昨日、ある人が
『ある人物』に対して怒っているという話を聴いて、なぜか笑みが止まらず
『ある人物』に対して怒っているという話を聴いて、なぜか笑みが止まらず
一日中笑顔でいました。
ある人というよりは ある集団ですが、
言葉を発した人は、その人、なので
その集団を代表した一人・・おそらくそこの人は全員
『ある人物』
に
怒っていることでしょう。
そして、この日本全体の中で
かなりの人が、
『人物』に対して
毒づいていることは確かなようです。
その人は、権力をもっていて、人の人生を左右する力があります。
その権力を、人々のために使えば良いのですが、
どうも、自分のために使っているようです。
でも、その人が持っている権力は、人々が与えたものです。
その人は、人々からお金をもらって、人々から信託を受けて、
権力者になりました。
でも、
人々から与えられているのにもかかわらず
人々にはお返しをせず、自分の気に入った人にお返しをして
人々には仕返しのような仕打ちをするのがあたりまえだと思っているようです。
だから、多くの人は黙っていますが、怒りをため込んでいたのだろうと思います。でも、その自分の気持ちを無視して、権力者の言うことにしたがってきました。
それが、一気に怒りへ爆発したようです。
きっかけはいくつもありますが、今回のことは、とても
わかりやすかったみたいです。
その権力者が、頭がいいのでどんな言い訳だとか、
その言い訳でもって、さらに強い権力を執行するのか、
みものですが、
みなさん、自分の「感情」に気づいたようです。
自分が誰が嫌いで、いやなことはなにか、
ということに
やっと気づいたみたいです。
そして、自分の感情を表現することを
素直に実行した人が増えてきたということです。
これはめでたいことです。
いままで、いろんな言説で、説き伏せられ、我慢させられ、
それに従うことが正義だと思い込まされてきました。
でも、権力者の人も、同じ人間なのです。
同じ人間だから、間違いもあります。
そして、好き嫌いは、どうしてもあります。
権力者だろうと、なんだろうと、
いやなものを押し付けてくる人は、嫌いになるのが当たり前です。
同じように、どんなに学識があって、頭がいい人が言ってくることでも
それが、好ましいことか、そうでないかを 人々はこころで判断することを
忘れてはいけないと 私は思います。
すきか きらいか いやか そうでないか
健全な怒りが、ふつふつと
その感情が蘇ったことを、
私は、祝わずにはおれない。
みなさんの感情エネルギーは、いだいです。
もっと解放してもらいたいものです。
ちなみに
私も爆発させました。
震えるほどに、嫌いだし、卑劣だと思う気持ちを吐露しました。
彼らは、誰のために働いているんでしょうか
そして、誰に、私たちを売り飛ばそうとしているのでしょうか。
なんの権利があって?