2016年8月10日(水) オフの日

2016-08-10 22:18:27 | 日記
今日はオフ。
今日も暑かったなー。
身体はだるいし、気力も減退気味。
明日は早番(7:30~16:30)。


今日気に入った記事は書評サイト「HONZ」より。

今の日本(と言うよりも大手メディアによって語られる日本)はホントに気持ち悪いと思う。
この書評が指摘する通り。自画自賛はやめてほしい。
「自虐こそ知性の証」 とは文化人類学者・レヴィ=ストロースの言葉。
こんなことをしていたら日本人の知性はどんどん劣化していくばかりだろう。
だから言っている。
「日本を良くするための第一歩はみんながテレビを見ないようにすること」。
恐らく日本を徹底的に堕落させるための世界支配者層による壮大なプログラムが
着々進行中ということなのではないか?
安倍政権下の日本は悪夢と言う他はない。



『「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜』
(著)早川タダノリ
青弓社


◆東えりか氏による書評

「ディストピア」とはユートピアの反対語。理想郷じゃない場所のことだ。「日本スゴイ」ならユートピアなんじゃないの?と思いながら読みはじめると、戦時下に行われたプロパガンダによって洗脳された日本人の姿に戦慄させられる。言葉の力は強大だ、プラスに働いてもマイナスでも。 

本書には昭和初期から終戦までに出版された、当時の「日本スゴイ」本の中から「日本主義」「礼儀」「勤労」など、現代にも通ずる日本礼讃キーワードごとに、膨大な本を吟味していく。こんなことが大真面目に語られていたかと驚くばかりである。

そもそも「日本スゴイ」のネタの原型はどこにあるのか。探っていくと見つかったのは週刊新潮の版元、新潮社が出していた月刊総合雑誌「日の出」であったのだ。

満州事変を契機とする日本の国際連盟脱退を受けた「日の出」1933年10月号には「世界に輝く日本の偉さはこゝだ」という特別付録が付いていた。地球上に全く孤立無援になった日本の国難を突破するために、自らへの誇りを付与しなければならない、といういわば白人・西洋コンプレックスの裏返しでもあったのだ。

この特集では「立派な日本人」「海外で活躍する日本人」「美術や工業製品への海外からの賞賛」「肉体的自慢」「日本が持つ世界一の記録」が紹介されている。昨今のマスコミ、特にテレビ特番と全く変わりがない。

礼儀正しく勤勉でな日本人には、最後にきっと神風が吹く、と煽りに煽った戦時中の本は、終戦で灰燼に帰したはずだった。無力感の中から、確かにそれは日本人の美徳である生真面目さや猪突猛進さによって今の日本があるのは間違いない。

だが自らを「スゴイ」という人が凄いことはほとんどない。美しい人や賢い人は外から見て認められてこそ、である。「日本は美しい、素晴らしい」と繰り返す政策や風潮はまず疑うべきだろう。日本人の美徳には「謙虚」もあるのだから。(週刊新潮7月28日号より転載)


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続いてこんなブログも。
「まるこ姫の独り言」より。現政権への悪口大歓迎。

天皇陛下のお言葉へのコメントを発表した
安倍首相の去り際の不敬な態度






2016年8月9日(火) 137日目

2016-08-09 22:36:49 | 日記
52回目の夜勤終了。

今回もリーダー業務。
大きな問題は起こらなくてよかったけれど、ぐったりと消耗した。

施設内は一応冷房がかかっているものの、
高齢者が入居しているということでガンガンに冷やすわけにもいかず、
やっぱり暑い。こっちが脱水状態になってしまいそう。
最近足も簡単につってしまうし・・・。

早く夏は終わってもらいたいなー。
あとはリーダー業務も勘弁してほしい。とても長く続くとは思えない。


ところで世の中はどうなっているんだろう?
夜勤なんかやると浦島太郎状態になってしまう。
天皇の生前退位問題はどうなった?
オリンピックも始まっているらしい。
卓球の福原愛が好調らしいぞ。
石川佳純は1回戦で敗退したそうな。





2016年8月8日(月) 夜勤を前に

2016-08-08 12:48:09 | 日記
今日から明日にかけては夜勤。

2日休んでも身体の調子いまいちなので、
ストレッチと柔軟体操を入念にやっている。。。


さて、気になる情報を簡単に。

やっぱりこの男はイカサマ野郎だ。
ニュースサイト「リテラ」より。

安倍の原爆式典スピーチは口先だけ!
オバマの広島での「核の先制不使用」宣言を日本政府が反対して潰していた



ついでにこんなニュースも。
東京新聞のサイトより。

介護保険の福祉用具レンタル 全額自己負担方針に悲鳴





2016年8月6日(土) オフの日

2016-08-06 19:53:48 | 日記
今日はオフ。
8月6日で広島「原爆の日」でもある。

首相が「非核三原則を堅持する。日本の核保有あり得ない」
なんてコメントしたらしいけど、
平気で嘘をつく“人格破綻者”の言うことなんて信用できないよ。
またどうせ“新しい判断”でひっくり返すんだろ、このイカサマ野郎!


2012年12月に安倍政権が発足した時に、
なんだかとても嫌な予感がして、最初に手に取ったのがこの本だった。
今になって考えてみると、自分ながら非常に的確な選書だったと思う。
なぜなら日本はその後一貫してどんどんナチス・ドイツと類似してきているからだ。
稲田朋美が防衛大臣とか、世耕弘成が経産大臣とか、
目を背けたくなるようなおぞましいニュースだが、それが現実なのだから仕方がない。

電通なのかアメリカCIAなのかは知らないが、
どうも日本を支配している連中は、
ナチス・ドイツの国民洗脳手法、ファシズム国家建設手法を
そのまま日本に適用しているような感じもする。




『ナチズムの時代』
(著)山本秀行
山川出版社 世界史リブレット



この本を読んだ感想を、
2012年12月28日にテレビ東京の「池上彰の報道特番」宛てに投稿した。
以下その文章(まだ残っていた)。
その当時は自分もまだテレビ局に希望を抱いていたんだね。
今や腐り切ってしまってどうしようもない。テレビ局は日本社会最大のガン。
大江麻理子がやっているWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)だって、
インチキ経済番組の代表みたいになってしまって、まるで見る気が起こらないや。


  1930年代のドイツ社会と現代の日本社会は似ているのではないかという問題意識のもと、『ナチズムの時代』(山川出版社)という本を少しディープに読んでみました。大江麻理子アナも今年確かアウシュビッツを訪れたそうで(夏の池上特番見ましたよ)、この件無関心ではないのではないでしょうか?この本はナチズムの所業を単にヒトラー個人の特異性や異常性格に帰するのではなく、当時のドイツ社会の状況や構造に重点を置いて記述している点に特徴があると思います。

  私がまず注目したのは当時の経済状況。低成長の時代で生存競争が激化せざるをえない時代だったということ。分配や削減、負担やコストの問題がむき出しにされ、先鋭化しやすい状況だったということです。現代日本もまったく同じで、世代間の対立、産業間の対立(TPPが典型)、富裕層と貧困層の対立などが今後先鋭化することが予想されます。

  続いて注目したのは、1933年1月にヒトラーが首相に就任した時のナチスの2つのコンセプト、それは①再軍備によって戦争遂行能力をつけ、ベルサイユ体制の打破を目指す②国内の反対派を排除し、国防能力を再建し、戦争に耐える国家を建設する(この②がエスカレートして、ナチ断種法やユダヤ人のホロコーストなどにつながった)。なんとなく安倍氏が言っていることと重なる感じがします。「ベルサイユ体制」を「戦後レジーム」に置きかえることができるだろうし、「反対派の排除」とは言っていないものの、来年の参院選までは安全運転で、選挙に勝ったら暴走を始めると言っている(に等しい)のだから何をやり出すか分かったものではありません。

  続いて、最も印象的なのは、世界恐慌を経験したドイツの人々のメンタル面に注目する必要があるという指摘です。長びく失業により自尊心やアイデンティティを失っていたドイツの人々が、ヒトラー政権によって生活の安定が見込めるようになった。このことによりナチスの「戦争国家建設」の方針を容認、是認する空気が形成された。背に腹は替えられぬということです。まるで来年の日本の空気が予見できるかのようです(アベノミクスで来年はバブル景気になるのでは?)。つけ加えると、当時のドイツは第一次世界大戦を経験して、負けてえらい目にあって、人々が平和を願う気持ちは現代の日本人よりもむしろ強かった可能性さえある、にもかかわらずということです。

  以上、ナチズム時代のドイツ社会と現代の日本社会との類似点を荒っぽく挙げてみました。もちろん相違点も多々あるかと思います。そこまで過激になることはあり得ないと思われる点もありました。しかし、「歴史は繰り返す」という言葉もありますし、警戒するに越したことはないと思います。現時点で日本は自民党政権以外に選択肢はないのかも知れませんが、安倍氏はイケイケどんどんで大衆を熱狂に誘い込もうとしているような気がしてどうも不安になります。そこで再び池上彰さんにリクエスト、「1930年代と現代の類似点と相違点」というテーマを。もちろん大江麻理子アナ(平和の象徴)のアシスタントで!

追伸・・・柴山桂太著『静かなる大恐慌』(集英社新書)を読んでみても、現代がいかに1930年代に似ているかが感じられると思います。ファシズムとの関連で言うと、カール・ポランニーの「社会の自己防衛」という考え方が印象に残りました。池上さんおっしゃるように今こそ歴史に学ぶべきです!





2016年8月5日(金) 136日目

2016-08-05 23:52:38 | 日記
51回目の夜勤終了。

今回は3人体制で、リーダー業務。
約3週間ぶりの夜勤リーダーだった。

相変わらず風邪がはやっていて、
バイタルを測らなければならないとか、
食事を居配しなければならないとかが多いが、
今回も大きな問題は起こらず、平和な夜で助かった。

夜間素直に寝てくれない入居者が増え気味ということを以前書いたが、
今回はそのうちの1人が入院しているということで、
それだけではっきり言ってぐんと気が楽になるということもあった。
(こんなに違うものなのかと驚くくらい)

あとは他の夜勤メンバーが自発的によく動いてくれる人だったので、
心強かったということもあった。


まあでもとにかく夏場の夜勤はしんどい。
1回1回かろうじて乗り切っているという感じ。
夜勤明けは寝てばかりで、あっという間に終わってしまうなー。






2016年8月4日(木) 夜勤を前に

2016-08-04 11:19:27 | 日記
今日から明日にかけては夜勤。

さて、「ビデオニュース・ドットコム」で知った
夕張市の興味深い事例についての本。



『破綻からの奇蹟 〜いま夕張市民から学ぶこと〜
(これからの日本の医療・介護の話をしようシリーズ1)』
(著)森田洋之
南日本ヘルスリサーチラボ


財政破綻により病院がなくなってしまった夕張市、しかも高齢化率は市として日本一。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?・・
しかし財政破綻後のデータは、夕張市民に健康被害が出ていないことを示していた。
事実、夕張市民は笑顔で生活していた。
「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」
それが事実なら、それはなぜなのか?
本書は、その要因について、
先生(元夕張市立診療所所長)と生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から医療・介護・地域社会の問題を鮮やかに描き出し、
日本の明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

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一方で、ニュースサイト「リテラ」より。
今政権を担っている自民党の人間どもはこういう思想の持ち主であると考えて
差し支えないと思う。・・・「植松容疑者は正論」
これからは国民の基本的人権も大幅に蹂躙する方向に動いていくと予想している。

自民党のネット応援部隊が「植松容疑者の主張は間違ってない」
「障がい者は死んだほうがいい」と障がい者ヘイト!








2016年8月3日(水) オフの日

2016-08-03 23:05:23 | 日記
今日はオフ。

今日は久しぶりに経済に関する記事を。
政府日銀がやっている金融緩和政策は必ず失敗に終わるだろう。
そもそも「出口戦略」なんてものを彼らが初めから考えていたとは思えない。
明らかに確信犯だと思う。
犠牲になるのは国民の個人金融資産。
以前にも書いたことだけど、経済の分野ほど国民が壮大に騙されている分野はないと思う。

「Newsweek 日本版」の記事より。
ここで興味深い(なんて言ってられないが)のは、
「ハイパーインフレに目立った前兆はなく、突然やってくる」ということ。
その時期は案外近いのではないかという感じもする。
そうなれば庶民の暮らしは壊滅だ。



ヘリコプターマネー論の前に、
戦後日本のハイパーインフレを思い出せ


2016年07月26日(火)16時02分

<制御不能なインフレと表裏一体、禁じ手である「ヘリマネ」の議論が盛り上がっているが、実は日本は過去に1度、ハイパーインフレに近い状態に陥ったことがある。当時との共通点・相違点を、過去の教訓として知っておくべきだ>

 このところ、ヘリコプターマネーに関する議論が盛り上がりを見せている。ヘリマネは制御不能なインフレと表裏一体であり、一般的には禁じ手とされている。デフレ傾向からなかなか脱却できない今の日本においては、そう簡単にインフレにはならないとの見方もあるが、どの程度、マネーを溢れさせるとインフレになるのかは、実のところ誰にも分からない。

 ちなみに日本は過去1度だけ、ハイパーインフレに近い状態に陥ったことがある。当時と今とでは状況は異なるが、過去の教訓として知っておく必要があるだろう。

◆そもそも「ヘリマネ」って何?

 本題に入る前に、そもそもヘリコプターマネーとは何なのか少し整理しておきたい。キーワードばかりが飛び交い、イメージだけが一人歩きする状況になっているからだ。

 ヘリマネとは、あたかもヘリコプターからお金をばらまくように、中央銀行が大量の貨幣を市中に供給する政策のことを指す。ヘリマネの厳密な定義は曖昧だが、一般的には、中央銀行が対価を必要としない形でマネーを際限なく供給する政策と理解されている。

 現在の量的緩和策は、将来、買い入れた国債を市場に放出し、日銀のバランスシートを元の状態に戻すことが大前提となっている(これを出口戦略と呼ぶ)。また、政府は発行した国債に対して金利を支払う義務があるので、対価ゼロでお金を調達できているわけではない。しかしヘリマネの場合、政府は限りなく対価がゼロの状態、もしくは完全に対価ゼロでお金を調達することになる。

 ヘリマネの具体的なスキームとしては、政府が元本や利子の支払いを必要としない債券(無利子永久債)などを発行し、これを日銀が引き受けるといった形が想定されている。もう少し広い意味では、日銀が、直接国債を引き受ける措置のことをヘリマネと呼ぶこともある。この場合には、利子が発生することになるが、際限なく中央銀行が国債を引き受けるという点では、対価は限りなくゼロに近づくことになる。

 従来の量的緩和策では、消費者や市場参加者は、近い将来、日銀が出口戦略に転換することを前提に行動している。しかし、ヘリマネの場合には、その見込みがなくなるので、多くの人が将来、確実にインフレになると予測するようになる。現金を保有している人は、積極的に株や外貨、不動産に転換するはずだ。これによって物価目標を一気に達成しようというのがこの政策の狙いである。

◆日本の政務債務は太平洋戦争末期と同水準

 多くの人が徐々に現金を手放していけば、理想通りマイルドなインフレとなるが、そうなる保証はない。将来のインフレ期待が行き過ぎ、通貨の信認が低下すると判断されれば、それは制御できないインフレにつながってくる。ヘリマネに懐疑的な立場の人のほとんどは、この制御できないインフレを懸念している。

 日本がハイパーインフレ(ハイパーインフレの定義は様々だが、ここでは制御不能な激しいインフレのことをそう呼ぶ)に陥ったのは、太平洋戦争の終了直後のことである。太平洋戦争で使われた戦費はあまりにも膨大(GDPの約9倍)で、税金で徴収できるようなレベルではなかった。このため戦費のほとんどは、政府が国債を発行し、日銀がこれを直接引き受けることによって賄われた。まさにヘリマネのスキームそのものである。

 終戦直前の1945年には日本の政府債務のGDP(国内総生産。ただし当時はGNPだった)比は200%を突破しており、当時の日本経済の体力で、この水準の財政を維持することは不可能だった。また空襲などによって日本国内の生産設備の多くが生産能力を失っており、極端なモノ不足に陥っていた。

 日銀が際限なくマネーを供給し、通貨の価値が下がっているところに、極端な供給制限が加われば、物価が急騰するのは当たり前である。戦争中は政府が国家総動員法を用いて強引に経済統制を行っていたので表面化しなかったが、終戦と同時にインフレが爆発した。

 1934年から1936年の水準と比較すると、国内の小売物価指数は約180倍に高騰している。約15年で物価が180倍なので、年率換算すると40%強のインフレということになる。一連のインフレによって大量の預金を持っている富裕層はその資産のほとんどを失ってしまった。

 ちなみに、現時点における日本の政府債務(地方分含む)のGDP比は200%を突破している。債務残高という点では、ハイパーインフレを引き起こした太平洋戦争末期と同水準である(図)。当時と現在とでは日本が置かれた状況は異なるが、ヘリマネが話題となるこのタイミングにおいて、債務水準が同じになっているというのは少々気になるところだ。



◆その日は突然やってくる

 筆者は、太平洋戦争末期と債務残高が同水準なので、日本もハイパーインフレになると短絡的に主張したいわけではない。現在の日本経済は当時よりも基礎体力があり、この状態でヘリマネに突入しても、すぐに通貨の信認が損なわれるわけではないだろう。

 だが、当時の日本と今の日本を比較すると、債務の水準以外にもいくつかの共通点が見られる。当時は、大量の国債発行で市中にマネーが溢れていたことに加え、戦争による被害で供給制限がかかったことがインフレの引き金となった。だが供給制限の原因は直接的な戦争被害だけではない。

 戦争によって若年層の人口が減少したことや、軍事用途に資金を強制的に配分した結果、それ以外の設備の更新が遅れ、企業の生産性が低下していたことも、供給制限の大きな要因となっていた。

 よく知られているように、現在の日本は人口減少が進んでおり、特に労働者の中核をなす若年層人口の減少が著しい。日本の労働力人口の総数は、過去10年間であまり変わっていないのだが、25~35歳の労働力人口は同じ期間で2割も減少した。日本が不景気であるにもかかわらず人手不足なのは、基本的に労働力が不足しているからである。

 また日本企業のビジネスモデルは変化しておらず、設備の更新も遅れている。経済産業省が2013年に行った調査では、10年以上経過した老朽設備を保有している企業は6割に達する。1994年の調査と比較すると、設備の保有期間は大幅に長期化した。現在の日本は古い設備ばかりとなり、それをオペレーションする若年層労働者も少ないというのが現状なのだ。こうした供給制限が経済成長に与える影響は決して無視できない。

 終戦直後とそのまま比較するのは適切ではないかもしれないが、マネーが市中に大量に溢れ、供給面で制限がかかっているという点では同じである。こうした状況下で際限のない資金供給が続いた場合、眠っていたマネーが突如動き始める可能性はゼロではない。

 戦後のハイパーインフレは、ある日、突然発生した。ほとんどのケースにおいて、ハイパーインフレに目立った前兆はない。数字の上では危ないといわれていても、しばらくは何も起こらないのが普通である。インフレで大変な事態になると皆が気付くのは、インフレになったその時である。あえていうなら、最初に兆候を示す可能性が高いのは為替ということになるだろう。


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続いて、エコノミスト・高橋伸彰氏のツイートより。
「政府も日銀も生活者のことなんかこれっぽちも考えていない」のは確かだと思う。
アベノミクスの最初からそうだ。

7月26日
日銀に求められてるのはデフレ脱却目的で買い込んだ400兆円近い国債をいかに減らすかの出口戦略であり、新たな追加緩和論ではない。ヘリマネなど言語道断。さっさと店じまいすべきだよ→日銀内に追加緩和論 政府との連携を重視:日本経済新聞

7月29日
デフレ脱却を第一の矢の標的にして250兆円以上も国債を買い込んだ結果がコレ。賃金上げれば現役世代が、金利上げれば高齢世帯が潤い消費も増える。物価の前に上げるものがあるだろう。→6月の全国消費者物価、0.5%下落 4カ月連続下落:日経

7月29日
えげつないにもほどがある。株価連動の投資信託買いを倍増して年間6兆円にするだって。金融緩和とは似ても似つかぬ単なる株価操作じゃないか。下品きわまる対策。恥を知れ→日銀が追加金融緩和を決定 金融政策決定会合:朝日新聞デジタル

8月1日
日銀はETFを買って富裕層をより豊かにし、マイナス金利で庶民をより貧しくしている。政府も日銀も生活者のことなんかこれっぽちも考えていない。そろそろ労働者が立ち上がるときだろう→日経平均続伸、見えたETF「6兆円買い」の影響力:日経

8月3日
マイナス金利は異常。プラスが正常。市場の実勢に任せれば、今日中に日経平均は1万6000円割れ、為替レートは1ドル100円割れ。内閣改造に配慮して日銀とGPIFは必死で介入?→長期金利が急上昇 日銀の決定会合後、国債手放す動き:朝日






2016年8月2日(火) 135日目

2016-08-03 00:23:02 | 日記
50回目の夜勤終了。

今回も3人体制で、リーダー業務からは解放。

ようやく梅雨も明けて夏本番の厳しい暑さとなっているが、
施設内では風邪がはやっていて、熱発する入居者が多くなっている。
夜間にバイタルを測らなければならない人数も多いし、
食事を部屋に運ばなければならない人数も多くて、
そういう意味では大変だった。

でも病院に連絡したり、救急搬送したりするような事態にはならなかったので、
そういう意味ではまだ良かったのではないかと思う。


夏場は自分自身の体調管理が大変。
夜勤明けはひたすら休息に努めている。








2016年8月1日(月) 夜勤を前に

2016-08-01 12:57:29 | 日記
この新刊、なかなか面白そう。
タイトルがすごいと思う。
内容がタイトル負けしていないといいけれど・・・。




『138億年の音楽史』
(著)浦久俊彦
講談社現代新書


「われわれは、どんな過去にさかのぼっても音楽に出会う」。
ビッグバンから始まった「宇宙の音楽」の歴史では、
ベートーヴェンもビートルズもちっぽけな砂の一粒に過ぎない。
鳥や鯨の「作曲術」から人体という「楽器」が奏でる音楽まで。
ピタゴラスの天球の音楽からアボリジニのソングラインまで。
「音」と「調和(ハーモニー)」をキイワードに壮大なスケールで描く、
これまでにないユニークな書。

第1章 宇宙という音楽  
第2章 神という音楽  
第3章 政治という音楽
第4章 権力という音楽  
第5章 感情という音楽  
第6章 理性という音楽
第7章 芸術という音楽  
第8章 大衆という音楽  
第9章 自然という音楽 
第10章 人間という音楽