石でないものが石になる、ということでは、
李賀「秋来」の「恨血千年土中碧」がある。
誰に読まれることもなく詩作に心血を注いだ詩人の血が
土の中で碧玉(エメラルド)に変わる。
赤い血液がどうして緑の石になるのかは謎。
春秋時代、周の賢臣が無実の罪で処刑された。
蜀の人が哀れに思ってその血を蔵しておいたところ、
三年後、血は碧玉になっていた。
という話が下地になっているそうだ。
李賀の詩は千年以上の生命を保ちつづけている。
かつて別のものだった石、これから別のものになることも
あるのではないか。
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夏の陽に灼かれて日々をあるばかり石は花々のやうにひらかず
眼をあけて末枯の野の石を見よいまかとび発つさまに光れる
「あくびする花」杉原一司
(『現代短歌大系11 夭折歌人集』)
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地中の血がエメラルドの石になるのだったら、
陽光に灼かれた石がいずれ花々になるかもしれず、
枯野に光る石がそのうち鳥になるかもしれず。
李賀は二十七歳、一司は二十三歳まで生きた。
幸田露伴は「石」の歌をたくさん作っている。
『露伴全集』で、ざっと数えて八十首以上。
何の石なのか、一首一首に付してくれている。
現物写真のない、歌による鉱物図鑑のよう。
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胸中石
胸の中に石をいだきて石の歌をおもひつゝぬる夢のしづけさ
こんな概念的な少女のような可憐な歌もあれば、
スフィンクス石
笑みもせず愁ひもせずて長々し月々を目守る嗚呼スフィンクス
こういう大きな規模の歌も。「スフィンクス石」とは、
猫座りしているあの巨大な建造物を一言で表したのだろうか。
なんと大づかみな。
なお「ピラミッド石」という歌はない。
天方黒石
やけぞらの長路い行きて黒き石をおろがむアラブタアバン赤き
これもスケールが違う。メッカの黒石、そこにわらわらと集まる
赤いターバンの信者たち。どのぐらいの人数か想像もつかない。
木葉石
遠き/\劫初の木の葉沈もりて石と成りけむ近き/\世
木の葉が水底に沈んで長い歳月をかけて石になる、
なんてことがあるのだろうか。植物から石油ができるそうだから
そんなこともあるのかもしれず。
ああ見えて石だって生きているのに違いない。
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ひとつひとつ見てゆくと、歌も石も露伴も、
どれもこれもたのしい。
『露伴全集』第三十二巻 口絵写真