ある日のこと
諸事情あって、近年対立することの多いAさんとBさん双方から
別々に話を聞く機会があった。
話し合いのため、Aさんの家でBさんがお茶をしたらしい。
Aさん曰く
「大変な時期にBさんに家に押しかけられた」
Bさん曰く
「Aさんの家が近いからということで、Aさんに誘われて家に行った」
私の感想
(突っ込める空気感はなかったので、秘かに心の中で)
おもしろい。実におもしろい。
以前だったら、 AさんとBさん、どっちが正しいのか・・・?
と考えてただろうけれど、
今の私は、どちらも本人にとっては真実なんだろうなと感じた。
そして、AさんやBさんに限らず
こういった「ものの見方の違い」での行き違いは、
たっくさんあるんだろうなと感じた。
「人の数だけ真実がある」
山本昌知老師がおっしゃった言葉
それを改めて感じた出来事だった
こういったとき、自分だったら「自分が正しい」と、
正しさで相手を屈服させたくなる。
だけど、そんなときに「人の数だけ真実がある」をモットーに
「あなたは、そう捉えたのね~。私はこう捉えたの。おもろ~。」
というゆとりがあれば、相互理解につながるような気がする。
どちらが正しいか責め合って勝敗を決めたところで、
生まれるのは勝者と敗者。
勝者が得るのは一瞬の快楽、敗者が得るのは敗北感と相手への恨み、
人間関係はズタボロのような気がする。
相互理解ができれば、平和が生まれ、相手に対しての心の距離も近くなり、
人間関係もよくなるような気がする。
「正しい」か「正しくないか」ではなく「理解」をしたい。
だけどもだけど、それが難しいのよね~。特に身近な人。
うっかり八平
諸事情あって、近年対立することの多いAさんとBさん双方から
別々に話を聞く機会があった。
話し合いのため、Aさんの家でBさんがお茶をしたらしい。
Aさん曰く
「大変な時期にBさんに家に押しかけられた」
Bさん曰く
「Aさんの家が近いからということで、Aさんに誘われて家に行った」
私の感想
(突っ込める空気感はなかったので、秘かに心の中で)
おもしろい。実におもしろい。
以前だったら、 AさんとBさん、どっちが正しいのか・・・?
と考えてただろうけれど、
今の私は、どちらも本人にとっては真実なんだろうなと感じた。
そして、AさんやBさんに限らず
こういった「ものの見方の違い」での行き違いは、
たっくさんあるんだろうなと感じた。
「人の数だけ真実がある」
山本昌知老師がおっしゃった言葉
それを改めて感じた出来事だった
こういったとき、自分だったら「自分が正しい」と、
正しさで相手を屈服させたくなる。
だけど、そんなときに「人の数だけ真実がある」をモットーに
「あなたは、そう捉えたのね~。私はこう捉えたの。おもろ~。」
というゆとりがあれば、相互理解につながるような気がする。
どちらが正しいか責め合って勝敗を決めたところで、
生まれるのは勝者と敗者。
勝者が得るのは一瞬の快楽、敗者が得るのは敗北感と相手への恨み、
人間関係はズタボロのような気がする。
相互理解ができれば、平和が生まれ、相手に対しての心の距離も近くなり、
人間関係もよくなるような気がする。
「正しい」か「正しくないか」ではなく「理解」をしたい。
だけどもだけど、それが難しいのよね~。特に身近な人。
うっかり八平