お金にならないからよせ
そんな言葉で、
なにかを断念したことはなかったですか。
誰かに労働なりを提供して、その引き換えに
お金をいただけるような時間の使い方をしなさいというコト
効率の良い暮らし。
お金をいただくだけではなく
より
お金をいただけるような、高度な仕事を身に付け
より、人より上を目指す
時間の使い方。
それでなければ、意味なし
という
宗教のようなモノ
のせいで
やりたいことをすることに
常に
罪悪感があり
お金にならない作業に
常に
罪悪感があり
お金のために
上を目指すために(お金のため)
人より秀でるために(お金のため)
お金にならない時間の使い方はしてはならない
という
価値観。
そこまでひどくはないよ
と
いう人でも
なにかを諦めるときに
お金がそれほどないから仕方ないと
諦めることは多々あるのではないでしょうか。
お金がなくてもやってみるとか
お金にはならないけどやってみるとか
お金になるかどうかわからないけど、
やってみたい
とか
そういう「想い」は、どこかに追いやって
確実に
「お金になるか」「お金のもとになるか」
の選択を
第一に
し な け れ ば な ら な い
のに
どうして
すきなことがしたいというきもちになっちゃうんだろう。。。
心の奥底に
そんな欲求を抑え込んで、
自分が何を欲しているのか
なにをしたいのか
忘れて
仕舞い込んで、どこにやったのだかわからない
それを抑え込める方が大人で
立派なんだと
教え込まれて
世間に適応して生きている自分は
スゴイ存在なのだと。
えらいんだと。
そんな価値観にがんじがらめにされて
だから
そのタメニハウソヲツクノモシカタナイ
と
そのためにはウソハホウベンダト
自分に嘘をつき続けているから、
どこまでが嘘かどこまでが本心かもわからず
自分も人も傷つけ続けて
そんな価値観に、がんじがらめにされているから
こんなことになるんじゃないですか?