My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

パーキンソン病について~エピローグ

2013-04-06 13:37:38 | 救急箱
いままでパーキンソン病についてお話してきましたが、最終回はエピローグとして
少し枠を広げてお話していこうと思います。

パーキンソン病を発病して16年後、母は結局胃がんで亡くなりました。享年70。
告知を受けた時はすでに末期で1か月持たないかもしれないといわれました。

モニターの映像と母の姿が重ならず、しばし呆然としたのを覚えています。
ただ次にわいた思いはこういうものでした。

「母さんはがんという乗り物で天国に行くんだ。もういたずらに苦しむことはないんだ・・」

先の見えない介護からこれで解放される、という安堵感さえ感じる思いでした。

なんて不謹慎な!と思われた方もいるかもしれません。

よく、葬式のときに、悲しみで大勢の人が泣いているのに、看取った家族は涙さえみせないことに対して、立腹するという話を聞きますが、今はとてもよく理解できます。

看病や介護に注いだエネルギーが、「死」という病人の「最後の仕事」を見届けることで昇華してゆくからなのだと思うのです。

病人は病む、ことを通じてたくさんの学びを周囲に与え、周囲はいのちについて相手からとても濃い学びを得る。

その経験がかけがえのない宝として心に刻まれるときに生ずる思いの一つだと思います。

ですから、病人がもうすぐ死ぬというのに、これで楽になるなんて思うなんて自分は不謹慎だ、と自分を後ろめたく思い、責めるのではなく、それは当然湧く思いであります。
白黒つけずに、自分の気持ちをあるがまま受け取ることが大事かと思います。


それから、エピローグということで、最後に現在介護や看病をしておられる方へ書きたいと思います。

看病や介護は先がみえないものだとつくづく感じておられるのではないでしょうか。

丁度、真っ暗なトンネルをわずかな光をたよりに、病人を背負って歩いていくような思いの方も多いかと思います。

その時間が長ければ長いほど先の見えない苦しみや不安にかられてしまう。

そしてケアが思うようにいかないと自分を責め落ち込む。なかにはふと心中さえ考えてしまうかもしれません。

かつて私もそんな思いでおりました。母がやや早い発症でしたので、その時私は20代半ばでした。

看病が大変になってくると仕事をやめ、介護生活に入りましたが、世間から取り残されていくような不安や孤独にしばしば押しつぶされそうになり、そのたびに病身の母にあたりちらしては、母に泣いて謝る生活の繰り返しでした。そんな自分がいつか母を死に追いやるのではないか・・

そういう恐怖感から自殺未遂まで起こしてしまったのです。

しかし人生とはわからないもので、それが大きな転機となりました。

介護から離され、しばらく心と体のケアをするため療養生活を送ることになり、新しい暮らしの中でツレ(だんなさま)と出会い結婚しました。そして母は私の結婚を見届け想定外の一陣の風のごとく旅立ちました。

よく神様は本人が背負えない荷物は背負わせないといわれますが、振り返ると本当にその通りだと思います。

そして母と過ごした密度の濃い体験は、本当にかけがえのないものになりました。

どうか後悔のないように介護や看病をなさってください。

疲れたら遠慮なく介護サービスなどをつかってできるだけ休みましょう。

そしてまたぼちぼち歩き始めたらいいのです。

介護や看病は負の側面ととらえがちですが、病ということを通じての双方の「いのちの授業」はなにものにもかえられない、「経験」という名のギフトだと思います。

その「ギフト」はまた、大変なご家庭とシェアすることもできます。
そのシェアの連鎖で、これから少しでも皆が安心して暮らせる社会につなげることが
できればもっといいとおもいます。

パーキンソン病については以上です。いかがだったでしょうか。

どこかでお役に立てば幸いです。
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「これら一連のパーキンソン病記事はツレ(だんなさま)のブログの中で書いた記事を修正、加筆したものです」


パーキンソン病についてその三~薬の副作用について

2013-04-06 13:35:08 | 救急箱
本日はパーキンソン病の薬の副作用についてお話したいと思います。

普通に医学書に書かれていることは、長年服用すると、副作用として妄想や幻覚がでることがある。

こう記述されております。それから不眠が出やすくなることも特徴的にみられるようです。

不眠はわかると思うので割愛します。

幻覚とは、ありもしないことがあるかのように見えること

妄想とは、ありもしない事実を本当にあったことのように自覚してしまうこと。


ちょっとわかりにくいでしょうか・・。妄想はわかりづらいと思われるので母の場合を例に出したいと思います。

ある日病院から電話がありまして、母からだったのですが、「皇后さまと雅子さまと紀子さまを殺してしまったみたいなのよ」

こう話されまして正直内容に返す言葉が出ませんでした。

とりあえず「TVに普通に出ていらっしゃるから、夢でも見たんじゃない?生きておられるよ」

こう返したのですが、妄想は本人が真実と固く思っているので、それを覆すことは性格にもよりますがとても困難になってきます。

母の場合、ストレスから妄想がはじまり、その後家にもどってからは普通の状態に戻りましたのでストレスフリーの状態だと出ないんだ、と安心しておりました。

しかし、ある日「どうして警察署にあんたたちを迎えに行ったのにお礼の一言もなかったの?あんたたちは(兄弟)北朝鮮につかまっていたんだよ」

こう申しましたので、それは妄想だ、と言っても本人は事実だと言い張っていて
やはり薬の副作用は確かに続いていて軽度化しただけなんだ・・・と実感しました。

妄想はそういうはっきりした真実とは思えない話もあれば、日常的にあり得る話もあります。

例えば、母の姪がお見舞いに来たという話になり、母の姉は実はヒステリーで亡くなったのだ
というので、びっくりしてさりげなく先方に裏を取ったところ、お見舞いは事実でしたが亡くなった病名は全く違うものでした。

妄想を患った母のことを振り返って思うのは、過去に大変な思いをしたこと、本当はとても怖がりで懐疑的なところがあること、(本人の性格的な特徴)

そのようなことが裏にあり、からみあって、妄想の症状としてあらわれているということです。


もっとわかりやすくいえば、過去にお金で人知れずやりくりに苦労していたとします。

すると、医者にお金をだましとられているので転院させてほしい、通帳も盗まれている・・
こういう妄想が、過去にしまいこんでいたストレス・・

このよう仕舞い込んでいた思いが妄想として転化しておこることが特徴的にみられるということ・・。

そのことに気づいてからは、いたずらに母の発言に気持ちが折れそうになることが減りました。

それから、健康だったときの母には考えられないことでしたが、自分の許せる薬以外は飲まない。

こういうこともありました。病院側としては強制的に飲ませることはできないというので身内が説得してもいっこうに拒否する。

これも、一種薬に関して怖がりの性格がが引き起こした
ある種の妄想がつくりだしたことだったといえるかもしれません。


もうひとつ知っておくほうがよいと思うのでちょっと追記します。

薬の副作用かはわかりませんが食事などの、好みの偏りも症状の一つとしてあるように思います。

妄想より一番苦労したのは食事です。病院の出す食事は拒否し、お菓子ばかり食べるのです。
体重はどんどん減ります。しかしおなかはすいてるだろうに絶対食べないのです。

それで命をつなぎとめるために点滴におちいることがしばしばありました。

あれほど昔、食の細かった私を叱責し、薬と思って食べなさい、と言っていた母がです。

病院から退院を許可されたとき、家に引き取ろうと決めたのですが、この拒食といえることが続いていたからでした。

事実引き取ってから体重は十キロ以上太りましたし、妄想も軽くなり日常生活のコミニケーションは普通にできる状態まで回復したのです。

幻覚も妄想とセットでしたので、あまり母の場合は症状的には出にくかったように思います。

以上、これらが私が体験した母のパーキンソン病の副作用です。
もちろんそうならない方もたくさんおられますし、症状が出る前に他界される高齢の方もたくさんいらっしゃいます。

ただ、脳の病気ですので私が体験したこれらの症状だけではなく、医学書の症状だけではなく、「想定外の症状」もでることもあることを心にとめていただければと思います。

最終週は、エピローグとして「看取り」についてお話したいと思います。

パーキンソン病について その二 注意すべき点

2013-04-06 13:31:58 | 救急箱
パーキンソン病の症状について前回はお伝えしました。

意外に思われるかもしれませんが、パーキンソン病はしばしばうつ病と間違われることも多々あります。それから現在は典型的な症状はなかなかみられなくとも自律神経のほうがやられてパーキンソン病にいたる例も報告されています。

母が発症したときは決め手になる症状がみられませんでした。

そのため多くの病院をまわりました。(現在診断するのに足りる症例はたくさん増えていると思います)

注意していただきたいのは、薬を服薬されていた場合、誤診だったからといって、すぐに薬をやめないことです。母の場合、ある病院であらゆるパーキンソン病の薬が効かないからということで突然投薬が打ち切られました。

実際はパーキンソン病だったため、突然の打ち切りのため症状が激化する「激症パーキンソン」になってしまいました。

体がこちこちになり腰も曲がらず、頭も首がささえきれず、やむなく神経内科がある病院に緊急入院ということになってしまったのです。

その日は雨の日でなんとかタクシーの運転手さんに手伝ってもらい、受け入れてくれる病院をさがして三つ病院をはしごしました。
なんとか入院させて、誰もいない家にくたくたになって帰宅したとき、悔しくて悲しくて大泣きしたのを今でも鮮明に覚えています。

それから、医者の間では常識ですが意外と知られていないのは「せんそく」という足首から内側に足が曲がってしまう症状です。

パーキンソン病ではかなりのケースでみられるので、それを防ぐために、リハビリも不可欠です。
母は不幸にも、リハビリをしていてもその症状が出たため、闘病生活の半分は、半寝たきり状態になってしまいました。

知っていただきたいのは、パーキンソンとは一概にいえない症状もパーキンソン病である場合もたくさんあること

一度でもパーキンソンの薬を服薬した場合、違っていてもすぐに薬を絶つのではなく、徐々に減らし、他の薬に変えていく必要があること。
この二点です。

次回はパーキンソン病の薬の副作用についてお話ししたいと思います

パーキンソン病について

2013-04-06 13:22:37 | 救急箱
私は十六年間パーキンソン病の母を介護しました。

最後は胃がんで亡くなったのですが、今日にかけて、パーキンソン病が急増しているといわれています。

今回からしばらくパーキンソン病についてお話をしていこうと思います。

まずはじめに、パーキンソン病の典型的な例を申し上げますと

手足がふるえる、小走りになる、筋肉が固くなる、すくみ足(足を前に出そうとしても前に出せない症状)

表情がとぼしくなる 声が極端に小さくなる

こういった症状です。

母の場合は、足の親指だけが震えるので不審に思い、大きな病院で(神経内科)診察を受けたところパーキンソン病と診断されました。

パーキンソン病は、脳内ホルモンのひとつ、ドーパミン、という物質が少なくなることによっておこります。

そのためドーパミンを薬によって補う処方がまずなされます。

ただその薬は大変高額です。

脳の薬は薬の中で一番高いのと、進行性の難病であることから

パーキンソン病は「特定疾患」に指定されており、申請し、認定されれば、

薬代だけではなく、さまざまな補助が受けられるので、診断されたら必ず主治医に相談されることをお勧めします。

パーキンソン病は、難病の中でも長く研究をされていきた病気なので、よい薬もたくさん出てきていますし、また脳の外科的手術で大きく症状が軽減される症例も多いです。

また進行も大変遅く、パーキンソン病単独で亡くなることはあまりありません。

また、パーキンソン病は高齢者に多く、進行があまりすすまないまま他の病気を併発され
そのまま大往生を遂げた方も多くみられます。

そのため、多くの医療のパンフレットには

「適切な薬とリハビリによっては日常生活を普通におくれる病気」

こう、記述されています。

私も話を聞いて、当初はすこし安心しました。

ただ、以上、これまでお話したことはあくまでも典型的な症例のお話です。

母の場合はこれから大きくはずれることになりました。

実際、パーキンソンと判別がつかない症例もたくさんあることをのちに知ることになったのです

次につづきます。