法輪寺は奈良斑鳩にあり、すぐ近くに日本最古の三重塔を持つ法起寺、
やや離れて修学旅行等で有名な法隆寺がある。
かつて法輪寺には日本最古の三重塔があったが、昭和19年に落雷によって
消失し最古の座を法起寺に譲っている。
現在の三重塔は昭和50年に再建されたものであることは知っていた。
これらの古刹は始めての一人旅で行ったところなので思い出深い。
それが、思わぬところで法輪寺の三重塔再建の話しが出て来た。
青木玉 対談集「祖父のこと、母のこと」を読んでいた時、
母親の幸田文がこの三重塔再建に深く関わっていて、寄進を募ったり
官庁など関係先の折衝などを進めるなど、再建工事がほとんど中断
しかかっていたのを再開させたということを知った。
そのために一時、奈良に居を移したという。落成式の時の関係者として
撮られた写真も載っている。
幸田文はご存知の通り明治の文豪、幸田露伴の娘である。
幸田文の文集はいくつか読んだことはあるが、こんな経緯があることは
始めて知った。浅学を羞じるばかりである。
始めての一人旅で、路線バスを乗り継いで行った思い出深い法輪寺の
三重塔と幸田文の思わぬ接点を知り、また行きたくなった。
やや離れて修学旅行等で有名な法隆寺がある。
かつて法輪寺には日本最古の三重塔があったが、昭和19年に落雷によって
消失し最古の座を法起寺に譲っている。
現在の三重塔は昭和50年に再建されたものであることは知っていた。
これらの古刹は始めての一人旅で行ったところなので思い出深い。
それが、思わぬところで法輪寺の三重塔再建の話しが出て来た。
青木玉 対談集「祖父のこと、母のこと」を読んでいた時、
母親の幸田文がこの三重塔再建に深く関わっていて、寄進を募ったり
官庁など関係先の折衝などを進めるなど、再建工事がほとんど中断
しかかっていたのを再開させたということを知った。
そのために一時、奈良に居を移したという。落成式の時の関係者として
撮られた写真も載っている。
幸田文はご存知の通り明治の文豪、幸田露伴の娘である。
幸田文の文集はいくつか読んだことはあるが、こんな経緯があることは
始めて知った。浅学を羞じるばかりである。
始めての一人旅で、路線バスを乗り継いで行った思い出深い法輪寺の
三重塔と幸田文の思わぬ接点を知り、また行きたくなった。