My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

いじめ

2013-10-05 15:56:25 | 救急箱
いじめについて、体罰について、連日ニュースを見ますが、
そのたびにいつもよみがえる風景があります。

当時私は体育がまったくだめな中学生でした。

一番の苦手は球技。特にバレー

バレーがはやっていたこともあって、当時の体育会は私にとって憂鬱な行事でした。
(体育会は運動会ではない。こういうものがあった)

試合がはじまると、対戦相手のクラスの上手い子が、私をめがけてサーブやシュートを執拗に
打ってくる。当然私は拾えないので、相手に点がどんどんはいって、結果負ける。

チームの同級生は、私さえいなかったら勝てるのに、という意識になってくる。

休憩時間に私は担任の教師から呼び出され、校舎裏にいくと同級生と担任に囲まれ
散々暴言を吐かれたことを覚えています。

しかし、私の心が傷つくことはありませんでした。

だって、できないものは頑張ってもできないものだから、仕方ないじゃないか。
あー早く終わればいいのにな。どうせ、勝ちたいんやろ?私だけ保健室行きにしてほしいな。
そしたら優勝するよ。

こう、思っていました。

しかし、ずらっと囲まれた時の、あの言いようのない恐怖は今でも忘れられません。

これが、ニュースを見るたびに蘇る光景です。

まだ、現在のように、たるんでいるから、しごき、といって暴行されなかっただけラッキーだったかもしれません。

またいじめ、という軽そうな言葉も悪いのだと思います。

「脅迫、暴行、傷害」これがいじめの実態なのだから、そういうべきです。

関連しますが、私は幼稚園から高校まで、「無視(シカト)」といういじめをうけてきました。
高校の卒業アルバムに、私の写真はどこにもありません。(不登校もなかったのですが)

存在すら忘れられ無視されたのだ、ということはとてもショックでしたが、大学にはいると不思議とぱったりいじめはなくなりました。

この長いトンネルをなんとかくぐりぬけてこられたのは、まだまだ人生にはずーっと先がある、という未来があることを教えてくれた少数の大人たちがいたからです。

だから、いじめや体罰をうけての自殺はもったいないのです。

いいようのない気持ちも、死んで恨み返したい気持ちもわかりますが、道半ば、まっさらな未来がこの先まだまだ待っているのです。

なんでも物事は永久に続くことはありません。

常に変化しつづけているものだという広い視点からみれば、必ずいじめも終わりもくるということを頭においてほしいと思いますし、日ごろいじめを隠しているお子さんも多いでしょう。

だから、お子さんにも、さりげなく先があるのだ、という視点を持たせてあげられたらな、と感じています。

子供がいじめを受けているようだ、あるいはたいしたこともないのに、いじめただろうと言われている・・私はアラフォーなので友達の子供はみな思春期、子育てが難しい時期に入っています。

子供とつながりたい、なんとかしたい

そんなときの魔法の言葉を御紹介します。

         「最近、どう?」

そう、これだけです。子供時代の経験から、とてもよいフレーズだなと思いました。

尾木先生(尾木ママ)の著作にあったのですが、「私はあなたのことをちゃんとみているのですよ
なにかあったらまもろうとしているのですよ、きにかけているのですよ」

シンプルですが、こういう見守りの気持ちが、優しく伝わる言葉だと思います。



また、私たちの大人社会も、いじめ社会ですね。難しい社会です。

ツレ(旦那さま)もパワハラを受けていました。うつ、寸前まで行きました。
考え抜いた末に、ボロボロの彼をとりあえず休職させました。

そして、彼は才能はあっても、組織のコマとして働くには向いていないと感じたので
「独立」を考えよう、と、きりだしました。

現在彼は、気の合うクライアント様とともにいきいきと働いています。

収入は安定しないけれど、何年もうつで悩む彼の心配を考えると、これでよかったと思っています

はなしがあちこち飛びましたが自作詩にも書いたとおり

「やられたら、やりかえす 仕返しではない 倍返し」

この気持ちでのりきれたら、きっとしらないうちに器の大きな温かい自分になっていたことにきづくはずです。