って見られないですね、と言うと、そうですね、すみません、と言っていました。天気が良かったので良い映像が撮れたことを信じて疑いません。僕はケータイ動画で気楽に撮りました。
弥彦神社にお参り。境内を流れるせせらぎが澄んでいました。参拝客がチラホラと見られました。近くの温泉へ・・・。温まりました。
新潟市内に宿泊。夜はかなり雪が降り、街を歩き回ってみたいと思っていた計画をいとも簡単に止め、出たのはホテルの近くだけで、ほとんど動きませんでした。
新潟の居酒屋で、一杯。「越の寒梅」にしました。ホテルフロントの女性に教えてもらった居酒屋は、どうしたわけかその日は早く閉店してしまい、勘で数件横の、別の居酒屋へ。まあ、越の寒梅が飲めたから、何はともあれ良かったです。帰りにコンビニでもう一つ、普通のワンカップを買ってホテルの部屋へ帰り、飲み始めたら、味が同じなのでした。僕はあまり日本酒の味は、分からないようです。だから、普通のワンカップで十分かもしれません。
最も北国の冬の厳しさを感じたのは、新潟から山形の鶴岡へ向かう列車の中から見た雪景色に対してでした。降り積もる雪と荒く打ち寄せる鉛色の日本海の波。船で難破でもして、あの海に投げ出されたら数分と持たず死ぬだろうな、と思いました。同じ車両に乗り合わせた、ニュージーランドのオールブラックス風のジャケットを着た体格の良い外国人たちも、3人のグループで、うち1人は女性で、もしかすると本物のオールブラックスの一員であったかもしれません、その日本海の岩と波と雪の荒々しい景色に歓声を上げていました。
今回の旅は、新潟市内と、山形の鶴岡に、計2泊。
よく歩いた街は、鶴岡と酒田。
宿での起床は、アラームを使ったのですが、心地よい旅疲れで、全く効き目が無く、眠りこけておりました。よくも列車などの時間に遅れなかったものだと我ながら感心しています。
帰って来て、土産の粕漬けを食べてみたら、奈良漬に似て味付けがシッカリしており、かつ、美味でした。これは鶴岡の土産。
鶴岡駅からは、バスを使いました。致道館近辺に見所が集まっているのです。意外と小さな町で、あっという間に着きました。バスを降りてすぐに歩きだし庄内藩校致道館、大宝館、致道博物館、慶応タウンキャンパスと中のレストラン、公衆便所、鶴岡アートフォーラム、ときて歩き疲れました。実は土産物屋の、デガンス、も目当てであって、ここで土産物を物色しながら休憩しました。スーベニアーにいいものを見つけ3、4品買い求めました。満足です。粕漬けもここで。その他、栃から採れた蜂蜜、乾麺類など。それから気を取り直してもうひと踏ん張り、カトリック教会天主堂、風間家丙申堂(これは期間外だったようですが、もう足が疲れ、外から見ただけでした)、釈迦堂、そして開運橋を渡り、次へと向かいました。銀座通りで開いていた中華料理屋で、ラーメン&餃子を食しました。寒かったので温まりました。手袋をしていないと手がかじかんで動かなくなるくらいの寒さで、やはり北国の一街です。
鶴岡で見学のため入館料を払う時など、寒さで口が動かず閉じたまま話すのではからずも東北弁風になり、係りの女性と笑いました。笑う時も口をすぼめたまま笑うわけです。池など凍っていますから・・・
酒田の街では、山居倉庫が見られればまず良いな、と思っていました。他の名所で説明の人に訊きました。
「やまい倉庫ってどこにありますか」
「倉庫? うーん・・・」
「そうです。倉庫、やまい倉庫、この街では有名だと思うんですけど」
「さんきょ(山居)倉庫だったらあそこを右へ曲がって橋を渡ったところですけど」
「??? さんきょって読むのですか。あーはは」
「そう、すぐそこですよ」
地名の読みはいろいろ。親切に教えてくれました。旅に出る前の晩に大急ぎで即席に調べただけなのでそんなものです。その前に、別のことで散策中らしきおばあさんに道を尋ねたら、「うーん」と言ってしばらく考え、出てきた答えが「わからん」でした。後ですぐ分かったのですが、訊いた場所はそこから見えると言ってもよいほど近くだったのです。よく見渡してみたら訊かずとも分かるのでした。笑ってしまいました。
山居倉庫へ向かい見ることができました。フォト撮りまくり。甘いものが欲しくなりソフトクリームを食しました。美味かったです。
土門拳記念館へ行きました。山居倉庫の前にバス停があってそこからバスに乗ればいい、と聞きました。「るんるんバスでね!」とその教えてくれたお姉さんがいうので何かと思ったら、主に観光客相手に安く名所を走らせているのをるんるんバスと呼んでいるのでした。もちろん街の人たちも利用しています。料金は100円でその安さに、もう感激しました。但し行きは歩きました。バス停で待とうかとも思ったのですが、いつ来るやもしれず、3キロか4キロくらいということだったので歩いた方が早いと思ったのでした。延々と、橋など渡り、歩きましたが、その間、後ろからバスに追いつかれることはありませんでした。良く調べてはいなかったものの、やはり本数は冬場ということもあり少ないようなのでした。やっと記念館前のバス停へたどり着き、帰りのバスの時間をチェックしようとバススタンドへ行くと、まさにその時1秒と違わず、後ろから、乗っていたであろうバスが到着したのでした。降りた乗客はいなかったようです。その後、記念館を楽しみました。写真撮りまくり。記念館の女性に、「あそこに見えるデカイ山は何という山ですか、月山ですか?」と訊いたら、一瞬「えっ?」という顔をして「いえ、鳥海山です」(笑) 「ええっ? 月山じゃないんですか、あれが有名な鳥海山・・・」(笑) 「月山はもう少し遠くですね」(笑) 天気も良く、歩いている時ずっと見え続けていた山が、ずい分と立派な山だなと思っていたのですが、鳥海山だとは思い至らなかったのでした。記念館は、当然のごとくこの風景を意識して計画されていると見ました。写真は既に知っているようなものが掛かっていましたが、スケッチも飾り気が無く、なかなかの迫力でした。この辺りでかなり体力が消耗。歩き疲れました。短い時間でしたが良い時間を過ごすことができました。
旅から帰って来て、酒田で手に入れたパンフレットなどを眺めているうち、自分が思っていた方角と実際の方角にかなりズレがあることに気付きました。駅を出てすぐに左へ曲がり、空港へ行く道、42号線があるのですが、これがほぼ西へ向かって伸びている、と思っていたのでした。空港は大体海の方にあるので道は西へと伸び、海へ出る、と。だから他人に道を訊いた時、橋があって最上川が流れている、と聞いて理解しにくかったのでした。何で、海のあるはずのところに川があるのか、と。あるいは海岸線に沿って川があるのは珍しいなと、漠然と思ったのでした。45°から90°くらい左へ回転させねばならないのでした。道は大体南方向へと延びているのでした。今、パンフの地図を見つつ、回転、頭の中で修正しております。最上川にかかる出羽大橋は、長く単調で渡り切るまでに飽きました。後でその名を知った鳥海山を橋の上で眺めたのが唯一、気分の変わる一瞬だったことを覚えています。橋は側道の工事中でした。工事の人たちもその長い橋を延々と歩いていました。体にだけはいいかも。
もう一昔ふた昔前のことになりますが、時代の気分を表す言葉として、アモルファスという言葉などがあって、思想、哲学系統のことを語る時にも使われたりしました。建築、あるいは都市を語る時に使われもします。不定形な、形を持たない形をイメージさせる言葉として丁度よく、90年代頃からずっと言わば溶融状態的気分を含んだ時代を背景に建築、都市を語る上で使われもしてきたわけです。同じことを言っているかどうか正確には言えませんが、僕はそれをゲル状のものをイメージしても悪くはないと以前から思っていて、建築と都市と人間が織りなすある溶融的柔らかなイメージ、あくまでもイメージであって実際の例えば建築の硬さ、ごつさとは少し違う領域でのこととして、そのイメージを、都市の硬直性を破るものとしてアメーバ状のもの、ここであえて物とは書きませんが、と捉えたことがあります。どうしても形を崩した方向、あるいは不定形な方向へと思考が向かうのでした。1980年ごろのことです。その頃はアモルファスという言葉は出てきていませんでした。また不確実性というような言葉もその後に出てきた言葉です。時代を捉える時のある共通した何かがあると思うのです。僕の場合は、怠けたディプロマであったかもしれませんが当時、エキスだけは描き込んだ覚えがあります。一方、アマルガムという言葉もあり、混交、融合的なものをイメージさせ、かたく狭い意味で捉えると先のアメーバ的なる発想とは少し違う類の事のように思うかもしれませんが、ザックリと捉えると「アメーバ的」で包括できると思うのです。硬い、定義的なるところから捉えようとすると無理が出てくるという類の事柄です。そういったものどもを同時に取り込むことができる、そして動的である、そこがアメーバ的なるものであり、かつ、その個々の部分が独立的に、かつ連携的連関的にうごめく、不定形というのはうごめく、動的であるという感じです、そういう超イメージ的なこととして捉えていました。年月は流れました。ちょうど、先日の旅で新潟・山形の街などを眺め、歩き回り、そういった事はあまり思い出しませんでしたし、それでいいと思っているのですが、とにかく見て回り、旅から帰ってくると、例のJALの騒動が少し静かになっていて、京セラの稲盛さんという人が新しく社長に就任することが報道され落ち着いたようでした。そして、よくは知らなかったのですが、その人の、2000年代に入ってからのようですが唱えたことの一つに、アメーバ的なもの、この場合は人間を見つめた感が強いようですが、これがあって、ほんとに驚きました。
湯田川温泉というところに行きました。旅に出る数日前まで知らず、鶴岡の旅行ガイドを検索するうちに、行きあたったのでした。他にも鶴岡近辺には、色々と良い温泉があるようですが、冬の雪で交通機関がマヒしているかもしれない、と都会からは想像され、なるべく駅から近場の場所で良さそうなところをピックアップしたのでした。良い選択であったかどうかは知りません。いわゆる古い、地味な温泉街だと思いますが、藤沢周平、竹久夢二、そして山頭火までが逗留していたと後で知って、軽い驚きを覚えました。僕は、「正面の湯」という、湯田川の街の人たちも普段使っている湯にしました。ロッカーなどあるはずもない温泉の原型といってよいような温泉です。入っているのは街の人たちなので心配することもないのに、脱衣場の盗難が気になり、気が気ではありませんでした。都会人のサガ、です。いい湯でしたが、夕方になり、一段と冷え込み、帰りのバスを待つ間に湯冷めしました。日帰り入浴ができる宿も5、6件あります。500円前後。湯冷めも気にせず雪の積もる街を歩き、偶然、由豆佐売神社というのを見つけ、お参りしました。そこに乳イチョウというのがありました。パンフなどには、あまり大きくは取り上げていませんが、珍しいものだと思いました。古いイチョウの木が、長い年月と自然現象で変わった形になり、丁度、女の乳のような形をしているのです。ボヨンと突き出た乳ではなく垂れた乳ですが・・・。古代樹などが好きな人なら一見の価値があります。冬場で人も少なく、2、3人の家族連れや若い女性の2人連れなどが、時々通りを行き交うぐらいで、湯田川の街は静かでした。バスで鶴岡駅まで帰り、駅近くの宿に泊まりました。
鶴岡の駅前には、衣料品なども扱う大きめのスーパーもあり、都会だ、と思いました。都会の経済の匂いというか空気といったものがあって、それが、鶴岡ではそのスーパーが代表しているのでした。東京にあるものはそこでほぼ手に入ると思いました。つまりは湯田川の温泉街との落差が、対照的なわけです。
酒田の街の歩きだしは、まず、偶然出会った「寒ダラ祭り」の中通り商店街、ここから、江戸時代に栄えた廻船問屋の「旧鐙(あぶみ)屋」、次に「本間家旧本邸」と見て歩きました。建築的には見ておいた方が良いかなといったところ。また、夕方近くになって「山王くらぶ」へ行きました。芸者などをあげて遊ぶ、いわゆる料亭だそうです。この辺りは昔は酒田の中でもそういう街であったそうです。今、建物は、料亭としては使われてなく、見学用に開放されていて傘福などといったつるし飾りなどの展示が行われています。先の本間家などは、書院を備えた長屋門、武家屋敷造りで、剛直な感じでそれはそれでよいのですが、山王くらぶの、何処か雅た、遊ぶところとしての雰囲気を持った建物も僕にとっては実に肌が合い、魅力的でした。ここには、竹久夢二の宿泊していた部屋があり、小さく、天井が低く、炉が切ってあり、とても居心地がよさそうで印象に残りました。また、2階のステージのある大広間も、昔は客人の前で芸者が踊りなどを披露したもののようですが、今でも十分使えそうでした。建具、欄間など造作が細かく、手が掛かっていると思いました。
山王くらぶを見たので、川沿いの海鮮市場は、その時、かなり疲れていましたし、今回はパスすることにしました。海鮮市場も前の日には記念イベントが開催されたりして、それを目当てに来た人々で賑わいを見せたそうです。
時間ぎりぎり、山王くらぶを後にし大急ぎで小走りに、酒田の駅へ向かいました。よくも道を間違えもせず列車に間に合ったものだと今でも思います。まあ、遅れたら遅れたでどうにかなったでしょうけれど。
ですます調で書くと、気のせいかもしれませんが、何処か太宰風のような気がしてきて、気持ち悪い感じもします(笑)。妙な気分になりました(笑)。