北海道の山野でとことん遊ぶ!!
I am Amigo!
2016.8.14 『ピンネシリ』(958m) 《盆休山旅⑤-③》
南日高の『ピンネシリ』はこれまでに3度登っている。
そのいずれもが『アポイ岳』からの縦走で、同じくいずれもガスに見舞われて何も見えなかった。
従ってなんとかその頂上から広がる世界を見てみたい、という思いがつのる。
そこで今回はこの山行の後の予定もあり、『ピンネシリ』だけを単体で攻めることにした。
7時40分、登山口をスタート。
曇り空で上部の天候が気にかかるが、「何とか晴れてくれ~っ!」の思いも届かず、高度を上げるほどにガス域に近付き、
やがて湿気の多いガスの中へ突入。
身体やザックが濡れる。
そしてガスの中に現れるピークを頂上か?
と勘違いを重ねながら、
9時20分、頂上。
濃いガスは晴れることなく、4度目の頂上からはこれまで同様なんにも見えない。
そんなところに長居をしてもしょうがないので、即下山を開始。
ところが、下山を開始して間もなく、上空に青空が広がりだした。
そして『アポイ岳』麓の海岸線をくっきりと映し出す。
これは感動ものだ。
4度目にして初めて目にする風景に、ホッとした感じ。
その後はみるみるガスが晴れ、下山道から日高山脈の美しい姿を堪能した。
ゆっくり美しい景色を見ながら下り、樹林帯の登山口が近くなった頃、
辺りから「フーッ! フーッ!」という唸り声が聞こえてきた。
私は即ヒグマの存在を察知し、立ち止まってザックにくくりつけた鈴を手で高鳴らした。
と同時に私に近付いたHiromiが上を指差して「あれクマじゃない!?」。
見上げると、目の前の6~7mほどの高さの木の、ほぼ先端に子熊が登っているではないか!
「やばい! 子連れだ、戻れ戻れ!」
そう言って下ってきた方を再び登り始めた。
「急がなくていい、走るなよ!」
少し登り返し、まだ子熊が視界に残る地点だというのに、Hiromiが「まだ登るの?」
全く危険極まりない状況を理解していない。
襲われなかったことが不思議な状況だというのに。
子熊は無理やり母熊に木から下ろされたのだろう、凄まじい声で吠えていた。
そして遭遇現場を大きく迂回し、藪こぎで林道へ下ろうとしている私に、
「どこ行くの?」
この天然!!
こちらは一刻も早く危険区域から逃れようとしているのに、いつもと何ら変わりなく、ゆっくり着いてくる。
私一人なら藪の中を走って下る場面だ。
そんなHiromiの危なげな脚を見、進路を変えて登山口のすぐそばに登り返して難を逃れた。
【検 証】
何故あのとき目の前の母熊は襲ってこなかったのか?
それは第一に、守るべき子熊が地上より安全な木の上にいたこと。
第二にこちらが一人ではなく二人でいたこと、が考えられる。
一人ならためらうことなく、即襲ってきただろう。
下山してから聞いたHiromiの話しだが、
一人で歩いていたなら、子熊との遭遇現場で子熊の写真を撮り、そのまま下山することになったそうだ。
当然母熊に襲われて死亡した場面だ。
無知は恐ろしい。
Hiromiにとって大変勉強にになったこの日の山行だが、
ことの全てを理解した後で、ようやく恐怖がよみがえってきたようだ。
11時45分、登山口。
生きて帰られたことに感謝。
私の長い登山経験の中で、最も死に近い登山経験となった。
2016.8.13 『楽古岳』(1,472m) 《盆休山旅⑤-②》
『楽古岳』も約20年前に一度登っている。
しかしその時は、登山道が刻まれたメナシュンベツ川の上二股辺りから既に濃いガスに見舞われ、
全く印象に残っていない山だ。
それ故今回は新鮮な気持ちで登った。
6時30分、「楽古山荘」前の登山口をスタート。
前日きつい『神威岳』の登行を終えたばかりなのに、この日もHiromiは元気がいい。
スタートして古い作業道を10分ほど歩くと、「楽古岳登山口」の案内板がまた現れた。
「ここから作業道を離れ、入山ですよ」の意味か?
その後上二股までの間に、6回の渡渉を数えた。
しかし過去の記憶に照らし合わせると、渡渉の印象がない。
6回どころかただの1度も渡渉をしたという記憶がない。
人間の記憶の曖昧さに、改めて驚かされた次第だ。
7時10分、上二股。
そしてそこにも「楽古岳登山道入口」の古い案内板が。
随分「登山口」の多い山だなあ。
さて、この上二股から一気に800m標高差の急登だ。
沢を離れてしばらくは大きくジグを切って登るが、すぐにほぼ直登となり、グイグイ高度を上げて行く。
暑いが樹木がまばらで美しい周りの環境が和ませてくれる。
そして標高1,100m辺りで一旦開けたところに出て、上部の尾根を確認できる。
ここで休まない登山者はまずいないだろう。
ホッとする場所だ。
しかしその標高から察しても、登りはまだまだ。
再びグイグイ登り、
8時30分、1,317m標高点。
ここが上二股からの終着点となり、あとは頂上を目指して一直線だ。
けれど樹木が多く、なかなかすっきりとしたところを歩かせてはくれない。
そして残り100mを切るとようやくハイマツの背が低くなり、快適に歩を進め、360度視界を遮るもののない頂上に飛び出す。
9時5分、頂上。
そこには絶景としか言い様がない見事な山岳美が待ち構えていた。
いい山だねえ~っ!!
おまけに風がなく人もいない。
実にゆったりできる。
そんな頂上でいつものようにインスタントラーメンを食べ、40分ほど滞在して下山を開始。
しかしその頃には暑さで湧き上がるガスが、東から山全体を包み始めていた。
いやあ、いい時に頂上に立ったねえ~
Hiromiと上機嫌で下山。
11時50分、「楽古山荘」登山口。
いやあ、実にいい山だったねえ・・・
2016.8.12 『神威岳』(1,601m) 《盆休山旅⑤-①》
私は毎回山行を終え、帰宅してから写真を整理してblogをアップする。
従って、今回のような盆休みは山旅を続け、本日帰宅してのUPとなるので、遅れて申し訳ない。
7~8月の間、土曜も祝日も出勤で、おまけに早出残業の現勤め先も、盆休みは長い。
11~16日までの6連休。
11日の午前中、女房と墓参りを済ませ、午後Hiromiを拾って南日高を目指した。
いつも女房には申し訳ないと思っている。
女房だって貴重な休みなのに、どこへも連れて行かず、ただただ山を目指す。
ごめんなさい。
そしていつも快く送り出してくれてありがとう。
南日高は遠い。
歳とともに運転が辛くて辛くて。
旧三石町荻伏から「神威山荘」に向かう林道を目指す。
そして舗装道路終点から狭い林道となるが、この林道が怖くて長い。
私にとって20数年ぶりの再訪であったのだが、こんな怖い林道だったろうかと???
林道はシュオマナイ川の右岸から始まり、左岸また右岸と繰り返すのだが、
その行程のほとんどがシュオマナイ川の谷底からそそりたつ絶壁に刻まれている。
よくもまあそんなところに林道を刻み付けたものだ。
私の車は運転席が高いので、林道脇の谷底が随所で見られる。
その光景はしつこいが怖い限りで、翌日それをまた戻ることを思うと憂鬱になる。
なのによ、助手席のHiromiはだよ、そんな光景を目にしているうちに眠りこけてしまった。
まあまあ心臓強いと言うか、無神経と言うか・・・
さすが「天然女王」!
以上のような訳で、運転に自信がない方は近づかない方がいい。
「神威山荘」に着いて車のメーターを見ると、舗装終点から20kmも走っていた。
長く感じたはずだ。山荘前には5台の車があり、なんだか賑やかそうなので、少し戻ってゆっくり車中泊。
12日朝6時、神威山荘前の登山口をスタート。
20数年前の記憶をたどりながらの入山も、まるで記憶がなく新鮮そのもの。
最初の渡渉から沢の幅が以前は今の倍以上あったと記憶していた。
その後古い作業道を歩き入渓するのだが、入渓とは言っても沢靴は必要ない。
渡渉を繰り返すものの、スパッツを付けていれば靴中を濡らすことはない。
沢中の面倒な部分は巻き道が備わっているので、ピンクテープを見逃さなければ楽に進める。
8時ちょうど、尾根取り付き点。
ここからは東に向かう尾根の急登の連続で、一気に高度を稼ぐ。
この日ここを登っているうちに、『コイカクシュサツナイ岳』の夏尾根を思い浮かべていた。
登山道は全て笹で覆われ、足元が全く見えない。
そんな中を短パン素足で歩くのは我々くらいだろう。
怪我のリスクを覚悟の上で、暑さ対策のスタイルを貫く。
9時5分、尾根の頭。
ここまで登っても、まだまだ先は長い。
そして相も変わらず樹木とブッシュで見晴らしが利かない。
そんなこんなに耐えながら、
9時55分、頂上。
下から見ると晴れ渡っていた一帯も、気温の上昇とともにガスが発生し、頂上に到着した時点で何も見えなくなってしまった。
まあ、そんなもんだろうと納得し、早々に下山を開始。
何も見えない中を、ただ淡々と下る。
11時25分、尾根取り付き点。
ここでHiromiが膝の痛みを訴える。
沢は岩が多いので、下降時の段差が大きく、膝への負荷が増す。
慎重にゆっくりゆっくり下る。
13時30 分、登山口。
約20年ぶりの『神威岳』であったが、何も見えないその行程のつまらなさに、
何故約20年も登らなかったのかがわかったような気がする。
復路の林道は、往路同様ゆっくり運転で20kmを抜け出した。
下山してみると、Hiromiの脚には無数のスリ傷が見える。
「女性として汚い脚は困るだろう?」
と問うと、「これは私の勲章なんです」。
その考え方がHiromiをどんどん前に突き進ませる。
たいしたもんだあ・・・
2009.9.20 『札内岳』(1,895m) 《回顧録より》
私は沢登りがあまり好きではない。
体や足を濡らして登ることを、性格的に好まないのだ。
体や足は乾いた状態で頂上に立ちたい。
これはあくまでも私の性格なので、致し方ない。
従って、無積雪期は必要に迫られない限り登山道を歩く。
更に、私はブログの中で何度となく触れているが、とにかく広いところが大好きで、
スキー場を登るとルンルン気分になる。
であるから、山々に囲まれた狭い沢型地形を好まないのだ。
この時も必要に迫れて沢を登った。
『札内岳』を目指して登るには、通常2本のルートが考えられる。
一つはトッタベツ川に沿った林道からエサオマントッタベツ川に入り、支流のガケの沢を遡行する。
これはこのときより数年前に挑んだのだが、時期が10月中旬の上、
アクシデントでスタート時刻が遅れてしまい、結局時間切れで源頭でリタイアした。
もう一つはピリカぺタヌ沢の遡行。
この時は改めてピリカぺタヌ沢から登ることにした。
6時、トッタベツ川に沿う林道から、ピリカペタヌ林道に入り、4kmほど進んだところが終点で、
広い駐車スペースに車を止めて入渓した。
ピリカペタヌ沢のスタートは広くて明るい沢歩き。
水量も多くはなく、穏やかな渓相だ。
右岸、左岸と渡渉を繰り返しながら進んで行くが、八の沢出合いから先は流木が多く、なかなかんスピードが上がらない。
そして沢筋はだんだん狭くなり、小滝が連続して現れる。
いずれも容易で、殆どが沢の直登。
結構な高度感を感じた頃、突然目の前に高さ30mほどの大滝が現れた。
水量は少ないのだが、幅が広く大変美しい。
大滝は右岸に明瞭な巻道があり、難なくクリアできる。
この大滝を過ぎると、沢筋は益々狭く小さくなり、
9時40分、やがて源頭に吸い込まれる。
ここからは花の時期には花々が咲き誇るであろうと思われるお花畑の中の踏み跡をたどって登るが、急登の連続だ。
しかし長くは続かず、突然頂上に飛び出す。
いかにも日高の山らしい、劇的な終末だ。
10時10分、『札内岳』頂上着。
日頃の行いというものは、私のように常に清く正しくしておくもので、
このときそれまで覆っていた辺りのガスが急に晴れだした!
そして西隣りに『エサオマントッタベツ岳』の美しい姿が目に飛び込んできた。
うっとりする美しさ。
北に目をやると『幌尻岳』もガスの中から姿を現した。
ただ南はガスがなかなか晴れず、『ナメワッカ岳』が見えただけ。
それでも晴れてくれてよかったぁ~っ!
いつものように「マルちゃんダブルラーメン」を食べて、豊かな気持ちで下山。
紅葉が始まった沢を淡々と下って、
14時25分、駐車地着。
いい山だが、尾根筋に登山道をつけたいもんだねえ。
いや、そうすると登山人口が増すので、やはりこのままでいいのかな・・・
2009.8.29 『エサオマントッタベツ岳』(1,920m) 《回顧録より》
古い話しで恐縮である。
この日は数日間の夏休みの一日。
人がいないことを願って出かけたが、ウィークデーのこの日は人影なしだった。
この数年前にエサオマントッタベツ川からガケの沢に入り、『札内岳』を目指したことがあった。
その時はエサオマントッタベツ川にガケの沢が流れ込むそばまで車が入れ、駐車地からそのまま入渓できた。
しかしこの時はトッタベツ林道にゲートができており、そこが駐車地となっていた。
そしてゲートから入渓地点までが歩いてみるとけっこうかかる。
6時20分、林道ゲート前の駐車地をスタート。
かつては車で入ることができた作業道は、その面影をとどめるだけで、もう車での走行は不可能だった。
6時50分、入渓地点。
入渓してすぐ左からガケの沢が流れ込む。
エサオマントッタベツ川は水量が豊富で、水が落ち込むところに目をやると、無数のイワナが目に映る。
イワナの数はこの沢の自然味、豊かさを象徴している。
そんな光景を楽しみながらほぼ左岸に沿って登っていく。
時折樹林の中に巻き道が見て取れ、それを利用するが、下山では気付かず通過してしまう部分が多々ある。
駐車地をスタートして3時間程で、有名な滑の連続帯に達する。
沢靴フェルトのフリクションを効かせて登って行くが、傾斜とスリップとを頭の中で計算すると、「危ないかな?」と思われるところもあり、木の枝を使う場面も。
9時50分、原頭に至り、北東カールの美しさが目の前に広がった。
そして正面の急斜面に黒い点が一つ。
「ヒグマだな」と思って目を凝らしていると、動き出した。
子連れのヒグマで、子熊が母熊のあとを必死に追いかけて、急斜面をトラバースして逃げていった。
カールボーデンの中をより頂上に近いルンゼを目指して登るべく進むのだが、ここの草がよく滑り、おまけにブヨブヨしていてなかなか進まない。
そこで持参した登山靴に履き替えた。
日帰りで踏破するためには時間をかけていられないので、そういう準備はして挑む。
登山靴に履き替えるとスピードアップし、稜線へ。
稜線に上がると、『エサオマントッタベツ岳』の頂上が目の前だ。
10時55分、『エサオマントッタベツ岳』頂上。
ただ、この頃になるとガスが辺を覆い、『札内岳』、『ナメワッカ岳』その他の山々が見え隠れを繰り返した。
そんな頂上を後にして下山開始。
登りで少々苦戦したカールボーデンは、下りだと何の抵抗もない。
滑に入るところで三脚を立て、記念撮影をしたところ、ちょつと目を離したすきに三脚が倒れ、
カメラはドボン! ガシャッ!」
以後の写真は撮れなくなった。
15時20分、駐車地着。
ちょっきり9時間の楽しい行程であった。
2009.8.26 『1839m峰』(1,842m) 《回顧録より》
ブログを始めて1年、おかげさまで随分のぞいてくださる方が増えた。
そんな中、「Amigoとはいったいどんな山登りをしているのか?」と検索してこられる方もおいでのようなので、過去の記録も少しアップしてみようと思う。
日高山脈において、岳人あこがれの『1839m峰』に登ったのは、私が55歳の時であった。
日帰りで往復。
私は山中泊がきらいなので、自然とスピードが増し、この山も日帰りで踏破した。
但し、この強行軍を突然実施したわけではなく、数年前にまずは『コイカクシュサツナイ岳』に登って『1839m峰』の姿をを目に焼き付け、その数年後、今度は『ヤオロマップ岳』まで歩を進めてみた。
そして、「これはやれる!」と確信し、この日の日帰り山行となったわけだ。
3時50分、コイカクシュサツナイ川出合いをスタート。
8月も下旬となるとまだ真っ暗な中のスタートだが、川原を歩いていると、間もなく夜が明けた。
単調な沢を歩き、
5時10分、上二股。
ここから夏尾根の登山道をグイグイ登り、『コイカクシュサツナイ岳』の北側ピークに立つのだが、この登りは急登の連続で、下降も大変なところだ。
そしてそのピークに上がったところでテントが二張り。
山中泊を経て『1839m峰』に登ろうとする人は、ここを起点に往復し、通常山中二泊で登るらしい。
7時20分、『コイカクシュサツナイ岳』着。
日帰りでこの山を往復しようとするなら、ここからが勝負だ。
日高山脈の中においてはハイマツが薄い。
しかしハイマツはやはりハイマツで、身体にしつこくまとわりついてくる。
特に下半身が辛い。
ただ、『コイカクシュサツナイ岳』から南の『ヤオロマップ岳』に向かう間はそれほどその辛さを感じない。
ところが帰路でハイマツの枝の向きが逆になる。
北風に吹きつけられた枝が南に倒れ込んでいるため、帰路で北に向かってそれが剣や針のように突き刺さってくる。
『ヤオロマップ岳』まで偵察行をしたときに下半身、特に膝から下が傷だらけになったので、しっかり学んだ。
それでひどくみっともないが、写真の通りの出で立ちとした。
自宅でテレビを見ながら、新聞に織り込まれたチラシを一枚一枚細くよって棒状にし、それをたくさん作ってザックに詰め、『コイカクシュサツナイ岳』頂上でガムテープに隙間なく並べ、膝から下に貼り付けた。
そしてガムテープをぐるぐる巻く。
膝にはバレーボール用の膝当て。
みなさんに笑われるだろうが、これでハイマツ帯を速く歩けたわけだ。
企画としては正解で、全くハイマツの痛みを感じることはなかった。
9時10分、『ヤオロマップ岳』着。
ここからがまたハイマツ帯をうだうだと時間がかかる。
天気がパッとせず、ガスが多い。
ほとんど景色を望めないまま、
11時00分、『1839m峰』着。
やはりガスが辺を覆い、景色が見え隠れする。
そんな天候も手伝い、頂上にはわずかな時間滞在して帰途に着いた。
12時50分、『ヤオロマップ岳』。
そこでようやく昼食タイムとし、いつもの「マルちゃんダブルラーメン」を食べた。
それから『コイカクシュサツナイ岳』まで、一番きついハイマツの逆目も、手製ゲートルで乗り切り、
14時45分、『コイカクシュサツナイ岳』。
夏尾根の急下降を経て、
16時20分、上二股。
17時40分、コイカクシュサツナイ川出合い。
総行程13時間50分。
自分の中では二番目にきつい山行であった。
2016.3.10 『上滝山』(1,331m)
10日朝、日勝峠で目覚めると快晴。
気温がひどく低いので、ゆっくり寝て、6時半起床。
7時20分、スキーで奥沙流林道をスタート。
この山は初めてなので、地形図を頭に入れてある。
林道を 20分歩いて、『上滝山』頂上に突き上げる尾根の末端に取り付いた。
ところがこの尾根は斜度がきつい。
そして100mも登った頃、突然シールが剥がれた。
私の使い古したショボいシールは、もう粘着性も弱まり、低温に耐えられないのだ。
万事休す。
下山。
駐車地に戻り、スノーシューを装着して、
自分だけのスキートレースを踏みしめて歩く林道は、これまた何とも奇妙な感覚だ。
9時30分、尾根取り付き。
ここからは急登の連続だ。
雪面は先日の雨で腐ったあと、一気に冷えて固まったようで歩きやすい。
ただ淡々と歩を進め、11時ちょうど、稜線上へ。
ここで一旦東の『1,350mP』を目指した。
その縁に立ち、『沙流岳』との距離を確認したかった。
『沙流岳』には日勝峠頂上付近から何度も登っているが、こちら側からは登ったことがない。
11時30分、『1,350mP』。
この稜線は樹木が濃く、なかなか見たい風景が見られない。
すぐに引き返して、
12時10分、『上滝山』頂上着。
メルヘンチックな頂上がいい。
しかし、この頃になると、雲が上空を覆い、雪も降りだした。
12時25分、下山開始。
スノーシューでの下降は速い。
13時20分、駐車地着。
なかなか面白い山ではあったが、樹林帯の登行が長く、見通しがきかない。
下山後夕張に移動して入浴。
2014.10.12 『ピパイロ岳』(1,917m)~『1967m峰』 《回顧録より》
この週末も山に出かけられるのは今日だけだったが、今朝浦臼町で目覚めると、外はごっそりと雪が積もっていた。
それを計ってみると、ちょうど30cmだった。
そうなると、スノーシューは使えずスキーになるが、Hiromiはスキーが苦手で、樹木が混んだところは滑らせられない。
今仕事上で大きな行事を抱えており、絶対に休むことができないのだ。
そんなことを考えているととてもおっくうになり、とうとう完全休養することになってしまった。
まあ、そんな日もあるさぁ・・・
それで今週は私の回顧録の中から、過去に実施した山行の一つを紹介することにする。
Hiromiにとって記念すべき一座である。
尚、文章は当時『ミニ山の会』メンバーに送っていた「山行報告」をそのまま使うことにした。
この三連休は私もHiromiも土曜の午前中が仕事だったので、その午後出かけて移動日とした。
当初は別の山域に出かける予定でいた。
ところが土壇場になって、天候を見越した私の長い経験から引き出された勘が北日高へと誘った。
そして日の短い土曜の夕方、もう暗くなってから上美生の『伏美岳』登山口に入った。
日曜の早朝4時45分スタートで『伏美岳』(1,791m)~『ピパイロ岳』(1,917m)~『1967m峰』を縦走した。
ひじょうに激しく深いアップダウンと、長い歩行距離を歩き通して登山口に戻ったが16時35分。
全行程11時間50分に及ぶ長い山旅であった。
Hiromiは大量の発汗があることから、山中での着替えを2回分用意し、飲料水は3リットルを背負った。
『伏美岳』を越えたところで最初の着替えをし、
ぐっしょりと汗を吸って重い衣類と飲料水1リットルはハイマツの根元にデポして先に進んだ。
『伏美岳』~『ピパイロ岳』間の最低標高まで下ったあとは、『ピパイロ岳』頂上に向かって長い急登の連続だ。
このあたりから解け切らぬ積雪が、ツルツルの登山道を更に危ういものにし、なかなか前に進めない。
おまけに笹やハイマツの上に積もった雪が登山道を覆い、下半身をベチャベチャにしてくれる。
四苦八苦しながらも4時間半で『ピパイロ岳』頂上に立った。
登山道の条件が良ければ、もう15分ほどは縮まっただろう。
『ピパイロ岳』頂上に立ったが、普通の健脚者ならここで来し方に広がる『伏美岳』への復路を見て、容易に想像がつく帰路の辛さを噛み締めて引き返すところだが、私の登山は違う。
HIromiの体調を十分確認した上で、更に先へと歩を進める。
『ピパイロ岳』がもつ長い頂稜の北西側のピークである『1911mP』を経て、更にその先の『1967m峰』まで行ってくるのだ。
苦労してようやく登りきった『ピパイロ岳』頂上から見るその距離はあまりにも長い。
しかし、天候はあくまでも「先に進め」と言うがごとく素晴らしく、Hiromiに『1967m峰』に立たせてこその勲章だ。
それでも『1911mP』に立ち、『1967m峰』を眼前にして再度体調を確認。
大丈夫、はっきり言って私より元気だ。
GO!
『1911P』からはハイマツが少し濃くなる。
そのハイマツにまたもこびりついた雪が邪魔をし、なかなか速くは歩けない。
このハイマツ漕ぎで私下半身のあちこちに傷を負った。
それは裕美も同じで、下山後の入浴で複数のあざに気付いたそうだ。
『1967m峰』も最後は長い急登で、きついきつい。
そして登山口をスタートして6時間10分後、岳人あこがれの『1967m峰』の頂上に立った。
この『1967m峰』だが、日高山脈第三の高峰でありながら、経験豊富な登山愛好家以外あまり人に知られていない。
それは日帰り登山の対象となっていないため、ガイドブックで紹介されることがないからにほかならない。
しかし素晴らしい山で、特に『ルベシベ山』や『チロロ岳』から見る姿が鋭角でカッコいい。
『1967m峰』で軽食を口にしたあと、速やかに復路の行程に入った。
復路も往路の深くきついアップダウンを、同じだけ繰り返していかなければならないため、6時間をみなければならない。
素晴らしい大パノラマを目にしながら淡々と歩を進めるが、往路で疲れきった下半身は一歩一歩が重ダルく辛い。
スピードはがた落ちだ。
特に最後の登りである『伏美岳』への登り返しがきつくてきつくて、辛くて辛くて・・・
私はHiromiと知り合ってから、常にスピード登山を心がけるように指導してきた。
それは今回のような行程を想定してのことだった。

日帰り装備でどこまで行ってこられるか?
人が山中一泊ないし二泊でなければ行ってこられない山に日帰りで登ってくる。
これが私のやってきたことであり、裕美にもそれを会得させたかった。
これで裕美は5月の増毛山地『奥徳富岳』~『群別岳』~『幌天狗』に続き、“女性健脚者”としての称号をモノにしたことになる。
人間目標を定めて努力すれば、必ず報われるということを証明してくれたようなもの。
裕美、よく頑張った!
2015.11.22 『十勝幌尻岳』(1,846m)
三連休中日の日曜は、芽室町の八千代牧場近くで目覚めた。
夜明けが遅くなり、気温もマイナスとなると朝起きるのが辛い。
車中泊をしながら登り歩くときは、一日のスパンで時間配分をするので、特に時間を要する行程でない限り、バカみたいに早く起きたりはしない。
夜ゆっくり飲んでいたいしねえ~
戸蔦別林道は水溜りが全て凍っていた。
そしてオピリネップ林道に入るも、積雪は予想と期待通りサラッとだけ。
7時15分、登山口をスタート。
我々が登山口に着くと数分で男性の若者が一人でやってきた。
そして登りはこの若者と抜きつ抜かれつして高度を上げていった。
標高が1,500m位に達すると、積雪が膝近くまでになり、スピードがガタ落ちとなる。
そんな中をその若者とラッセル交代ができたわけで、助けられたものだ。
スノーシューは車に置いてスタートした。
この山では季節柄、笹とハイマツが障害となってスノーシューは使えないと判断した。
私は大小4セットのスノーシューを所有し、状況に応じて使い分けているが、その中の小型をザックにくくりつけても結構な重さを感ずる。だから、その辺も勘を働かせて行動する。
この日はスノーシューを背負わなくて正解。
ツボ足で十分であった。
長い(積雪に足を取られるので余計長く感ずる)尾根の急登を終えて、ようやく頂上から北に伸びる稜線に出た。
そこで感覚的に強風を感じ、更なる過酷な状況に接する準備として、冬用アウターを重ね着し、手袋も得意の軍手から冬用のものに替えた。
それを見ているHiromiも当然そんな準備を始めると思っていた。
ところが何もしようとしない。
「お前アウター着ないのか?」、「いやあ、このままでいい~」
しかしそのままでいいわけがない。
放っておくと、春秋用のアウターのまま登りだした。
すぐに冷たい強風にさらされ、状況は過酷になる。
それでも「もうどうにでもなれ」といった様子で歩を進める。
強風に打ち消されるため、何も声をかけられない。
頂上までのわずかな距離ではあったが、これもまたひじょうに長く感ずる。
10時50分、頂上着。
と、同時に「もういい!」、と言い残してHiromiがとっとと下山を開始した。
頂上での滞在時間わずか5秒!
Hiromiにとって初登の山なのに、記念撮影すらできない。
風が強いとは言え、この時期には珍しい晴天。
実に惜しい。
下山途中の沢沿いで昼食にし、
13時ちょうど、登山口着。
新嵐山荘で汗を流し、日勝峠で車中泊をした。
そこでこの日の反省だ。
「何故稜線に出たときアウターを着用しなかった?」
「だってあの時は寒くなかったもの・・・」
寒くなってからでは遅い、ということは口が酸っぱくなるほど言ってきた。
また、私が先を読んで寒さ対策をしているのを目の前にして、何故同じことができない?
このようなことは過去にもあった。
どうして学習できない!?
したくもない説教をせざるを得なかった。
甘い! 危険、死と隣り合わせのスポーツだという自覚が足りない。
更に、この三連休で準備した装備を確認すると、まだ秋の準備のみ。
従って、その時点で翌日予定していた『ペケレベツ岳』(1,532m)を中止した。
2015.10.12 『ピセナイ山』(1,028m)
月曜の朝、『楽古岳』の登山口そばで目覚めた。
前日からの雨は夜中も降ったり止んだりを繰り返していた。
そこで朝起きて『楽古岳』にガスがかかっているようなら、高度を下げて『ピセナイ山』に登って帰ることに決めていた。
そして、起きて山に目をやると、半分から上が真っ黒いガスの中。
多少後ろ髪を引かれる思いはあったものの、『ピセナイ山』に変更すべく、静内に向かった。
『ピセナイ山』への変更は、半分紅葉目的である。
林道を奥に向かうほど、紅葉が鮮やかだった。
Hiromiにとっては『ピセナイ山』も初登である。
私は約20年前に一度だけ登っており、そのときの記憶を頼りに車を走らせるも、周辺の状況がまるで変わったように見え、人の記憶のはかなさを痛感した。
8時50分、登山口をスタート。
と、いきなりの急登だ。
これはホントの急登であり、ナジャ(http://amanoshihou.blog.fc2.com/)は大変だったろう。
しかし、私は高度をどんどん稼げる急登が好きだ。
また、頂上までの距離が短いこの山は、合目表示が次々に現われ、程なく視界がきく6合目に飛び出した。
それからは視界を遮るもののない尾根を頂上に向かって一直線に進む。
9時50分、頂上着。
広い頂上のことだけは記憶通りだったことに、少々安堵した。
距離が短くて傾斜がきつい分、下山も速い。
風の強い頂上を避け、6合目まで下って昼食とし、一気に下山した。
全体に美しく、登りやすい素晴らしい山であった。
途中温泉にゆっくり浸かって帰ろうと、車を走らせて間もなく、とんでもない事態に!
異音がするので車を止め、外に出てみると、なんと、後ろのタイヤがパンクしているではないか!
しかも側面が10cmも切れている。
実はこの林道に入ったときから嫌な予感がしており、それはHiromiにも話していた。
林道にまかれた砕石がやけに鋭角で、それを踏むことにによるパンクを心配していたのだ。
急いでスペアタイヤに履き替え帰途に着いたが、タイヤが一本使用不可となったことから、帰宅して4本のタイヤ交換をしなければならない憂鬱。
暗くなる前に全てを完了するため、途中の入浴をカット。
16時過ぎに帰宅して、やらねばならないことを済ませると、とっぷりと日が暮れていた。
疲れたぁ・・・
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