物質的な困窮は、いずれ
私たちだけではなく
動物園の動物へ与える飼料にも及ぶかもしれないと
その時思った
自分たちが殺されようとしていることに
気づいているのか、それとも
気づいているけれど、抵抗するのが無駄だと思っているのか
多くのひとたちが、どんな風に考えているのかはさっぱりわからない。
ただ、外出すると、口を覆う布を装着した人々と出会う
それが現実だ
夢であって欲しいと思ったが、
これが現実なのだと思った。
そして、
かの国の選挙が始まり、その経過をみるにつけ
もうすでにパソコンだとか、インターネットを牛耳る企業も
私たちの味方では無いことを知った
言葉を統制し、「人々が思うこと」を禁止しはじめた。
私たちは、人として生きる時代を、いや「人として生きてきたと思い込んでいた時代」を過ぎて「家畜への道」
を着々と歩んでいる。
思うことを制限され、
繁殖を制限され
番号をつけ
追跡される。
思うことをやめないと罰せられ
すべての人々が従うルールを逸脱すると
社会的に抹殺され
金のために、命を奪われる。
私たちが日本人として、生きてこられたと思ってきた
この月日が、もう「日本人として生きることが許されないと自覚する時代」
に迫るまで、どのくらい 猶予があるだろうか。
今の政府は、日本を売り飛ばしてしまった政府だ
覚悟がなければ このことを話すことさえできない。
なぜなら もうこうした書き込みでさえ データとして蓄積されていくからだ。
だれひとりとりのこさないという号令のもと始まっている
国も、それに従う人々も、その手先となって
躊躇せずに働いている。
日本をなくすことをなにも躊躇しないのだろうか。
その心の底がどうなっているのか、私にはわからない。
自分以外の「日本人」を、かれらは「殺すことを選んだ」
彼らは、自分以外の「日本人」を、どこかの国へ従属させ、
いずれ奴隷とする道に加担することを選んだ。
自分たちは、優れた「諦めることができる頭脳をもった」人間なので
諦めることをしらない「愚かな人間を」支配し、殺す権利があるのだと
彼らは、思っているのだろうか。
いずれにせよ
私たちが、自分の自由意志で生きられるのは あとどのくらいだろう
私が最初に思っていたタイムラインよりも
ずいぶん遅れてはいるが、
着実に、予測していたルートを辿っている。
このまま選挙で 今の政府の政策をおしすすめている人たちの行為を
肯定してしまうと、
その次は
強い 法整備が始まって、
たちまち
私たちの生活は制限されてしまうだろう。
そうなっても、多くの人が
「仕方ない」と受け入れるのだろうか?
試験的な注射を
「仕方ない」と受け入れたように。
身の回りで、なぜか続く 突然死と
根拠のない制限と 制限解除
だれもが「ならされて」いる
支配に「ならされて」いる
これを止めることができるのは、一人一人の意志だ
これを止めることができるのは、誰にも任せずに主体的に
自分の未来を選び取ると誓う覚悟だ
政府のやっていること、やろうとしていることに
あきらかにそむくことになる言論を
自分に許すということは、
すでにデータを取られているわたしたちにとっては
命がけなのだ
これに誰かを巻き込むわけにはいかない。
これは、一人一人が、自分の意志でもって主体的に
それを選ぶことがなにを引き起こす可能性があるか、
わかった上での覚悟を必要とする。
だれかに支配されることを許すことは
誰かが支配されることを許すこと
誰かに支配され、人が殺される道を選ぶことは
誰かを、誰かが支配し 殺すことを許すこと
生き方が問われている。
いま、どう生きたいのか。
それだけを生きる。
いま、自由を生きる。
どれだけ、それができるかわからないからこそ。