盆が近くなって今年も盆提灯を出した。
盆にご先祖様の霊が帰ってくるので、目印として迎え火を焚く。
迷子にならないようにとの願いからという。
昔は提灯を下げてお墓までお迎えに行き、盆が終われば又送っていった。
盆は年に1回、ご先祖様に感謝し脈々たる血流を実感する時である。
だが土地にしがみ付いてしか生きるすべがなかった一昔前と違い、8割以上
がサラリーマン化した現代では生まれ育った家を離れるケースが多い。
当家もそうだ。息子が三人いるがいずれも遠く県外に職を求め家庭を築いて
いる。
いずれ我々が入る墓も要るだろうが、遠く離れた子供たちにとって墓参を
始め墓守をすることも難儀では困る。
何より自分自身そうだが宗教観も薄れてきてる。西方浄土といっても宇宙から
見える地球は丸い。西を目指してすすめば地球を一周してまた元に戻ってくる。
今日散歩代わりに徒歩で10分ほどのショッピングセンターまで歩いて行った。
その道の途中に、墓場のそばを通る。立派な墓が立ち並ぶが、一箇所に古く風化
しかかった墓石が無造作に積み置かれている。石に刻まれた年号を見ると
明和、明暦など江戸時代に造られたものであることがわかる。恐らく、子孫が
絶えるかして墓守をする人がいなくなったものだろうと思われる。
墓守をする人がいなくなれば無縁仏として捨て置かれる。本当に無常だ。
先日従兄弟の葬儀に参列した。葬儀の時にいつも思うのだが、現代の仏教は
完全にセレモニー化している。高い戒名料といい、完全に商業化している。
明治の始めまで庶民には戒名などはなかったという。墓も大体が質素なもの。
その昔、病気にしても天変地変にしても原因がわからず祈るしかなかった。
こう言うと不遜かも知れないが、仏教も今のままでは廃れてしまうのではない
だろうか。
盆にご先祖様の霊が帰ってくるので、目印として迎え火を焚く。
迷子にならないようにとの願いからという。
昔は提灯を下げてお墓までお迎えに行き、盆が終われば又送っていった。
盆は年に1回、ご先祖様に感謝し脈々たる血流を実感する時である。
だが土地にしがみ付いてしか生きるすべがなかった一昔前と違い、8割以上
がサラリーマン化した現代では生まれ育った家を離れるケースが多い。
当家もそうだ。息子が三人いるがいずれも遠く県外に職を求め家庭を築いて
いる。
いずれ我々が入る墓も要るだろうが、遠く離れた子供たちにとって墓参を
始め墓守をすることも難儀では困る。
何より自分自身そうだが宗教観も薄れてきてる。西方浄土といっても宇宙から
見える地球は丸い。西を目指してすすめば地球を一周してまた元に戻ってくる。
今日散歩代わりに徒歩で10分ほどのショッピングセンターまで歩いて行った。
その道の途中に、墓場のそばを通る。立派な墓が立ち並ぶが、一箇所に古く風化
しかかった墓石が無造作に積み置かれている。石に刻まれた年号を見ると
明和、明暦など江戸時代に造られたものであることがわかる。恐らく、子孫が
絶えるかして墓守をする人がいなくなったものだろうと思われる。
墓守をする人がいなくなれば無縁仏として捨て置かれる。本当に無常だ。
先日従兄弟の葬儀に参列した。葬儀の時にいつも思うのだが、現代の仏教は
完全にセレモニー化している。高い戒名料といい、完全に商業化している。
明治の始めまで庶民には戒名などはなかったという。墓も大体が質素なもの。
その昔、病気にしても天変地変にしても原因がわからず祈るしかなかった。
こう言うと不遜かも知れないが、仏教も今のままでは廃れてしまうのではない
だろうか。