2016年2月4日(木) 夜勤を前に

2016-02-04 12:13:45 | 日記
今日から明日にかけては夜勤。

夜勤明けは、ぐったり疲れてブログなど書く気になれないだろうから、
昨日の続きを投稿しておきます。


「日米同盟の根本的桎梏」について。

この問題については、
思想家の内田樹さんが昨年6月22日に自らのブログで発表した言説に勝るものは
今のところ私には見当たらないので、かなり長いけど全文転載します。
非常に分かりやすくて、目から鱗が落ちまくりだった。
自分が50年間生きてきた日本という国は、こういう足枷をはめられていたのか・・・。

内田さんによると、日本は独立国家でも主権国家でもないそうだ。
外交や国防を含めた重要な政策を自ら決定する権限を持たされていないのだから
その通りだと思う。
こういう言説をテレビで日々しつこく流せば日本人の多くも覚醒するだろうに・・・。


対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。

── 「安倍政権は対米従属を深めている」という批判があります。

内田 先日、ある新聞社から安倍政権と日米同盟と村山談話のそれぞれについて、100点満点で点をつけてくれという依頼がありました。私は「日米同盟に関する評点はつけられない」と回答しました。日米同盟は日本の政治にとって所与の自然環境のようなものです。私たちはその「枠内」で思考することをつねに強いられている。「井の中の蛙」に向かって「お前の住んでいる井戸の適否について評点をつけろ」と言われても無理です。「大海」がどんなものだか誰も知らないんですから。そもそも日米が「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方です。誰が何と言おうが、日本はアメリカの従属国です。日米関係は双務的な関係ではなく、宗主国と従属国の関係です。現に、日本政府は、外交についても国防についても、エネルギーや食糧や医療についてさえ重要政策を自己決定する権限を持たされていない。年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートなどを通じてアメリカが要求してくる政策を日本の統治者たちはひたすら忠実に実行してきた。その速度と効率が日本国内におけるキャリア形成と同期している。つまり、アメリカの要求をできる限り迅速かつ忠実に物質化できる政治家、官僚、学者、企業人、ジャーナリストたちだけが国内の位階制の上位に就ける、そういう構造が70年かけて出来上がってしまった。アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない。そこまでわが国の統治構造は硬直化してしまった。アメリカの許諾を得なければ日本は重要政策を決定できない。しかし、日本の指導層はアメリカから命じられて実施している政策を、あたかも自分の発意で、自己決定しているかのように見せかけようとする。アメリカの国益増大のために命じられた政策をあたかも日本の国益のために自ら採択したものであるかのように取り繕っている。そのせいで、彼らの言うことは支離滅裂になる。国として一種の人格解離を病んでいるのが今の日本です。

── いま、日本のナショナリズムは近隣諸国との対立を煽る方向にだけ向かい、対米批判には向かいません。

内田 世界のどこの国でも、国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません。

── どうすれば、対米従属構造から脱却できるのでしょうか。

内田
 まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。これは敗戦国、被占領国としては必至の選択でした。ことの良否をあげつらっても始まらない。それしか生きる道がなかったのです。でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。「面従腹背」を演じていたのです。けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けているうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルヒーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。安倍首相が採択をめざす安保法制が「アメリカの戦争に日本が全面的にコミットすることを通じて対米自立を果すための戦術的迂回である」というのなら、その理路はわからないではありません。アメリカ兵士の代わりに自衛隊員の命を差し出す。その代わりにアメリカは日本に対する支配を緩和しろ、日本の政策決定権を認めろ、基地を返還して国土を返せというのなら、良否は別として話の筋目は通っている。でも、安倍首相はそんなことを要求する気はまったくありません。彼の最終ゴールは「戦争ができる国になる」というところです。それが最終目標です。「国家主権の回復」という戦後日本の悲願は彼においては「戦争ができる国になること」にまで矮小化されてしまっている。「戦争ができる国=主権国家」という等式しか彼らの脳内にはない。アメリカの軍事行動に無批判に追随してゆくという誓約さえすればアメリカは日本が「戦争ができる国」になることを認めてくれる。それが政府の言う「安全保障環境の変化」という言葉の実質的な意味です。そこまでアメリカは国力が低下しているということです。もう「世界の警察官」を続けてゆくだけの体力もモチベーションもない。けれども、産軍複合体という巨大なマシンがアメリカ経済のエンジンの不可欠の一部である以上、戦争は止められない。でも、アメリカの青年たちをグローバル企業の収益を高めるために戦場に送り出すことには国民の厭戦気分が臨界点を超えつつある今はもう無理である。だから、アメリカは「戦争はしたいけど、兵士は出したくない」という「食べたいけど、痩せたい」的ジレンマのうちに引き裂かれている。そこに出て来たのが安倍政権です。アメリカがこれまで受け持っていた軍事関係の「汚れ仕事」をうちが引き受けよう、と自分から手を挙げてきた。アメリカの「下請け仕事」を引き受けるから、それと引き替えに「戦争ができる国」になることを許可して欲しい。安倍政権はアメリカにそういう取り引きを持ちかけたのです。もちろん、アメリカは日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。アメリカの許諾の下での武力行使しか認めない。それはアメリカにとっては当然のことです。日本がこれまでの対米従属に加えて、軍事的にも対米追随する「完全な従属国」になった場合に限り、日本が「戦争ができる国」になることを許す。そういう条件です。しかし、安倍首相の脳内では「戦争ができる国こそが主権国家だ」「戦争ができる国になれば国家主権は回復されたと同じである」という奇怪な命題が成立している。自民党の政治家たちの相当数も同じ妄想を脳内で育んでいる。そして、彼らは「戦争ができる国」になることをアメリカに許可してもらうために「これまで以上に徹底的な対米従属」を誓約したのです。かつての日本の国家戦略は「対米従属を通じて、対米自立を達成する」というものでしたが、戦後70年後にいたって、ついに日本人は「対米従属を徹底させることによって、対米従属を達成する」という倒錯的な無限ループの中にはまりこんでしまったのです。これは「対米自立」を悲願としてきた戦後70年間の日本の国家目標を放棄したに等しいことだと思います。

── どうして、これほどまでに対米従属が深まったのでしょうか。

内田 吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたことの見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復しました。その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなき衛星国、従属国でした。けれども、それに対する見返りは何もありません。ゼロです。沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。

── 日本が自立志向を持っていたのは、田中角栄首相までということですね。

内田 田中角栄は1972年に、ニクソン・キッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。その結果はご存じの通りです。アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。

── 田中の失脚を見て、政治家たちはアメリカの虎の尾を踏むことを恐れるようになってしまったということですか。

内田 田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。

── 内田さんは、1960年代に高まった日本の反米気運が衰退した背景にアメリカの巧みな文化戦略があったと指摘しています。

内田 占領時代にアメリカは、日本国民に対してきわめて効果的な情報宣伝工作を展開し、みごとに日本の言論をコントロールしました。しかし、親米気運が醸成されたのは、単なる検閲や情報工作の成果とは言い切れないと思います。アメリカ文化の中には、そのハードな政治的スタイルとは別にある種の「風通しのよさ」があります。それに日本人は惹きつけられたのだと思います。戦後まず日本に入ってきたのはハリウッド映画であり、ジャズであり、ロックンロールであり、レイバンやジッポやキャデラックでしたけれど、これはまったく政治イデオロギーとは関係がない生活文化です。その魅力は日本人の身体にも感性にも直接触れました。そういうアメリカの生活文化への「あこがれ」は政治的に操作されたものではなく、自発的なものだったと思います。同じことは1970年代にも起こりました。大義なきベトナム戦争によって、アメリカの国際社会における評価は最低レベルにまで低下していました。日本でもベトナム反戦闘争によって反米気運は亢進していた。けれども、70年代はじめには反米気運は潮を引くように消滅しました。それをもたらしたのはアメリカ国内における「カウンター・カルチャー」の力だったと思います。アメリカの若者たちはヒッピー・ムーブメントや「ラブ・アンド・ピース」といった反権力的価値を掲げて、政府の政策にはっきりと異を唱えました。アメリカの若者たちのこの「反権力の戦い」は映画や音楽やファッションを通じて世界中に広まりました。そして、結果的に世界各地の反米の戦いの戦闘性は、アメリカの若者たちの発信するアメリカの「カウンター・カルチャー」の波によっていくぶんかは緩和されてしまったと思います。というのは、そのときに世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。ですから東西冷戦が最終的にアメリカの勝利で終わったのは、科学力や軍事力や外交力の差ではなく、「アメリカにはカウンター・カルチャーが棲息できるが、ソ連にはできない」という文化的許容度の差ゆえだったと思います。統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しといえどもアメリカしかありません。アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。これはアメリカ政府が意図的・政策的に実施している「文化政策」ではありません。国民全体が無意識的にコミットしている壮大な「文化戦略」なのだと思います。

── 長期的にアメリカの国力が低下しつつあるにもかかわらず、親米派はアメリカにしがみつこうとしています。

内田 アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。その可能性は直視すべきです。直近の例としてイギリスがあります。20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、短期間に一気に縮小してゆきました。植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。いまだにイギリスは国連安保理の常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。ですから、「どうやって最小の被害、最小のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。この流れは止めようがありません。これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐強い努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。

2016年2月3日(水) オフの日

2016-02-03 23:04:16 | 日記
今日はオフの日ということで、
特別企画(?)。
自分が生きてきた半世紀の日本が、どういう時代だったのかを、
現時点における自分なりの解釈で、簡単に振り返ってみたいと思う。



自分が生まれたのは1965年。
池田勇人内閣による「所得倍増計画」の真っ最中と言ってもよい。
(1960年から10年間の計画で、実際には倍以上に所得は増えたようだ)
前年には東京オリンピックもあった。

幼年の頃の記憶はほとんどないが、
まだ世の中それほど豊かでなかったという印象はある。
ただ、なんとなく自分が生きている世界(日本)は上り坂を登っているような、
そんな雰囲気は感じていたに違いない。

そして1970年代~1980年代。
1970年代後半になると自分も思春期を迎え、多感な年代で、
だいぶ記憶もはっきりしてくる。
この年代って人生にとって致命的に重要なのではないだろうか?

今になって分かることだが、哲学的には「ポストモダン」と呼ばれる時代、
「大衆消費社会」へと時代は大きく転換していく。
象徴的な書籍としては、
ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』(1979)
田中康夫 『なんとなくクリスタル』(1980)
浅田彰 『構造と力』(1983)
といったところだろうか。ちょっと軽薄な時代というイメージ。

世相的には、1978年に始まったTV番組「ザ・ベストテン」が圧巻。
久米宏・黒柳徹子司会のこの番組は中学校の同学年の90%以上は
見ていたのではないか? それほどものすごい化け物的な番組だった。
今でも中学時代の同級生と時々集まることがあるが、
カラオケで唄うのは、この頃の唄ばかり。
その年を代表するヒット曲があれほどたくさん生まれたのは、
この時代だけではないか、とも思える。

経済的には、生産から消費へと重点が移っていった時代。
つまり、物が足りない時代から、物が有り余る豊かな時代へ。
ということで、とにかく物を売り込まなければいけないということになり、
必然的にマーケティングとかコピーライターといった職種が花形となっていた。
糸井重里がコピーライターとして華々しく活躍していたのもこの時代。

我々の年代が「新人類」と呼ばれたのも、この辺に理由があったのだと思う。
若者であるにも関わらず、世の中に対して何の不満も抱かない連中の出現。
それが違和感をもって世間に捉えられたのだろう。
でもね、豊かで物が有り余る世の中に、どうして不満を持つ必要があるのだろうか?
自分自身も学生時代に政治やイデオロギーについて友人と議論を交わした記憶はない。
豊かで平和なんだから別にいいじゃん。
政治について議論しようものなら、「お前馬鹿じゃないの?」と言われる雰囲気があった。
自分の周囲のほとんどがノンポリだったと思う。

そして、1985年に「プラザ合意」という国際経済的に重要なイベントがあった。
実質的なドル切り下げの合意で、その後為替は大きく円高に振れることになる。
日銀は今と同じように大金融緩和へと動き(当時は公定歩合の引き下げによる)、
日本は空前のバブル経済へと突入していった。1980年代後半のことだ。

個人的には、この頃から日本人の堕落が始まったような気がする。
コツコツと物作りに励んできた日本人が、マネーゲームに狂奔するようになる。
日経平均株価は4万円近くまで上昇。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
「日本がアメリカから学ぶことなど最早何もない」
日本が傲慢なことを言っていたのはこのバブルの頃。
自分はまだ世の中のことをよく分かっていなかったとは言え、
「そんなはずはないだろう」と感じたのを覚えている。

そして、1990年にバブルがはじける。
世界的には前年1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉した。
(冷戦構造の終焉と日本のバブル崩壊は、絶対に関係があるはず!)
そこから日本は「失われた10年」と呼ばれる低迷期に入るが、
どう考えても「10年」ではなく、現在に至る「25年」だろう。
1990年以降の日本は、個人的な意見を言わせてもらえば、
少なくとも質的にはまったく進歩しておらず、退化する一方だと思える。

何よりもモラルの劣化が甚だしい。
このブログでも何回か使った言葉、「ノブレス・オブリージュ」の精神。
もっと卑近な言葉を使えば、「弱きを助け、強きを挫く」。
こういう精神がなくなってしまった。以前はもっとあったような気がする。

そして、とうとう今の安倍政権で行く所まで行ってしまったという印象が強い。
この政権は、ひたすら強者であるアメリカのケツを舐めているだけの政権。
国民の方を向かずに、アメリカの方ばかり向いている政権だ。
それを批判できないメディア、とりわけテレビの腐敗ぶりもひど過ぎる。
奴らがやっていることは、ひたすら
「強きには媚び諂い、弱きは蹴り落とす」だからね。

その結果が、
「世界の富豪上位62人が持つ資産は、世界の貧困層約36億人の資産総額と同じ」
という行き過ぎた格差社会だろう。

でも、こんな状況がいつまでも続くのだろうか?
日本人は世界でも有数の「テレビの情報を鵜呑みにしてしまう国民」らしいが、
そろそろ、テレビから発せられる腐臭に多くの人々が気付いてもいい頃ではないだろうか?
(日本のテレビはどうも米国戦争屋CIAの徹底した監視下にあるようだ)


以上、自分が生きてきた半世紀がどういう時代であったか、
大雑把な(あまりにも大雑把な)振り返りだったが、
結局、前半の25年間は時代的には「上り坂」、
後半の25年間は「下り坂」、という感じなのかも知れない。
さて、これから日本はどうなるのか?

個人的に、今の日本にとって最も本質的な問題は、
「日米同盟の根本的桎梏」であると思っているが、
実はそれは、戦後70年間一貫して変わらない構造だったのかも知れない。
その件に関してはまた後日。

2016年2月2日(火) 49日目

2016-02-03 00:33:37 | 日記
今日は遅番(10:30~19:30)。

同じ遅番だったのが、50歳代のパートのヘルパーGさん。
同じくらいの年代の人と一緒だとやはり安心感がある、というのが正直なところ。
仕事に関して以心伝心というか、何か通じる部分があるんだよね。

自分は若い頃、「新人類」と呼ばれた世代なのだが、
いったいどのような世代なのか、
どのような時代を生きてきたのかについては、
自分なりの解釈として後日このブログでも触れてみたいと思っている。

今日は夜勤が2人体制ということで、
遅番2人と合わせて4人で夕食後の就寝介助、おむつ交換の仕事を回す必要があり、
夜はややキツかった。上がったのは20:20頃。
まあ、明日がオフなので、少しは気が楽だったが・・・。


ということで、今日は疲れているので、この辺でご勘弁を・・・。
家の暖房が故障してしまって、寒いし、ブログを書く気にもなれない。








2016年2月1日(月) 48日目

2016-02-01 22:46:12 | 日記
今日は早番(7:30~16:30)。

2月になった。
今日の昼食から、食堂の席替えがあって、
ドタバタした感じが多少はあったが、大きな混乱はなかったように思う。
利用者さんがどう感じたのかはよく分からないが・・・。

身体の疲れは抜けていないが、そこそこ動けた。
仕事となるとなんとか動けてしまうもの。
パートの50歳代の女性ヘルパーGさんに、
「春は自律神経が乱れやすいから注意した方がいいよ」
とアドバイスされた。
うーん、そういうものか。ありがたく承ろう。
とりあえず考えているのは、ストレッチと柔軟体操は怠けずに行うこと。
酒の量を少しセーブすること。(これは結構難しい!)


世の中的に話題になっているのは、甘利経済再生相辞任で内閣支持率上昇!?
またかよ。ほんとデタラメばかりで、さらにどっと疲れてしまう。
大手メディアの腐敗ぶりはもはや末期的症状だ。
最近は腐臭さえ漂っているように感じる。
これじゃあ日本はろくな国にならないだろう。
有権者がまともな情報を受け取っていないのだから、
民主主義の重要な条件の一つを欠いているのは明白だ。

エコノミスト植草一秀氏のブログから一部引用。
この辺がまともな見解だと思う。



甘利辞任で支持率上昇というウソのようなウソ

甘利明氏の「政治とカネ」問題が発覚して、甘利氏が大臣室で業者から現金を受領していたことが明るみに出た。「あっせん利得処罰法違反」や「政治資金規正法違反」での刑事責任が問われる可能性も高い。当然のことながら、甘利明氏は引責辞任した。この事件を背景に、内閣支持率は低下するのが順当である。

ところが、メディアが発表した世論調査結果では、内閣支持率が上昇した。これを鵜呑みにすることはまったくできない。「重大事案直後の世論調査数値の改竄」が、新しい情報操作、情報工作の、最重要手法のひとつに浮上していると考えるべきである。

こうした仮説を提示して、それを明確に否定し切ることは不可能である。なぜなら、メディアの世論調査には法的な規制、客観的な監視が存在しないからである。政治権力が注力しているのは、ダメージコントロールである。

問題が生じたときに、そのダメージをいかに圧縮するか。これが情報操作、情報誘導の最重要のポイントになる。今回の金権腐敗スキャンダルなどは、政権が転落する契機になる、最重要の事案である。普通に世論調査をすれば、内閣支持率が急落するだろう。この内閣支持率の急落が、政権失墜の引き金になる。

逆に考えると、何らかの方法で、世論調査の数値を操作できれば、これほど権力にとって利益になることはない。今回の金権腐敗スキャンダルでは、安倍政権の情報工作チームが総力戦を展開したと見られる。テレビ番組では、政権工作員が、政権のダメージを圧縮するための発言を機銃掃射のように連発した。

具体的にあげればきりがない。そのうえで、世論調査数値を改竄した疑いが濃厚なのだ。この数値を高く発表して、世論を誘導する。たしかに効果的な手法だ。いまの安倍政権であるから、このようなことが行われているという可能性を念頭に置いて情報に接する必要がある。