2016年1月27日(水) オフの日

2016-01-27 14:56:39 | 日記
今日はオフ。

久しぶりに本の紹介を。
実はこの本が現時点での本命。昨年2月に図書館で借りて読んだ。

六車由実著 『驚きの介護民俗学』(医学書院)





高齢者を単に介護される存在として捉えるのではなく、
貴重な社会的資産として捉えることはできないものか?
人間、長く生きていれば、それだけ多くの知性(広い意味での)を有しているはず。
例えば、特に今の高齢者は戦争を経験している最後の世代と言ってもいい。
戦争経験を語り継ぎ、あるいは記録し、次世代に継承していくことは、
国家にとって大切な資産となるだろう。
(もっとも、今の自民党政権のような歴史修正主義者にとっては、
そんなものは邪魔な存在でしかないのだろうが・・・)

そういう誰もが抱くような素朴な考えを私も抱いていた。
そして、そういう取り組みを現場で実際に行っている人がいるということを
この本で知った。

出版社(医学書院)による内容紹介によると、

語りの森へ・・・・・
気鋭の民俗学者は、あるとき大学をやめ、老人ホームで働きはじめる。
そこで流しのバイオリン弾き、蚕の鑑別嬢、郵便局の電話交換手ら、
「忘れられた日本人」たちの語りに身を委ねていると、
やがて新しい世界が開けてきた・・・・・。
「事実を聞く」という行為がなぜ人を力づけるのか。
聞き書きの圧倒的な可能性を活写し、高齢者ケアを革新する。


介護という分野に希望があるとすれば、こういう方向ではないか、
という感じが漠然とではあるが現時点ではしている。
この本の最後の方で、六車さんは以下のような提言をしている。

民俗学を専門とする者だけでなく、
フィクション、ノンフィクションの作家が自らのテーマや材料探しに
介護現場で取材したり、
美術やダンスなどのアーティストが作品のモチーフを探しに介護現場に入るなど、
さまざまな分野の人たちがさまざまな目的で介護現場に入ってもいいと思う。
高齢者介護の施設には、そうしたさまざまな需要に応えられるだけの
豊かな人生を背負った「人材」が多く居住しているのである。


なんだか可能性と拡がりを感じる提言ではないだろうか?
私はそう感じた。
社会学者や哲学者、政治家や官僚、
マスコミ関係者やエリート銀行マン(いまやエリートでも何でもないだろうが・・・)、
いろいろな分野の人たちがもっともっと介護の現場に入ってみればいいと思う。
そこで様々な「人生と人生の化学反応」が起こり、
拡がりが出てくれば面白い展開になると思う。

もちろん、現実はそんなに甘くない。いろいろな壁がありそうだ。
そういうものを一つ一つ点検していく作業を自分もやっていかなければいけないかな
とも思うのだが(今の政治や社会のデタラメぶりを告発するのもその一つのつもり)、
果たしてそういう余裕を持てるかどうか・・・。
この件については大きなテーマとして引き続き考えていきたいと思う。


続いて、この本、『驚きの介護民俗学』の目次情報。

第1章 老人ホームは民俗学の宝庫
●「テーマなき聞き書き」の喜び
●老人ホームで出会った「忘れられた日本人」
●女の生き方

第2章 カラダの記憶
●身体に刻み込まれた記憶
●トイレ介助が面白い

第3章 民俗学が認知症と出会う
●とことんつきあい、とことん記録する
●散りばめられた言葉を紡ぐ
●同じ問いの繰り返し
●幻覚と昔話

第4章 語りの森へ
●「回想法ではない」と言わなければいけない訳
●人生のターミナルケアとしての聞き書き
●生きた証を継承するー『思い出の記』
●喪失の語りーそして私も語りの樹海に飲み込まれていく

終章 「驚けない」現実と「驚き続ける」ことの意味
●驚き続けること
●驚きは利用者と対等に向き合うための始まりだ



最後に、六車由実さんの講演を、ユーチューブで見ることができるので紹介しておきます。

◆2012年7月25日 日本記者クラブにおける講演
https://www.youtube.com/watch?v=ZAnwFp7PThU

◆2015年9月19日 ジュンク堂池袋本店トークイベント
(民俗学の大御所・赤坂憲雄さんとのトークセッション)
https://www.youtube.com/watch?v=Rq6OaCYne1U