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音信

小池純代の手帖から

雑談20

2021-09-01 | 雑談
  

ひきつづき『雪竇頌古』を摘まみ読み。「黄檗:おうばく」ということばが出てきた。

調べると、植物、生薬、禅宗の黄檗宗、普茶料理など、幅広く意味が出てくる。
しかし、まず思い出されたのが、このお菓子。

  

かぎや政秋」さんから画像拝借。

「唐菓の古風を残した素朴な銘菓」とのこと。「唐菓の古風」をいまの日本で
味わえてありがたい。


『雪竇頌古』に登場するのは禅僧、黄檗希運(?ー850頃)。
百丈懐海に師事、弟子に臨済義玄。黄檗山を開いた。
『伝燈録』から、こんなことばが一場面とともに示されている。


 檗云、不道無禅、只是無師。

 黄檗和尚が大衆に向けて言った。
 「あなたたちの修行はなってない。大唐国に禅の師匠など一人もいない」。
 ひとりの僧が言った。
 「では、あちこちで弟子を集めて教えている人たちは何なのですか」。
 黄檗は言った。
 「不道無禅、只是無師(禅がないとは言わない。師匠がいないのだ)」。


よくブーメランが刺さらなかったなと思うが、そういえば藤原定家も
似たようなことを『詠歌大概』に書いていた。

 和歌無師匠只以旧歌為師

 和歌に師匠なし。ただ旧歌を以て師と為す。


もうひとつ、「黄檗」で思い出したのが次の一首。


 故知らね 囁沼に芹を摘む 黄檗の僧ふり向きにけり
       囁沼:ささやきぬま 摘:つ

                 岡井隆『マニエリスムの旅』


      



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雑談19

2021-09-01 | 雑談

『雪竇頌古』に『趙州録』からの引用があった。

 挙。僧問趙州、如何是趙州。州云、東門南門西門北門。

「挙。」は「引用しました」の目印。
句の意味は非常にシンプルで、だいたいこんな感じ。

 僧が趙州に問うた。
 「趙州とはどのようなものですか」。
 趙州は言った。
 「東門南門、西門北門」。

「趙州」は、
「趙州従諗:じょうしゅう じゅうしん」、唐の禅僧の名前でもあり、
いまの河北省西部にあった都市の名前「趙州:ちょうしゅう」でもある。

「横浜中華街とはどのようなものですか」と尋ねて、
「東に朝陽門、南に朱雀門、西に延平門、北に玄武門」
と答えたら親切かもしれない。

「東に東門、南に南門、西に西門、北に北門」は
果たして答えになっているのかどうか。

このにべもない答え方、そして「東門南門、西門北門」から
連想されるのが、


  

  

   「雲 長歌並びに反歌一首」『石榴が二つ』より


作者の記憶や意識のどこかに、趙州の公案があったのかどうかはともかく、
この長歌の対句構成は長歌らしくもあり、漢詩らしくもある。

「白のかがやき」から「かがやきの白」への乗り換え方や、
「ほがらかに寂しき」のオクシモロンのとぼけ方は
禅っぽくもあり、俳諧っぽくもある。

 東門 西門 南門 北門

縦表記の門四つのあとの
「かの市や その人や」から
「越えゆくは誰そ 去りゆくは誰そ」に至るまでの
押韻と反復のうたいっぷりを、にこにこと堪能したあと、

 東門
 西門
 南門
 北門


横表記の四つの門。
縦横クロスさせれば立派な都大路の完成だ。
ここはくすくす笑っていいところだろう。

ダンテの『神曲』「地獄の門」の連想も働くが、
この日頃、地獄のことは考えたくない。
「うすうすとくれなゐ」の微笑を帯びて読みたいと思う。

  

   玉城徹『石榴が二つ』



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