おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。
今日は、会津女子の中野竹子をご案内します。
ときは1868年。戊辰戦争時代の16歳・17歳の少年たちの剣士「白虎隊」は、世間でとても有名ですが、会津娘子隊(じょうしたい)の奮闘も会津では有名です。
会津娘子隊というのは、会津若松市内の柳橋(涙橋)で、会津藩士と薩長軍が衝突したとき、勘定役中野平内の妻こう子が、娘の竹子(22歳)と妹の優子(16歳)といっしょに20人あまりで出撃した部隊です。
この戦いで、竹子は、敵の銃弾に当たって戦死。母のこう子は、娘の首を敵に渡してはならぬと、竹子の首を斬り取って、優子とともに退きました。
竹子と優子の姉妹は、絶世の美女としても有名でした。

この竹子を伝える像が、奮戦の地にひっそりと建てられています。
先日読んだ西村京太郎のミステリー「十津川警部 帰郷・会津若松」では、この竹子に憧れた犯人の犯行動機をめぐる話が描かれており、竹子を生んだ会津の風土と、現代の会津人が引き継いでいる感情をとてもよく表現している内容でした。西村京太郎さんにしては珍しく、鉄道を使ったトリックがほとんど感じられない作品でしたが、会津人の頑固さや純情さが作品に散りばめられていました。
気軽に読める本なので、会津を訪れる際の往路にでもお読みになられると、旅が充実すること間違いありません。
現代の絶世の美女が会津のどこにいるかは、みなさま自身でお探しくださいね。
中野竹子像の場所を貼っておきます。七日町駅から徒歩約20分です。
さあ、今日も楽しい一日を過ごしましょう。