私の身内に、
人助けをずっとしてきたんだけど
それに「後悔している」と
ずっと私に言い続けた人がいます。
知っていて見ている範囲でいうと
かなりいろんな人に
親身に関わってきました。
それで、騙されたり、
巻き込まれたり、
それこそ「恩を仇で返す」という目にあっていて
私としては
どうしてそこまで関わるんだろう
と
思ってしまわざるを得ないというか。
そういうことがけっこうありました。
人って、人に助けられると
その助けてくれた人を
「目の上のタンコブ」みたいに
鬱陶しく感じる場合もあるのですって。
よくわからないのですが・・
よく
「人助けなんかするもんじゃなかった」と
ずっと言っていました。
今思うのは、
誰かの学ぶべき課題を
肩代わりしてはならない
と言うことに尽きる
その人は、その出来事を通して、
学びたい
学ぶことを選択する
という
その人の「役割」があるので
その道をあるけば
かならず棒に当たると
外から見えたとしても
どうにも
止められないこともままあるのですよ
だから、
なにか起きたとき
あるいは
なにかが起きるかもしれないと
予測された時
それでも、説得できない、危険を回避する術を伝えたとて
行動を変容させるほどではなかったとしても
自分を責める必要はないのだと思うのです。
人は、魂として生き続けるのだし、
亡くなったとしても、その人の魂は永遠で
その生の体験がたとえば
とても惜しいという強烈な感情を伴うことも
全ては、学びなんですよね。
だから
善悪で判断するのではなく、
あるていど俯瞰して
遠くから、大きな目で
それこそ、守護霊になったくらいの高さから
寄り添いながら見守る みたいな
姿勢で
あたたかな目で
家族を見つめるということが
できるのであれば
それでもいいのではなかろうかと
思います。
一人一人であり、
しかも
全部つながっている。。。
悲しみも
愛しみも
哀しみも、
全部感動であり、学びであり。
どれだけ、大事な家族であっても。
その魂の学びは、その人独自の目的であり、使命なのでしょうから。