社長の品格  成功への羅針盤

二十年ぶりの封印を解き、今再び俳優業に復帰した女社長ブログです。

ヨイトマケの唄

2009-08-27 23:40:29 | コンサート
美輪明宏さんのコンサートに行ってきました。
たくさんの方に読んで頂いてる「広島旅行の記録日誌」
にもまだまだ続きがあるのですが、
昨日の感動がまだ余韻として残っている間に、
まず、コンサートの記録をアップさせていただくことにしました。


美輪明宏・・・・私にとってその存在はとてつもなく大きいものでした。
コンサート情報を知った時、これは絶対にいかなくてはならないと、
すぐにチケットを入手したのでした。

時はふた昔前・・・私が、劇団でミュージカルをやっていた時のこと。
客演(別の事務所や劇団から来てもらって自分の劇団の作品に
出演してもらう役者さんのことを言います。)に宝塚歌劇団を卒業された、
A先輩がいました。さすがに身のこなし方の美しい、憧れる先輩でもありました。
その先輩がこよなく愛してやまない歌手のカセットテープだと、
いつも持ち歩いてはウォークマンで聞いていたのが美輪さんでした。
名前こそ存じ上げていましたが、私は役者としてお恥ずかしいことでしたが、
美輪さんの作品に触れる機会なく過ごしていたので、
その先輩から美輪さんのお名前が出てくることにイメージがなく、
なんだか不思議に感じたものでした。
ただ、先輩が言った「この人はすごい」という言葉は、今でもはっきり覚えています。

今もなお後悔していることがあります。
2度と同じ舞台はないからこそ、その時代に居合わせた証人のように
美輪さんの出ている作品を観るべきだったと。
1993年、体を壊していた美輪さんは8年ぶりに舞台に上がることになりました。
それがあの有名な「黒蜥蜴」です。江川乱歩原作の三島由紀夫脚本です。
それも美輪さんとしては24年ぶりに再演する作品ですから
当時はチケットがすぐに完売してしまうほどの人気でした。
舞台の評判を耳にするたびに、先輩も憧れる、その人の舞台が
気になって気になって、仕方ありませんでした。
けれど劇団を退団した私はすっきり、きっぱりお芝居の世界から
去っていくことを誓った代わりに、未練を断ち切るために、
それらに触れることにも封印をしてきたのでした。
中途半端な気持ちは大好きなお芝居に失礼だし、申し訳が立たない。
それからというもの、大好きな映画も邦画は観ない、舞台なんてもってのほか、
テレビドラマさえも観ないという徹底した封印ぶりでした。
ですから、ずっと心が揺れていたその舞台も
3人の小さな子どもを人に預けてまで、東京に出かけ舞台を楽しむなんて
できるわけないがないと大義名分な理由を自身に用意して、
行きたい気持ちを抑えていたのでした。

その後、数回「黒蜥蜴」は上演されました。
けれど、まだ一度として、その作品を観劇することをしていません。
なぜなら、封印が解けたのがつい2年ほど前のことだからです。
幾度かブログでも書いてきましたが、TVのバラエティー番組でデヴィー夫人と
ご一緒したことを機に何かが吹っ切れて、くだらない?自身の決めごとを
取り払うことにしたのです。今ではすっかり、
邦画もドラマもコンサートも舞台も楽しむことができるようになりました。

美輪さんのコンサートはそれはそれは素晴らしいものでした。
エレガントで力強く、そして優しくて神々しい。
美輪さんの唄やトークはもちろん、演奏、衣装、舞台美術においても
申し分ありません。素敵な素敵な晩でした。
このコンサートに来ることができたおかげで、
なにやら後悔の呪縛からも解き放た思いです。

生のヨイトマケの唄が聴けたこと、感無量です!
こんな力強い母ちゃんでありたい。


作詞;丸山(美輪)明宏
作曲:丸山(美輪)明宏

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2.子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら

5.あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6.何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ