社長の品格  成功への羅針盤

二十年ぶりの封印を解き、今再び俳優業に復帰した女社長ブログです。

広島旅行 花火の宴の巻き 5日目

2009-08-31 22:16:07 | 家族
明けて5日目。
日用品や食料品を買い出しに、福山の街へ出かけます。




街へ向かう途中、おっとちゃんお薦めの宝命酒の蔵元へ。
養命酒に似たリキュールは江戸時代初期に始まり、
幕末の日米和親条約締結後のペリー一行の接待にも使われた歴史あるお酒です。
さっそく購入。晩御飯の食前酒として御猪口一杯程度をロックにして、毎晩頂いています。
甘口ですが、薬味が溶け込んだアルコール分14%の芳香あるリキュールは
味わい深く、お酒をあまり頂かない私には、適当な量です。
ここでしか買えない名産品を手にしてなんだか嬉しくなりました。


街に着くとまず、なんといってもコーヒーブレイク。
4家族が寝泊まりしている別荘では個人的な嗜好品を控えていたので、
毎日、必ず頂くコーヒーもしばしおあずけでした。
朝の一杯のコーヒーの代わりに朝の一杯のミルクで一日をスタート。健康的です。
苦~いコーヒーが飲みたくて、駅付近のおしゃれなお店で淹れたてを堪能。
コーヒーの香りと喉に落ちていくカフェインが頭と体をしゃっきとさせてくれる。
子供らもアイスクリームやクレープなどを各々注文して、しばし喫茶タイム。
海をぼんやり眺めていたと思ったら、雑踏の中のしゃれたお店でコーヒーを頂く
そのメリハリがまた素敵。旅行ならではです。




福山駅の向かい側に福山城があります。
私は幾度か来ているのですが、一緒に同行の
ははちゃんは初めてなので、訪れることにしました。
近代的な新幹線のホームと歴史的なお城が相対する妙なアンバランスに
いつも不思議な魅力を感じます。


買い物を済まし、別荘へ戻ると、子供らの待ちに待ったお祭りです。
延期になった分、皆はしゃいでいます。
親戚から頂いたお小遣いを握りしめ、さっそうと海辺を通って祭り場へ。
子供らと一緒に行く事にしたははちゃんも子供の様に嬉しそうです。



夜には花火が打ちあげられるのですが、
少し高台になっているここからの眺めは絶好です。
まさに特等席。これだけの場所にはお金を払わないと
観ることができません。なんて有難いことでしょう。
子供らが戻ってきたところで、ごちそうに舌鼓しながら、
美しい花火に酔いしれた晩となりました。
            



広島旅行 生きたタコがくるの巻き 4日目

2009-08-30 22:22:11 | 家族
4日目、この日は台風で雨と風でこのあたりでは珍しい
大荒れの天気となりました。
滞在中は時間がゆっくり流れていたので、TVに触れる時間もとれました。
外にも出られないとなると、なおさらです。
台風の災害によって、これから更に日本に被害が増していくというよな予報、
のりぴーの安否を心配しているうちに、一片にして容疑者になっていった一連の報道、
今日の選挙を争点に政治家や評論家たちのコメントも次々とお茶の間を賑わしていました。
どれをとっても重大なニュースは、のんびり流れる時間とは対照的に
とても早いテンポで展開していきます。

一緒に滞在してるおばの知り合いが
生きている大きいタコを持ってきてくれました。
こんなこと日常ではありえません。すごーい。
たこ丸ごと一匹!
さっそくその晩のごはんです。
料理上手のおばがタコに一撃を与えて、
たくさんの塩で揉み洗いし、茹でてお刺し身にしてくれました。
前にも一度同じことがあり、美味しくて幸せなラッキーに感謝!
私はよくよくついています。

子供らはというと、その晩行われる予定のお祭りを心配して、
閉じ込められた別荘から、幾度も外の様子を眺めていました。
向こうの空は晴れてきて、今なお雨が降る中、
期待はどんどんと膨らんでいきます。
けれど結局、お祭りは翌日に延期になり、ひどくがっかり。

この日はどこにも出ることなく過ぎていきましたが、
ガラス越しから見るいつもと違う海や島の様子は、
あいにくの天気さえも私を楽しくさせてくれました。
            

ヨイトマケの唄

2009-08-27 23:40:29 | コンサート
美輪明宏さんのコンサートに行ってきました。
たくさんの方に読んで頂いてる「広島旅行の記録日誌」
にもまだまだ続きがあるのですが、
昨日の感動がまだ余韻として残っている間に、
まず、コンサートの記録をアップさせていただくことにしました。


美輪明宏・・・・私にとってその存在はとてつもなく大きいものでした。
コンサート情報を知った時、これは絶対にいかなくてはならないと、
すぐにチケットを入手したのでした。

時はふた昔前・・・私が、劇団でミュージカルをやっていた時のこと。
客演(別の事務所や劇団から来てもらって自分の劇団の作品に
出演してもらう役者さんのことを言います。)に宝塚歌劇団を卒業された、
A先輩がいました。さすがに身のこなし方の美しい、憧れる先輩でもありました。
その先輩がこよなく愛してやまない歌手のカセットテープだと、
いつも持ち歩いてはウォークマンで聞いていたのが美輪さんでした。
名前こそ存じ上げていましたが、私は役者としてお恥ずかしいことでしたが、
美輪さんの作品に触れる機会なく過ごしていたので、
その先輩から美輪さんのお名前が出てくることにイメージがなく、
なんだか不思議に感じたものでした。
ただ、先輩が言った「この人はすごい」という言葉は、今でもはっきり覚えています。

今もなお後悔していることがあります。
2度と同じ舞台はないからこそ、その時代に居合わせた証人のように
美輪さんの出ている作品を観るべきだったと。
1993年、体を壊していた美輪さんは8年ぶりに舞台に上がることになりました。
それがあの有名な「黒蜥蜴」です。江川乱歩原作の三島由紀夫脚本です。
それも美輪さんとしては24年ぶりに再演する作品ですから
当時はチケットがすぐに完売してしまうほどの人気でした。
舞台の評判を耳にするたびに、先輩も憧れる、その人の舞台が
気になって気になって、仕方ありませんでした。
けれど劇団を退団した私はすっきり、きっぱりお芝居の世界から
去っていくことを誓った代わりに、未練を断ち切るために、
それらに触れることにも封印をしてきたのでした。
中途半端な気持ちは大好きなお芝居に失礼だし、申し訳が立たない。
それからというもの、大好きな映画も邦画は観ない、舞台なんてもってのほか、
テレビドラマさえも観ないという徹底した封印ぶりでした。
ですから、ずっと心が揺れていたその舞台も
3人の小さな子どもを人に預けてまで、東京に出かけ舞台を楽しむなんて
できるわけないがないと大義名分な理由を自身に用意して、
行きたい気持ちを抑えていたのでした。

その後、数回「黒蜥蜴」は上演されました。
けれど、まだ一度として、その作品を観劇することをしていません。
なぜなら、封印が解けたのがつい2年ほど前のことだからです。
幾度かブログでも書いてきましたが、TVのバラエティー番組でデヴィー夫人と
ご一緒したことを機に何かが吹っ切れて、くだらない?自身の決めごとを
取り払うことにしたのです。今ではすっかり、
邦画もドラマもコンサートも舞台も楽しむことができるようになりました。

美輪さんのコンサートはそれはそれは素晴らしいものでした。
エレガントで力強く、そして優しくて神々しい。
美輪さんの唄やトークはもちろん、演奏、衣装、舞台美術においても
申し分ありません。素敵な素敵な晩でした。
このコンサートに来ることができたおかげで、
なにやら後悔の呪縛からも解き放た思いです。

生のヨイトマケの唄が聴けたこと、感無量です!
こんな力強い母ちゃんでありたい。


作詞;丸山(美輪)明宏
作曲:丸山(美輪)明宏

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2.子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら

5.あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6.何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ
            


広島旅行 因島の巻き 3日目

2009-08-24 00:57:11 | 家族
親戚が一同に揃った晩は、予約して下さっていたお料理屋さんにて
総勢10名で会席料理を頂きました。
鯛のかぶと煮と、はもの梅味噌あえが、おいしい。
食事中は撮影を控えたので、初めの前菜のみ・・・・
ただ単に食事に夢中で忘れたのでした。。。。
台所に立たずに、お料理が運ばれるのを待つだけというのは、嬉しいですね。
本音を言えば、もっとお気楽な食事がしたかった?
けれど皆でこうして頂けるのは美味しい、楽しい、幸せです。

さて、3日目は観光です。
尾道造船所の前は何やら人だかり。
どうやら船の進水式が始まるらしいのですが、
興味も後に、向かう先はカーフェーリー乗り場。
尾道水道を向島へと渡ります。
こんなところに、フェリー乗り場があるのだろうかという
素朴なところに、ありました、ありました。感激!
乗り場に到着して10分もしないうちに船が到着。
車2台でいっぱいになる小さなフェリーにすぐさま乗船することができました。
しかもわずか10分程の乗船です。
もっと乗っていた~いぐらいがまた楽しい。



向島に辿り着くと、しまなみ街道より因島大橋を渡り
因島めぐりです。





美しい因島大橋

大浜埼灯台



この日の夕方のこと。
晩ご飯の支度をしていると、子どもたちが、虹が出ていると大騒ぎ。
お台所の窓から外をのぞくと、虹がどんどん色濃く美しく弧を描きます。
過去2度ほど、滞在中に同じように虹に出会うことがありました。
めったにない幸運に遭遇できたことに感謝しながら、
何かに見守られ、歓迎してくれている気がして
これから残りの滞在がさらにわくわくするものとなりました。            

広島旅行 プライベートビーチの巻き 二日目

2009-08-20 01:38:44 | 家族
到着した晩は移動でクタクタだったせいで、
布団に入るとすぐに意識がなくなりました。
なんせ、普段は聞くことのない波の音が、
新鮮でまたひどく心地よい子守歌のようです。

おかげで早朝に目覚めます。
すぐに海が見たくて、カーテンを開け放つと
それはそれは美しい朝の海。
栃木には海がないので、新鮮極まりありません。
見慣れない朝の海を見下ろしていると、
日常の生活からタイムスリップして異次元の空間に来てしまったような
不思議な気になります。
そのうちボーォと船の汽笛が聞こえてくると
優雅で幸せな一日の始まりです。

朝から元気はつらつ、テキパキと掃除と洗濯をこなします。
またそれらが快感なのですからちょっと不思議なバカンスです。
海を見ながら洗濯物を干すのは私にしてみるとアトラクションのひとつです。
なんて贅沢な時間でしょうか。
前日は疲れもあって、必要最低限の掃除しかしていなかったので、
朝から家族一同念入りに大掃除です。
使っていない家というのは汚れるものです。
午後には東京から第二陣、三陣の親戚等が到着するので、
午前中にビーチへ繰り出すためにも家族皆フル回転。

この周りにはいくらでも海水浴のできるところがあります。
けれど滞在中、いつも訪れるなじみのビーチへと向かいます。
子供が小さい頃は私もよく泳いだものですが、
水着を忘れた長女に、今年買った、まだ一度も来ていない水着を貸して、
桟敷で波の音を聞きながらのんびり読書を楽しんでいました。
なんて贅沢なひと時。
内心日焼けも怖かったので、ある意味ちょうどよかったです。
新調した水着は後でジムのプールで思いっきり使います。
合理的な私は競泳でもきれる水着を選んでいたので、
ぬかりはありませんよぉ。

それにしても、人が少ないので、まるでプライベートビーチさながらです。
江の島や大洗のビーチからは想像もできません。
            


広島旅行 断崖の観音様の巻き

2009-08-17 16:47:14 | 家族
別荘に到着し、しばし休憩をとると
すぐさま最初に立ち寄ったのは岬の突端、断崖に建つ観音様です。
重要文化財にも指定された、それはそれは美しい建築物です。
石段を登った観音堂からの眺めは絶景そのもの。
昔からドラマのロケーションに使われたり、とても絵になるところです。
私が昔からファンである中村雅俊さんの、某有名なドラマでも使われています。

この地に着いたら、おっとちゃん一族にゆかりあるこのお寺にごあいさつし、
観音堂で、しばらくぼんやりと海を眺めるのが我が家の慣わしです。
一望の海を眺め、潮風にあたりながら、無事に到着したことへの感謝と報告です。
すると大きな海は、私たちを快く向かい入れてくれているような気分さえします。

こうして、初日はこの土地へのごあいさつから始まり、
私たちの1週間は幕開いていくのでした。
            

広島旅行 ポニョと戦争の巻き 初日

2009-08-15 22:21:06 | 家族
今日は終戦記念日ですね。。。

6日~13日まで広島旅行に行ってきました。
この八日間にTVでは事件や自然災害やら毎日いろいろなことが放映され、
遠く離れた地に滞在していながらも日本の小さきことに実感しつつ、
新聞の入らない別荘地にて毎日海をぼんやり眺めながら、
日々の営みをじっくりじんわりと過ごしておりました。

5年ぶりの広島旅行は仕事をすっかり忘れて、
潮風を体で感じながら、その日できることを記憶にとどめるかのように
のんびりだけど、それなりにしかっりと、たくさんの経験をしてきました。

毎日が変化。
学ぶこともいっぱい。
目に映ること、触れること、感じること。
目の前に広がる海を見つめながらのこの8日間の旅行に
どうぞお付き合いくださいませ。


さて我が家一向が向った先は広島でも
「崖の上のポニョ」の舞台になった場所です。
夏に親戚が集う別荘からのロケーションはまさに「ぽにょ」です。
宮崎駿さんが何度も立ち寄ったとてもに美しい所です。

高速料金が1000円なので、3回のガソリン補給と
途中、混雑を避けながらのコースで有料道路を使ったりとで他数千円使うのみ。
なんと驚くほどに低コストで広島に辿り着けてしまいました。
幾度かトイレ休憩や眠気を払うために顔を洗ったり、
コーヒータイムや食事休憩をしながら立ち寄ったサービスエリア。
深夜でもこの時期は特に、日中のように人が普通に利用しています。

12時間をかけたどり着いた目的地。
奇しくもこの日は広島の原爆記念日。
麻生首相も同日広島入りです。
別荘のTVでは、原爆死没者慰霊式と平和記念式の様子が放映されていました。
同じ広島でも平和祈念公園からかなり距離があるので、
今回はTVを通して平和を祈ります。
高校の修学旅行で初めて、広島の原爆ドームへ訪れた時の驚きと怒りと悲しみは
今も忘れません。それから時を経て幾度となく広島の地を訪れることになるとは
その時、知る由もありませんが。
おっとちゃんの親族には原爆で亡くなった人もいて、その様子を耳にしたことがあります。
苦しかっただろう、痛かっただろう、悲しかったろう、無念だったろう・・・
戦争は絶対におこしてはいけない。
核廃絶を声を大にしたい。
広島や長崎の被爆経験者はきっと思い出しくないだろう辛い体験も、
後世のために懸命に語ってくれる。
当たり前に思っていないだろうか。
思い出したくない思い出を必死に語ってくれる方々が今こうして元気にご活躍くださっていることに感謝しながら、
我々はやれること、やるべきことをやっていかなければならない。
            

イチジク

2009-08-05 02:02:27 | 日記
休暇を1週間程とったので、何年か振りの広島へ家族旅行。
しばらくしていなかったガーデニングにも、
旅行中に植物を枯らしてしまわないよう点検。

庭の隅っこに植えたイチジクに目をやると、
昨年は初めて3個程の実をつけたのでしたが、
今年はなんとたわわに実っているではありませんか。
これは食べ応えありそうです。
木が大きくなりすぎないように、枝を誘引したり、剪定してしまって
樹形はお世辞にも美しいとは言えませんが、
なんせ隅っこなので、樹形を鑑賞するわけでもなし、
美味しい実をたくさんつけてくれれば、言うことありません。
色づいて甘~くなるまでもうしばらく辛抱です。

広島に向かう前に、仕事も整理して出掛けたいので
出発前に大忙しです。
さらに楽しい旅行にするためにも今晩は徹夜仕事です。
やることをやって心おきなく出掛けましょう。
            


レイバン

2009-08-02 08:46:29 | 日記
ちょうじょのメガネが壊れたというので、
ショッピングモールに入っているメガネやさんに行くことになった。
ついでだから、わたしも同じショッピングモールに入っている別のメガネ屋さんで買ったレイバンのサングラスを見てもらうことにした。

人よりもまぶしさに敏感で、車の運転には夏にこだわらず
年中サングラスをかけている。
紫外線から目を守るためにもサングラスは手放せない。
中でもレイバンはお気に入り。使い心地に文句ない。
ある時、買ったばかりのサングラスを不注意で落としてしまった。
クッションのある床だったけれど、そのはずみでレンズが外れてしまったのだ。
簡単に戻すことができたけれど、念のため、ちゃんとはまっているかどうか見てもらうことにした。

この時ほどブランド商品を購入してよかったと思った。
はまっているか見てもらうだけなのに随分待たせるなあと思っていた。
調べてもらってわかったことは、左右のレンズの大きさが違っていて外れやすく
なっているのだとか。
さっそくメーカーに問い合わせて代替えしてくれるとのこと。
気軽な気持ちでいたので、保証書すら持ってきていなかったけれど、いつ買ったものだか店側で把握しているらしく、そんな質問さえなかった。
最近はクレーマーと呼ばれる人が増えてきているようで、小売店は過敏になっている。
本当に故障で困っているのに、こちらに落ち度があるような物腰での応答も、
残念ながら少なくないことも知っている。
特に携帯電話ではとても嫌な経験をした。

多少値がはったとしても質の良いメンテナンスをしてくれるとなると、
ブランド品の確固たる信頼度が勝る理由はないだろう。

かくいうこの私の夏は、頭に黒の大きなつばの帽子を冠り、腕は黒くて長い手袋をはめ、顔にはレイバンのサングラスといういで立ちで車を運転しています。時々そのままの格好で車外に出てあちらこちらに出没中。奇妙な姿の人を見かけたらそれはもしかしたら私?!かも。。。
            


検査

2009-08-01 05:33:11 | 日記
先日の朝、TVで川村カオリさんの死を知った。
とても残念で悲しく思う。
今こうして生きている私は、彼女のように日々を込めて生きることを
あらためて誓わせてもらった。
ただご冥福をお祈りするばかりです。

しばしば胸に鈍痛を感じていた。
それでどうこうあるわけでなく、時々思い出したように痛くなる。
その朝は何故だか頻繁に痛みがあったので、カオリさんが映るTV
を見ながら病院へ行くことに決める。
病院へ行くと半日から、下手すると薬を手にするまでに
一日を費やすことになるので、それ相応の気合?がないと
時間を棒にしてしまう勇気は、なかなか持てない。

肺のレントゲンと乳がん検診と血液検査をする。
血液検査の結果はこれからまた病院へ訪れるのだけれど
多分異常は見られないと思う。(なぜなら定期的に献血して検査してもらっているから)
その他に異常は見られなかった。
げんきんなもので、それでもう気は晴れた。
正直、先生の前でステップしてしまいたくなるくらい、嬉しくなった。
痛みは別段生活に不自由をきたすわけでなく、
命に緊急を要する病巣があったわけではないのだから。
仮にいつ自身の身に何かあったっとしても、懸命に生きてきている分
後悔はないけれど、さすがに今はまだやるべきことが山積みなので、
使命を果たさないわけにはいかない。

しばしば自身の肺のレントゲン写真を医師と一緒に見る機会がある。
今までは特に気を留めず見ていたけれど、今回はじっくりと見ていた。
そこにはちゃんと心臓も映っている。思ったより小さく感じた。
この心臓が私の肉体を司り意識とは関係なしに休まず懸命に
働いてくれているのだあと愛おしくなる。

長い待ち時間、廊下のベンチに腰をおろしていると、
お年寄りに付き添っている、お友達の看護婦さんを見かける。
確か勤め先はここではないはずだけれど・・・
声を掛けてみる。
今は老人ホームで介護の仕事をしていて、
この日は、体の不自由なお年寄りに付き添いに来ていたのだった。
その様子はとても機敏で優しくて、みているこちらも心が和んだ。
仕事中の彼女の様子を見たのは初めてだった。
とても神々しく素敵だった。そして頼もしく感じた。

結局、この日は仕事をすることはできなかったけれど、
気は晴れ、心臓を愛おしく感じ、健康に感謝し、
働く姿のお友達にも会え、その上長い待ち時間で「村上春樹」を
読めてこれはこれで素敵な一日だった。