最初の眼鏡は中学一年生。
眼鏡がかけたくて、親に無理を言って(多分)買ってもらいました。
視力は0.5程度ではなかったかな。
あっという間に0.1を切り、高校生の頃は黒板を見るときだけかけては外し
ノートをとる姿は机に突っ伏してまるで居眠り状態。
「寝てるんかぁ?」と先生に指摘されることもあったくらい。
初ボーナスで買ったものはコンタクトレンズです。
レンズ(片眼2万円)と煮沸洗浄機(1万円)併せて5万円。
高価なものでしたが度数が進み、毎年のように買い換えていました。
眼科の先生曰く、25歳までは進むと(40年前、当時言われた)。
確かに、いつの間にか、視力は低下しないが、コンタクトレンズが劣化して
買い換えるようになってきた。
それが眼鏡に戻ったのは・・・。
次男がコンタクトを使用するようになり(部活動)ましたが、扱いががさつで
眼科の先生に、このままだと目に悪いからとワンデーを勧められ(それまでは2weak)
一家に2人コンタクトは家計に響く(長男、三男も眼鏡)から私は眼鏡に戻りました。
そして今、眼鏡は3本持ち。
普段は中近。家の中では遠くまで見えすぎるのも目が疲れる。
職場では近近。パソコンと手元に焦点があたります。
仕事終わりにパソコンを閉じ、眼鏡を近近→中近にかえ、パソコンの上に置いて帰ります。
仕事始めには眼鏡を中近→近近にかえ、パソコンを立ち上げメールチェック。
「ん?見えない」そんな時は大抵中近のまま。そこまで違います。
夜の運転は遠近。
で、今、テレビが見えない。時計が見えない、カレンダーの数字が見えない。
眼鏡、近近のままでした。
だけどね、こうして書いているときはなんて見えやすい!
眼鏡がなければ近くも遠くも見えません。
実は両親、弟、誰も眼鏡要らずなんです。
90少し前の母は眼鏡なしで新聞も読むし編み物もします。
60過ぎの弟はプラモデルを作るときは拡大鏡。
我が家はと言えば、夫も私も子どもたちも近視に乱視。
なんでも乱視は遺伝するらしい。許せよ。
眼鏡がかけたくて、親に無理を言って(多分)買ってもらいました。
視力は0.5程度ではなかったかな。
あっという間に0.1を切り、高校生の頃は黒板を見るときだけかけては外し
ノートをとる姿は机に突っ伏してまるで居眠り状態。
「寝てるんかぁ?」と先生に指摘されることもあったくらい。
初ボーナスで買ったものはコンタクトレンズです。
レンズ(片眼2万円)と煮沸洗浄機(1万円)併せて5万円。
高価なものでしたが度数が進み、毎年のように買い換えていました。
眼科の先生曰く、25歳までは進むと(40年前、当時言われた)。
確かに、いつの間にか、視力は低下しないが、コンタクトレンズが劣化して
買い換えるようになってきた。
それが眼鏡に戻ったのは・・・。
次男がコンタクトを使用するようになり(部活動)ましたが、扱いががさつで
眼科の先生に、このままだと目に悪いからとワンデーを勧められ(それまでは2weak)
一家に2人コンタクトは家計に響く(長男、三男も眼鏡)から私は眼鏡に戻りました。
そして今、眼鏡は3本持ち。
普段は中近。家の中では遠くまで見えすぎるのも目が疲れる。
職場では近近。パソコンと手元に焦点があたります。
仕事終わりにパソコンを閉じ、眼鏡を近近→中近にかえ、パソコンの上に置いて帰ります。
仕事始めには眼鏡を中近→近近にかえ、パソコンを立ち上げメールチェック。
「ん?見えない」そんな時は大抵中近のまま。そこまで違います。
夜の運転は遠近。
で、今、テレビが見えない。時計が見えない、カレンダーの数字が見えない。
眼鏡、近近のままでした。
だけどね、こうして書いているときはなんて見えやすい!
眼鏡がなければ近くも遠くも見えません。
実は両親、弟、誰も眼鏡要らずなんです。
90少し前の母は眼鏡なしで新聞も読むし編み物もします。
60過ぎの弟はプラモデルを作るときは拡大鏡。
我が家はと言えば、夫も私も子どもたちも近視に乱視。
なんでも乱視は遺伝するらしい。許せよ。