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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

福島の甲状腺がん パレーシア

2014-12-28 13:59:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 福島の子どもたち。甲状腺がんが疑われる子どもが4人見つかった、と言います。「やっぱりね」と思います。

 福島県は、東京電力福島第一原発事故当時、18才未満の子どもだった38万人の甲状腺を、縦断的・継続的に検査すると計画していると言います。その検査を担当するのが、福島県立医大。

 甲状腺ガンの原因となる放射性ヨウ素を、東京電力福島第一原発がどれだけばらまいたのか、東電も国も明らかにしてません。また、放射性ヨウ素を含めて、放射性物質がどれだけ取り込んだのか、どれだけ被ばくしたのか、東北と関東地方の住民の健康検査も、国も、東電も、実施してないでしょ。国は、国民の健康を守る義務があるんですけれども、やるべきことをやってない。憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と書いてあるのにね。

 第1巡目の検査も38万人終わってないのに、第2巡目の検査を拒否している住民がいると言います。これは情報開示の問題という人もいます。しかし、行政の意思決定が、住民から離れている、民主主義に反している結果だと私は考えますね。

 人の気持ちも知らないで「専門家」と「行政」が、検査の方法や情報公開の程度を勝手に決めてんですね。これこそが親方日の丸、「お上」の「お役所仕事」のなせる業ですね。

 重要なのは、住民が自分で声を出すことなんですね。はっきり言葉にすることなんですね。

 その際に参考になるのは、井上ひさしさんが作詞した釜石小学校校歌です。

「いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す

しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる」

 

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子どもの人生を道具にしていく 重度の生き方

2014-12-28 11:53:42 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 投影(投映)は日々あること、その日々ある投映をしているようでは、自分育てはできません。したがって、子どもの発達に役立つこともできません。

 p94第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 もう一つ別の投影は、自分の課題を、子どもに投影することです。このような投影すべての中で一番よくあるのは、子どもを期待する場合です。そのような場合は、子どもの対する期待は、主に、親自身の実存的な課題を、子どもの実存的課題に投映することによって決まってきます。自分自身の人生を意味あるものにできないと感じている時、その人は自分の子どもの人生を道具にして、自分の人生を意味あるものにしようとします。しかしながら、そうすると、自分自身の内面でうまくいかない人は、必ず、自分の子どものためでも、うまくいかないものですね。自分自身内省できないのは、自分の実存的課題は、独力で解決することによってのみ解決するのであって、代理に子どもの課題を解決しようとしても、解決できないからでしょ。子どもの実存的な課題を解決できないのは、子どもたちが自分自身で答えを探すことを助けるために必要な、まさに資質が親の自分にないからなんですね。

 

 

 

 

 私は、日ごろ子どもの臨床をしてますでしょ。エリクソンがここで紹介しているケースは、かなり重たいケースですね。親自身の課題が深い。今どきの日本、まあ、投影のないケースなど皆無に使いのですが、自分の期待を子どもに投映するケースに比べて、自分の課題を、子どもの課題で解決しようと無意識理でしているケースは、はるかに重たい。その母親(父親)の病態が、重たい神経症レベルから、境界性人格障害に食い込むケースまでありますね。

 この場合、今の日本のスクールカウンセリングのシステムでは、対応できない場合がほとんどですね。残念ですけれどもね。これを改善するのは、学校配置の臨床心理士も常勤化し、しかも、2クラスに1人くらいの配置にしないと、到底対応できないのが、今の日本の非常に困難で貧困な現状です。

 

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ヒューマンサービスの担い手が堕落するのは、この時

2014-12-28 07:37:02 | アイデンティティの根源

 

 男と女の黄金律も、不思議で面白い。

 p236ブランクの後から。

 

 

 

 

 

 いちばん親密な人との出会いから、専門的な、それでいて、比較的親密な出会いへと話題を変えましょう。それは、医者と患者という関係において、厳然とした、ハッキリとした不平等があります。それは、かたや相手を知るもの、かたや相手から知られるもの、そして、かたや助けるもの、かたや苦しんでいるもの、さらには、かたや人命を扱う開業医、かたや死と病の犠牲者、という役割の違いがあります。この関係が不平等であるがゆえに、医療関係者は、自分自身の、専門上の独特の誓いがありますし、「医者」という例外が許されない理想にふさわしく生きる努力もします。ところが、治療の技術を施すことによって、極端な開業医たちが許される場合があります。それは、家庭や診療所を超えてエバッタ態度から、仕切り屋の嫌がらせまで、意地悪の専門家からすべての(実際は、ほとんどすべての)患者を大事にするけど、感情むき出しの人ものまで、いろいろです。

 

 

 

 

 関係が平等でないから、こんなに変な医者、教員、臨床心理士、保育士、福祉従事者が出てくるんですね。

 そんな人たちが出てくるのは、そこには≪やり取り≫がないからなんですね。

 

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