君の笑顔が見たくてヾ(*´∀`*)ノ♪

日々の食&出来事、我が家の3人息子の話・・・など
子どもたちの笑顔が見たくて頑張る母のブログです。

銀婚式ヽ(〃'▽'〃)ノ☆゜'・:*☆オメデトォ♪

2012-03-12 23:10:41 | 今日のお弁当
三男、期末試験中もお弁当持参。
卒業式予行練習日もお弁当持参。
流石に、卒業式は母が却下(三男は高二)。

そして、6日。
母は当たり前のようにお弁当を作り、当たり前のように持参。
三男「お母さん、今日から終業式まで四時間で終わりだって」
母 「じゃぁ、もうお弁当はいらないの
「いや、いる」

三男は鞄にお弁当だけをいれて学校に行きます。
お弁当を食べに学校に行く事を、かるぅーく認めています









お弁当の写真も撮ったり撮らなかったり・・・

さて、さて、銀婚式ですが・・・。
3月7日は結婚記念日でした。
その日は夜中の仕事の予定が入っていて、定時に帰宅し、仮眠をとるため
さっさと食べる、外食ってことで、3人でラーメン屋に行きました。
結婚記念日を忘れることなく(私が)過ごせたのにラーメンまっ、いいか。

でもね、よくよく考えたら、今年は25年目。そう、銀婚式だったの。

「お父さん、やっぱり銀婚式だったよ」って言ったら
「なんかくれるんか
はぁ、ここまで耐え忍んだ私こそ、貰う権利があるだろ
なにか、記念に残る物、こっそり買おうかしら


話は全く変わりまして・・・


3月11日
1年前のこの日は仕事で従妹の家にお邪魔していました。
寒い日でした・・・。
グラっと揺れが来て、壁にかけてある絵(額縁)が落ちました。
「あれ、地震かな?テレビつけるね。あっ、やっぱり地震だね」
そのままテレビを見続けていたらそこに繰り広げられる映像に
ただただ唖然とするばかり。
従妹のお母さんの実家は仙台。直ぐに連絡をとるも、既に携帯は繋がらない。
テレビでは刻一刻とその姿を変えていく街の風景が、まさにリアルタイムで
映し出されていく・・・。でも、ハッキリ言って、この時点では
ここまでの大惨事になるとは思っていませんでした。
時間の経過とともに被害の全貌が明らかになって行った。
多賀城市の主人の友人に連絡を入れるもやはり繋がらない。
何日も何日も連絡が取れない日が続き、行方不明者の中に名前を探す日々。
海上保安庁の職員であるその友人に連絡が取れたのは数日がたってからでした。
沖合に出ていたので津波の被害に遭わずに済んだので、船内で炊き出しを
していたそうです。幸いにして、福島、宮城に住む友人知人は誰ひとり
犠牲になった人はいません。
私にできる事、直接被災地に行く事は出来ません。
大金を寄付する事も出来ません。
今でも続けている事はmixiの1円寄付のアプリです。
寄付と言っても私がしているのではなく、1日1回クリックすることで
私に代わり寄付をしてくれるものです(クリック募金)。
そこから2つのクリック募金にいくことができます。ですから1日3円。
今はそんなことしかできません。
先が全く見えない復興への道ですが、来年の3月11日には、また一歩
進んでいることを祈って・・・。