OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

トマトのピクルス

2017-07-21 | 江戸時代



《ゴマが育てている桃太郎トマト(ミニトマトのアイコも作ってるよ~) 

連日の猛暑の中、ゴマは去年に引きつづき、今年も市民農園を借りて野菜作りにはげんでいます。

とはいえ、メキメキ向上するはずの体力はあまり変わらず、一動作ごとに立ちくらむ現象が頻発しているのです(……なぜだ 

そんなこんななので、今が旬のトマトを収穫するときも、フラ~っとして青い実つきの隣の枝までバッサリいってしまうという失態つづき 

泣く泣く捨てようとした青いトマトでしたが、古参のアドバイス厨オヤジ 頼れる先輩に、

「青いのは、ピクルスにするといいよ 」とのお得情報を得、さっそく作ってみました。

……なんていうと、「やだ、ゴマちゃんたら、ピクルスをサクサク作れるなんて、料理上手なのね~」という称賛の声が上がりそうですが、さにあらず……

今はスーパーで『ピクルスの素』が売ってるんだぞー 

トマトをテキトーに切って、素をぶっこんで2日ほどしたら、ハイ、出来あがり 
ほほほほ~




《軽井沢に行ったとき売っていた青トマトのピクルス。おいしそうだったけど、ビンボーなゴマにはちょいとお高めだったので、後ろ髪ひかれつつあきらめたあこがれの品》


てなことで、今日はわが国におけるトマトの歴史について調べてみたのです 

まずはウィキさんによると、


「トマト(学名:Solanum lycopersicum)
 南アメリカのアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の植物。
 多年生植物。果実は食用として利用。緑黄色野菜の一種。
 日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)、珊瑚樹茄子(さんごじゅなす)などの異称もある

ほかにも『六月柿』という異称があります。



《アイコ(例のすり替えられたあの子のことじゃないよ )》

トマトが栽培されはじめたのは、8世紀初頭、南米のアステカ・インカの人々によってでした。
そして、今現在、世界には8000種類以上もの品種が存在しており、日本では、農林水産省に品種登録されたものだけでも190種類以上あるそうです 


南アメリカで細々と栽培されていたトマトは、16世紀に、あの野蛮&残虐なスペイン人が南アメリカに侵略してきた際、トウガラシやトウモロコシ・ジャガイモなどのタネとともにヨーロッパに持ち帰られ、広まっていきました。

しかし、当初ヨーロッパでは、

「おい、なんかコレ、ベラドンナ(有毒 )に似てっぺ? んじゃあ、これにも毒があるにちげぇーねーずら 」(どこの言葉だよ )と言われ、食用ではなく、観賞用として普及したのです。


ところが、イタリア(のビンボーな人)の中に、

「いんや、きっと食えるはず……海賊王に俺はなる 喰えるように俺はする」と考える人がいて、200年にもおよぶ研究・改良の結果、18世紀には食用となりました。
以後、食用トマトはおもにイタリア、ポルトガル、スペインで栽培されはじめ、やがてフランス・南イタリアでトマトソースが作られたり、イタリアではパスタや肉のトマト煮込みなどの料理が考案されたりして、いろいろなトマト料理が誕生し、トマちゃんはメジャー化していきました。



さて、わが国には17世紀半ばころに伝わってきたようです。

文献に残る最古の記述では、江戸前期の儒学者・貝原益軒の大和本草(1709年)の中に、「唐ガキ」と紹介された一文が見られます。
ちなみに中国では、現在もトマトのことを「西紅柿」と呼んでいたりします。

かの狩野探幽も、1668年に『唐なすび』の絵を描いています





しかし、江戸期に入ってはきたものの、最初はヨーロッパ同様に観賞用植物としてしか見られておらず、食用とされたのは明治以降でした。

これは、文明開化の流れの中で、キャベツ・タマネギ・アスパラガス・にんじんなど、他の西洋野菜といっしょに欧米から『食べられるもの』としてあらためて入ってきてからです。

その後、日本人の味覚に合う品種改良・育成を経て、ようやく昭和に入ってからトマトが日本人の食卓に上るようになったのです。

トマト栽培がはじまった当初は、春に種をまいて夏に収穫するのが一般的でしたが、現在はハウス栽培により年間を通してトマトが食べられるようになったのです。


……とはいえ、毎日20個くらいずつ取れると、さすがにどうしていいか悩むけどね 
ナスもバカみたいに取れるしさ……ぶつぶつ……毎日トマト&ナス……ナス科食材ばっか 

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江川の堅パン(←『八重の桜』なイメージでお読みください)

2017-07-18 | 江戸時代


《江川英龍:江戸時代後期の幕臣。伊豆韮山代官。通称・太郎左衛門。号は坦庵》



《パン祖パン:江川太郎左衛門によって作られたパンを再現したもの。by「蔵屋鳴沢」》



はりゃりゃ~ ここはどこ~ ワタシは誰~
(よしよし、これで半年間サボってたのもごまかせたはずだ 



あー、さてさて、先日、江戸検界先達のTさまから、上記「パン祖のパン」を送っていただきました 
(あっざーす!)


Tさまは歯医者さんなのですが、

「歯医者として、食べるときは紅茶かコーヒーに浸して柔らかくしてから食べることを切にオススメします」

というゾワゾワするメッセージつきで、コレは送られてきたのです  

(ちなみに、Tさまと旦那さま(=こちらも歯医者さんで仲よく歯科医院経営)は、よく休診日ラブラブドライブに行かれるのですが、これは韮山デートのオミヤゲ、つまり幸せのおすそ分けなのでございます……う、うらやましくなんか……うぐうぐ


……おっと、話がズレたぜぃ 

てなことで、「歯科医が切に注意喚起するほどの危険なブツ=江川太郎左衛門英龍のパンとは何ぞや」と思ったゴマは、わが国におけるパンの歴史をひも解いてみたのですっ(エライ



日本で小麦の栽培がはじまったのは弥生時代ころで、その後、小麦粉を練った生地で作る「蒸餅」「焼餅」という食べ方が中国から伝わってきましたが、生地を発酵させた西洋風パンが伝来したのは安土桃山時代代(16C半ば)ポルトガルの宣教師によってでした。

とはいえ、そのあとの江戸時代に日本人が主食としてパンを食べたという記録は無く、一説にはパンはキリスト教と密接な関係があったため忌避されたともいわれています。

キリスト教では、パンはキリストの肉体、ぶどう酒はキリストの血だとされ(=「聖餐論」)、この儀式で口にするパンとぶどう酒は「聖体」と呼ばれる

また、普及しなかった原因として、長年米飯食に慣れた当時の日本人の口にパンは合わなかったからとも。

この風潮は、明治時代になってからも変わらず、日本ではパン食がなかなか受け入れられませんでした。
日本でパンが一般化(シ、シャレじゃないからね?)したのは、1874年に木村安兵衛考案のアンパンが大ヒットして以降だそうです。

しかしながら、レシピ本大流行の江戸時代の書物にはパンの作り方もあるのですが、どちらかというと、現在の中国の饅頭(マントウ)に近いものだったようです。



 マントウ:小麦粉に酵母を加えて発酵させた後、蒸して作る蒸しパン。日本のマンジュウのルーツとも)

レシピ本『御前菓子秘伝抄』(1718年発行)での製法は、タネの発酵に酵母菌を使うようですが、その酵母菌の種は甘酒を使用すると書かれているとか。

でも、レシピは紹介されているものの、実際に製造されたという記録はなく、江戸時代、幕府を訪れたオランダ使節団に提供されたパンは、マントウ系蒸しパンだったといわれています。



江戸時代にパンを作った確実な記録は、韮山代官の江川太郎左衛門が、天保13年(1842)に、自宅にパン焼き竈を作り、製造をはじめたというもの。

(てか、窯まで造ったんかい、江川っち  

このことから、江川は『日本のパン祖』と呼ばれているそうです。


ただし、江川が作ったのは兵糧として持ち運びが容易&長期保存可能な堅パンで、今のフワフワモチモチのアレではございません。




《堅パン》
こちらは、北九州名物『くろがね堅パン』:大正時代、官営八幡製鐵所(現在の新日鐵住金㈱八幡製鐵所)で従業員の栄養補助のために作られたそうな。
いうまでもなく、『くろがね』=鉄。いかにも堅そう……

しかして、堅パンとは
「英語: hard bread,hard biscuit、別名ハード・タック(Hardtack)
保存食の一種で、軍隊では携行食糧として重宝された。
堅パンの亜流である乾パンと比べ、非常に堅いのが特徴
南北戦争時に米兵の間ではアイアンプレート(鉄みたいに堅い)と蔑称された。
日本には幕末の西洋兵学と共にもたらされ、江川英龍らが中心となって普及に努めた。
戊辰戦争では携帯食料の一つに加えられ、箱館では製造工房が設けられたが、その後は廃れた」だって。




《こちらが、堅パンより柔らかいといわれる乾パン》

(いやいや、コレだってじゅうぶん堅いよっ

『くろがね堅パン』さまHPによりますと、

「『堅パン』は大量に作って長く保存できるように、水分を極力少なくすると鉄のように堅いものが出来がりました。
鉄のように堅く、噛めば噛むほど味があります。
非常食・保存食としても現在注目されています。
甘味をおさえてヘルシーです。

● お子様のアゴの発育、歯ガタメに
● 災害に備えての非常食、保存食に
● 登山、ハイキング等行楽のお供に
● 1袋5枚入、10枚入りがあります。
たいへん堅い商品ですので、歯の弱い方はご注意下さい
なお、コーヒー、紅茶、牛乳等に浸すとやわらかく召し上がることができます。

「歯医者さんから、お子様の歯の矯正の為に毎日堅いものを食べさせるように言われてスルメを与えたところ、数日で飽きて食べなくなったが、堅パンを与えたら毎日食べるようになり、おかげで歯の矯正治療の必要がなくなりました。有難うございました」(
という感謝の御手紙をいただいたことがあります。


(以上、引用)


ちゅーことで、さっそくイタダキモノを食してみることに 


なにしろ歯医者さんから「柔らかくしてから食べたほうが」=「かじったらヤバイ」というアドバイスを受けているので、歯の強度に1mmの自信もないゴマは、まず包丁で一口サイズに切ってから。


(……む?)


カチンコチンのブツからギシギシという食品としてあるまじき擬音が聞こえるのですが……?

(……おい、大丈夫なのか、コレ?)という若干の不安感とともに、とりあえず、かけらを食べてみると……。


(ふむ……悪くない 


原料が「小麦粉・砂糖・麹」だけなので、素朴なお味です 

たしかにコレなら、コーヒー・紅茶からほうじ茶・お吸い物、何に浸してもイケそう


おっと、気づいたら、完食してた~ 


「Tさま、ごちそうさまでした~ 

かくして、周囲の方々のご厚意により、ゴマの知識はまたひとつ増えたのでありました、めでたし、めでたし 

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