OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

「わしは、こんなとこ、来とうはなかった!」(うそうそ)

2019-12-17 | 江戸時代以外の歴史関係
てなことで、越後ツアーネタ第二弾ですぞ 


『北越雪譜』装備の温泉宿を出たゴマたちは、トレンタ君でお出かけ~

目指すのは、「雲洞庵の土踏んだか」のキャッチコピーでおなじみの(?)あの『雲洞庵』どす(南魚沼市)



ここは、奈良時代、藤原房前(あの有名な鎌足たんの孫)の生母が出家して庵を結んだ場所で、裏の金城山から湧き出る霊水で多くの病人を助けたんだとか。


(霊水って、これ?)

で、その尼さんが亡くなったあと、息子の房前がこの場所に母の菩提を弔うために京から持ってきた薬師如来像を安置するハコモノを造ったのがお寺の起源だそうです。

つまり、1300年くらいの歴史があるちゅーことですな 

それからしばらくは藤原家の尼僧院として(律宗)、女性救済の役割を担ったみたいなのですが、室町時代中期頃(15世紀)関東管領・上杉憲実(1410~1466、山内上杉家8代当主)がこの庵を譲り受け(?)、曹洞宗の禅道場となしたのが現在につながっているそうな。





(赤門:めっちゃ古いでー

そういう関係で、この寺で上杉謙信の養子・喜平次(のちの上杉景勝)と、おつきの与六(のちの直江兼続)がお勉強したそうなんですよ。

ええ、アレですよ、アレ。

「わしは、こんなとこ、来とうはなかった!」 の 「こんなとこ」 がまさにここっちゅーことですわい 

てなことで、本日の一曲はこちら


そんな由緒正しい古刹なので、ここは越後国筆頭の格式あるお寺だそうです 


行ったのがちょうど晩秋で、紅葉がきれいでした~ 
(ええトコやった~









(石仏の苔むしぐあいもホントイイ感じですぅ



……それはそうと、気になるのは、ここの開山堂というところに、徳川家康の位牌なるものが安置されていることなんです 


しかも、ひとつの位牌に家康~家治までの院号が列記されてるんですよ

(さらに家康のは、院号の「安国院」ではなく、「東照大権現」になってるし)


なんで、越後に徳川の位牌が

なんで、家治(浚明院)までなの


だれか、教えて~~~

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北越雪譜って、こんなにおもしろかったんかーい!

2019-12-16 | 日記
おひさ~

怠惰の代名詞・ゴマちゃんですぞ~

前回更新からけっこう経ちましたが()、テニス肘はいっこうによくなっていません


てなことで、先月、越後湯沢に湯治に行ってきました。

(越後湯沢的な曲はコチラ。小学生の時、はじめてスキーをしたのが越後湯沢だったんだもん


でビューっと行って、駅のお蕎麦屋さんで名物の『へぎそば』なるものを食し(じつにウマイ)、同じく駅内の『ぽんしゅ館』で日本酒の試飲をやったあと(これがまた楽しい)、麹ソフトを堪能し(超美味……って、飲み食いばっかしとるやん)、本日のお宿へGO。

さっそくにドボンとつかれば、ジワジワくるぅ~~~


おお ちょっと痛みが取れましたぞーーーっ


その後、館内をウロウロしていたら、休憩室にどこかで聞いたことのあるタイトルの本を発見。

それが、こちら



江戸検定関係の某所で一時期話題になっていたような、いなかったようなアレですぞ


「ま、ヒマだし、ちょっと見てみっか~」で、中をパラパラ。


するってーと、これがなかなかにおもしろい

とくに、今回手にした本は完全現代語訳版で、すんごく読みやす~い

平安あたりのものにくらべれば、たしかに江戸時代の文章はそこそこ読めるけど、そこはグータラがトレードマークのゴマちゃん。

まったくめんどうくさくなく読めるなんて、サイコーっすよ

(でも、お値段を見たら、けっこう高かった。買えにゃい


中でも、クマに関したお話は秀逸でした。


北越雪譜にいわく、なんでも、クマには『義』がある ので、ほかの獣の肉は食べないそうな(ウソやー

クマは、おもに植物性のものを食べるが、山蟻も食べる。
アリを食べるときは、手のひらに押しつぶして、その体液(蜜もどき)をペロペロなめる。

冬眠中におなかがすいて目が覚めると、手にくっつけておいたアリ(の蜜)をペロペロなめて飢えをしのぐ。

あるとき、越後の農民が山に入り、深い穴に落ちて出られなくなった。

その穴はクマの冬眠中のお住まいで、

「うわ、ヤッベ! 殺されるぅ」と焦ったものの、クマたんは自分の体で暖を取らせてくれたり、ときどき熊手のアリ蜜をなめさせてくれたりして、そんなこんなでしばらく過ごしたあと、親切なクマの助けで、ひさしぶりに下界に出てみると、45日も経っていた。
その日は奇遇にも、彼の45日法要を営んでいる真っ最中だった――的な話がすんごくツボでした。


にしても……クマには『義』がある
(薩長のやつらに聞かせてやりたいぜ 

そんな風に考えられていたせいなのか、北越の人はクマを殺さないんだそうです。
なぜなら、クマを殺すと、山が荒れると信じられているからだとか。

でも、お隣の出羽から(庄内藩かっ)熊の胆を取るために、猟師(マタギ?)がパーティを組んで越後の山に入り込んで獲っていくらしい……

北越のクマはほかの獣の肉等を食べないから『胆』がキレイで、良質の熊の胆が取れるので、猟師には人気なんだってさ


他の記事では、雪の結晶の絵や



雪道をスイスイ歩く謎のオジサンの絵



なんかも見どころですぞ~

(個人的には、雪崩に巻き込まれてしまった農夫の話もおもしろかったっす。話はかなりグロいのに、挿絵がのんびりした農家の庭先の一コマ風なのがなんともいえず……)


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