雑感  ー皆さんからの投稿をお待ちしていますー

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「歎異抄をひらく」を観て

2019-07-27 18:33:08 | 日記
歎異抄をひらくというアニメ映画を観た。
唯円(ゆいえん)という親鸞の弟子の、
言ってみれば青春ストーリー。
1ヶ月ほど前に観たのに、
時々その中の言葉が頭をよぎる。


親鸞の「悪人こそ救われる」という思想。
映画を観るまでは、なんのこっちゃ、と思っていた。
しかし親鸞の悪人のとらえ方が、違う。


人間は死ぬまで、煩悩から解放されることはないようだ。
死ぬ前は、仙人みたいな人になるのかなぁ。。。
などと思っていたけど、あまかった。
やっぱり、煩悩は捨て去れない。それが人間という生き物。
煩悩を捨て去れない人間はみな、悪人なんだ。
うーん、そういうことかぁ。


幼なじみの女の子を助けたいと、
唯円が親鸞に言ったときの返答も心に残った。
「人を助けたければ、まず、自分が安全な場所に立つことだ」
溺れながら、人を助けることはできない。
なるほどなぁと思う。


そして最後
「極楽浄土とは、どんなところ」と言う問いに対して。
「大きな大きな船にのっているようなものだ」と。
とてもわかりやすく、その情景が浮かぶ。
大きな波が来たとしても、転覆することはない。
波に逆らわず、大きく揺れて、
だんだんとその揺れも小さくなり、
そしてまた、大海の上に静かに浮かんでいる。


心もこうありたいものだなぁ・・・。
でも、大波がきたら、めっちゃジタバタしてそう(汗)。。。


YOU  



裁きからの奴隷解放宣言

2019-07-09 10:42:15 | 日記
派手に喧嘩したときのこと
その喧嘩では「許すか許さないか」の決定権を私がもっていた
もがき、悩み、苦しみ、何度もいったりきたりした後
勇気を出して許すことを決めた。
それを決め、えいやっと相手に伝えたとき、それまでの苦しみから解放され
「自由だ~!!」と走り回りたくなった。

それまで、許される立場のほうだけが不自由で
許すか許さないかを決める立場のほうは自由だと思っていたけども
どちらも同じくらい不自由だということを実感した。

「許す、許さない」という表現はオーバーかもしれないけど
特に喧嘩をしてなくても、
勝手に心の中で人に「いい、悪い」をつけて
「あんたが悪い、あんたが間違ってる」と人を裁いてることがある。
それって、自分で自分を不自由にして、苦しくしてるだけなのかも。
そう思うと本当にばからしいなと思った。

自分で鎖を体中に巻き付け
自分で自分の首をしめながら
「あんたが悪いのよっっっ!!あんたのせいよっっっ!!!」
って人を責めてるようなものかも。
想像すると笑えるほどばかばかしい。
というか、そんな人と友達になりたくない。怖い。

自分や人を裁く心の癖をなおそう。
裁きから自由になろう。
裁きからの奴隷解放宣言じゃ~!!

                         うっかり八平