今年、ウィルスのことがわかった時に
あまりに日本政府の対応がおかしかったので
これはやられたなと直感した私は
このまま、北海道と沖縄方面から一気にしかけられると思っていた
果たして 今も国の体は保っているように見えているけれど
その無残な状態に言葉を失う
なぜ、戦争で命をなくしたのか、
あの苦しい時代を乗り越えて頑張ってきたのか、
意味がわからない
こうして、計画的に国を破壊されてきたという事実に気づくにつけ
なにも出来ない無力感に苛まれてきた。
唯一できることは祈ることである。
しかし、祈ることが、実はとても大きな力をもつのだという。
祈りこそ、悪魔がおそれることだと教えてくれる人がいた。
そして、毎日祈っている
恐れからの祈りは、いま 確信の祈りへ変わってきた
いまいただいている幸せへの感謝
いま幸せだという確信
見守って頂いている、与えて頂いていることへの深い感謝
アメリカの大統領選挙にともなう平和的なデモの集会が
先日ワシントンD.Cでおこなわれ
その映像をみた。
福音派と言われるキリスト教徒がアメリカ人の主な宗教だという。
その歌声を聴いて、
もしかしたら祈りというのは 本当にすごい力をもつのかもしれない。
この自発的な人の波、湧き上がるような心の力は
恐れで突き動かされて暴力をふるう力とは別次元のものだ。
祈りの力は、とてつもないパワーを呼ぶ
人と人との信頼の力。
それがどれだけ力をもつのか見せつけられた。
この祈りの力は
マスメディアの冷たい論調をよそに
各国 世界規模 地球規模で湧き上がっている。
それを否定することは出来ない。
否定するものたちに宿るのは
見えるものを見えぬと言い
自分さえ欺こうとしている弱々しい恐れの心。