音信

小池純代の手帖から

雑談22

2021-09-07 | 雑談
   故知らね 囁沼に芹を摘む 黄檗の僧ふり向きにけり
         囁沼:ささやきぬま 摘:つ

        岡井隆「鵞卵亭昨今」『マニエリスムの旅』(1980年刊)

ところで「芹」は春の季語。歳時記の解説からいくつか。

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【芹】三春

◎湿地や、浅い水に群がって自生する。
◎葉は分裂が多く、根は白く柔らかく細長い。葉も根も香気が高い。
◎春の七草の一つであり、その若葉を摘む。
◎「せりあう・せりだす・せりあげる」の「せり」と同じ意。
 摘んでも摘んでも競うように盛んに生えることから「せり」。
 また、一箇所にせまりあって生えることから「せ(ま)り→せり」。
 諸説あり。
◎異名に「つみまし草」がある。
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「芹摘み」も関連する季語として扱われているが、
慣用的歌語からは相当離れている。

名前からして春の旺盛で新鮮な生命力が連想される季語「芹」。
調べていたら次の句が気になった。

 わが死後の班女が掬ふ芹の水  佐藤鬼房

『鵞卵亭』「西行に寄せる断章」に混ぜてみるとどんなだろう、とか、
そういえば「恋重荷」「綾鼓」も「班女」も謡曲だった、とか、
そういう気になり方。
「芹」が詩句に及ぼす「芹力:せりぢから」、存外つよいのかも。

閑話休題:それはさておき。




岡井隆『マニエリスムの旅』「あとがき」。


初出では三行詩として発表された一首の例として挙げられている。

 故知らね
 囁沼に芹を摘     摘:つむ
 黄檗の僧ふりむきにけり


「故知らね囁沼に芹を摘:つむ」の五七五に、
「黄檗の僧ふりむきにけり」の七七を付けたものと思しい。

「上下句の、あまりに明瞭な対照を、あえて中和せず」とあるが、
「故知らね」の初句によって混濁に近い融和が生じているようにも見える。

音韻だけ拾ってゆくと音同士の唱和が見えてくるようだ。
「ゆゑしらね」のe音の斜め切りは「せり」のei音の前触れ。
上の句のe音とa音の際立ちに対して、下の句のo音とu音の底籠り。
i音は、このたびは落ち着いて働き、初句から結句まで弥縫する。
s音とr音の可憐な鎬合せはそのまま水辺の芹の香気を思わせる。

と、このように書くと「黄檗」がひとりきりになってしまう。
下の句ou音の先触れではあるものの。「僧」が
受け止めてはくれているものの。

だから、ふりむいてこちらを見ているんだろうか。



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